日々の暮らしの中で拾った ―― my ニュース
2012年4月26日
昔は敵でも今は友達
「ねぇお母さん、本当にこれ、書かなくちゃだめ?」と、娘がベソをかきながら、尋ねてくる。「過去の出来事で動かしようのない事実なのだから、書いておけばどうかな?」と、私は答える。
アンザック・デーを目前にした日の夜。娘は小学校のシニアになり、本格的にこの歴史的事実を自分でリサーチしながら、学ぶような歳になった。そんな娘がインターネットで調べものをしている最中にこぼした言葉だった。
第一次世界大戦開戦後の1915年、最初の主要な作戦のためにオーストラリア・ニュージーランド軍がトルコのガリポリに上陸した日、4月25日を記念したのがアンザック・デーだ。毎年この日には、第一次世界大戦だけでなく、第二次世界大戦以降の戦争で命を落とした兵士も含めた、追悼式が全国各地で行われる。
当時ニュージーランドはイギリスの自治領であり、第一次大戦も大英帝国の一員として戦った。娘はどの国がニュージーランドと味方で、どの国が敵かの情報を探している時に、敵国のリストに「オーストリア=ハンガリー帝国」、「ドイツ」を見つけ、動揺してしまったのだ。
小学校に入って以来、ずっと親しい友達のひとりにオーストリア人の女の子がいる。そして今年になって同じクラスにドイツ人の男の子が編入してきた。クラスではオーストリア人の子がドイツ語で、ドイツ人の子を助けてあげ、みんなで楽しく過ごしている話はよく聞いている。「なぜこんなに私たちは仲良しなのに、『敵国』として、友達の国を挙げなくてはならないのか?」というのが、娘の言い分であり、ベソをかいた理由なのだ。
考えてもみなかった。今、毎日仲良く遊んでいる友達が、昔でいえば敵国の人という可能性は、移民の国であるニュージーランドでは非常に高い。ナイーブな問題だ。
ついこの間、博物館で非常に小さいものの、「アンネ・フランク展」が行われた。第二次世界大戦ではドイツ軍がアンネたちユダヤ人を虐殺したわけだが、この大戦では日本は枢軸国側に属し、ドイツは戦友だった。その一方でニュージーランドはイギリスにつき、連合国側。つまり日本とニュージーランドは敵国同士だったわけだ。展覧会に娘を連れていき、簡単にホロコーストやアンネのことなどを説明し、当時の日本とニュージーランドの関係もちらっと触れた。この話を聞いた娘は、アンネのことはそっちのけで、「今はニュージーランドと日本は仲が良いんだよね?」と、念を押すように何度も私に尋ねた。
「ドイツ」、「オーストリア=ハンガリー帝国」を敵国としてレポートに書くかどうか、娘は少し時間をおいて考えることに決めた。そんな彼女に「昔は戦争をしていて敵同士だったかもしれないけど、今は平和だから一緒に遊べるんだよ。『今』で、『平和』でよかったね」と声をかけた。
2012年2月7日
クリスマス・ミールとお正月料理の共通点
時すでに2月だが、あっという間に過ぎていったクリスマスとお正月のことで気づいたことがある。日本で生まれ育ち、ニュージーランドに引っ越してきて14年足らず。日本の新年のごちそう、ニュージーランドのクリスマスのごちそう……まったく何の共通点もないし、むしろ正反対なのではないかと思われる、この2種類の特別な食事だが、実はすごく似ているところがあるではないか!
それは「保存がきく」ということ。日本では今でこそデパートや老舗料理屋などから注文する人も少なくないが、私が小さいころはおせち料理は大晦日あたりから母が作り始めたものだった。お雑煮は三が日の朝毎日作らざるを得ないが、そのほかのゴマメだの、黒豆だの、ひねりこんにゃくだの、クワイだの、なますだのはお正月前に作り終え、お重に詰める。それをお正月の間つつくわけだ。お重の中身が痛まないようにちゃんと「海山」の取り箸も用意し、お重から取る時はそれを使う。
一方のニュージーランド。クリスマスの習慣は英国からもたらされたものだ。ローストは、肉が何であれ、日本のお雑煮同様、当日作らなくてはならない。しかし、ドライフルーツをふんだんに使い、アイシングで「密封」されたケーキ、これまたレーズンやドライアプリコットを使ったミンスパイ、そしてケーキと似ているけれど、温めてクリームをかけて食べるプディング。どれをとっても日持ちのするものばかりだ(事実これらの市販品はこの時期でもまだ賞味期限内だが、スーパーマーケットなどで格安で売られている)。
それに同じタイミングで大きな塊のまま購入するハムも持ちがいい。クリスマスから新年にかけて、薄くスライスして、サンドイッチに挟んで食べる。これには「ハム・バッグ」なるものがあり、水で浸し、酢を少し含ませたこのバッグにハムを入れ、冷蔵庫で保存する。時々このバッグは洗ってやると、さらにハムは長持ちする。
12月のクリスマスと1月のお正月という似た時期に、そしてどちらも年に一度のお祝い事という似たシチュエーションに、なぜ「保存食」なのだろう? こんな時こそは、食事作りもせずに怠けていいから、お祝いを優先しようということなのだろうか? クリスマスにはニュージーランドのごちそうを、そして新年にはお正月料理を、ダブルで楽しんだ私は不思議に思っている。
2011年12月5日
クライストチャーチ訪問
つい先日家族の集まりがあり、クライストチャーチへ行ってきた。震災後初めての訪問だった。私の大好きな旧い街並みはどうなっているだろうか。
夫がこの街出身ということもあり、住人ほどではないが思い入れがある。空港から実家への道すがらの家並みはいつもと変わらず、そこにチャーチ特有の強い日差しが照り返していた。
多くの歴史的な建物が倒壊し、またこの先地震には耐えられないという理由で取り壊される中、私たちが結婚式を挙げたオールド・ストーン・ハウスはどうなっているかが気になり、事前にウェブサイトで調べると、臨時閉館になっているという。これはもしかするとだめだったのだろうかと思いながら、義兄に尋ねると無事立っているとの話で、ほっとした。
しかし壊滅的な被害を受けた街の中心部に出かけた時は胸が締め付けられた。まだニュージーランドに住むことになるなどとは思いもしない昔、出張で訪れてたまたま入ったカフェ。木陰にあるテーブルに座り、風に吹かれながら、のどを潤した思い出がある。そこはフェンスに囲まれ、もうなかった。賑やかでユニークなところが好きだったマーケットが開かれていたアーツセンターも閉館しており、ひっそりとフェンスの向こう側にたたずんでいる。夫がグループ展を行った、近代的なビルと記憶するコンベンションセンターも使えないという。娘と時間をかけて見て回ったアートギャラリーは震災直後、救援本部が置かれていた。今は休館中で人けがなく、ガラスのオブジェのようにだまって立っている。
この街で過ごしている時間がそんなにあるわけでもないのに、思い出がいっぱい詰まっていることに驚く。ぼんやりと眺め、通り過ぎていた風景がそこにもうないという悲しみの入り混じった不思議な気持ち。ビジターである私でさえ、こんな気持ちになるのだから、住人にとっての街への思いはいくばかりか推し量ることはできない。
ほんの少しずつでもこの街とここに住む人たちが普段の生活を取り戻せますように。震災前と少しも変わらない青空に願いをかけた。
2011年11月2日
募金活動を通して社会に接する
少し前、心臓病基金への募金活動、「ジャンプロープ」が娘の学校で行われた。心臓病予防になるエクササイズ=縄跳びを子どもたちに奨励しようと、縄跳びなどが基金側から提供され、子どもたちは練習を重ね、それを披露する。その代わりに、子どもたちは周囲の人に募金を呼びかけるというものだ。
ある日の放課後、娘はクラスメイトのひとりと遊ぶことになった。しばらく絵を描いたりした後、近所のお家を訪ねて心臓病基金への募金活動をしたいという。人見知りをする娘がこんなことを言うなんて意外だったが、クラスメイトが一緒というので心強かったらしい。良い経験になるに違いないと思ったが、近所のお家は顔見知りの人もそうでない人もいる。そこで私も邪魔をしないようについていくことにした。
お留守のお家も含めて結局15軒ほども回っただろうか。2人はきちんと言うべきことをメモして持っていき、「募金に協力してもらえませんか?」と1軒ずつ訪ね歩いた。知り合いの人だけでなく、まったく知らない人にも話しかける勇気を培うにはもってこいだった。
あまり暮らし向きは良くなさそうなのに、喜んで小銭を差し出してくれるお母さん、飛び込みで募金をお願いしに来た小学生に5ドル札を快く差し出してくれるおじいちゃん、小銭の手持ちがないからとやはりお札を募金してくれたおばさん……。協力してくれる人がいる一方で、してくれない人ももちろんいる。断る人たちも子どもにとっては大事な存在だ。2人は「世の中の人みんながみんな好意的なわけではない」ということを学ぶ。
親として興味深かったのは、自分たちの観察眼を頼って、募金をお願いしに行く家、行かない家を決めていたこと。強面のお兄さんを玄関先で見かけたり、庭などが荒れている家には2人で相談して、行かないようにしていた。私が大人としての意見を言う前に、きちんと見て、正しい判断をしていた。こうした観察眼・判断力は教えられるものではなく、少しずつ自分で身につけるものであり、まだ親が見ていてやれる範囲で「練習」ができる機会があるのは良いことだ。
今年の「ジャンプロープ」による献金額は1,000ドルを上回ったそうだ。心臓病患者とその研究に少しでも役に立ったのは言うまでもない。と同時に、自分の周囲の社会に触れ、それを知る機会が得られたのは、子どもたちにとって大きなメリットだったに違いない。
2011年9月5日
個人のスキルで社会が豊かに
つい先だって、思わず微笑んでしまったニュースがあった。おらが町、ニュープリマスの刑務所に収監されている16人が編み物をし、できあがったものをウィメンズ・レフュージ(女性保護施設。駆け込み寺)に寄付しているというのだ。母親から子どもの時に習ったという人もいたが、刑務所内で初めて習ったという人が大半らしい。いかつい男たちがせっせと編み棒を動かす姿を想像し、そのユニークな試みに感心してしまった。このニュースは「オッドニュース(変わったニュース)」として取り上げられていたが、なかなか良い話なのではないだろうか。
ニュージーランドに暮らしていると、人は各々自分のできることをやって社会に貢献しているんだなぁと思うことがよくある。先月末は動物保護団体であるSPCAのカップケーキ・デーが行われた。ボランティアでカップケーキを焼き、それを売ったお金がSPCAに寄付される。これに娘の学校が協力。子どもたちがカップケーキを焼くことになった。おいしさももちろんだが、特にたくさん売りたい今回のようなケースは見てくれも大切だ。お花や動物の形に作ったアイシングをトッピングすればいいのだろうが、既製品は安くない。じゃあ、どうするか? ここでアイシングの上手なお母さんの登場! となった。デコレーションをする当日、アイシングだけでも十分にかわいらしいものを用意してきてくれ、カップケーキは完成。飛ぶように売れた。
2年に1度行われるプロダクション(学芸会)は子どもたちにも見守る親にも楽しいイベントには違いないが、そのための衣装作りは頭痛の種でもある。そんな時には服作りに凝っているお母さんの出番となる。前回はドレスといった服だけでなく、とてもよくできたラクダのかぶりものまでが彼女の手によって創り出され、ラクダ役の子どもたちを含む出演者はもちろん観客を喜ばせた。
何も特別な時に限ったことではない。ティーチャーエイドのひとりに、スポーツが大好きで、エアロビの元インストラクターだった女性がいる。彼女は障害のある生徒につきそうために毎日学校にいるのだが、それだけではもったいないと、冬の寒いシーズンに体を動かそうという「ジャンプジャム」のリーダーもやってのけ、毎日音楽に合わせ、子どもたちと一緒にノリノリで踊ってくれている。
興味深いのは、こんな風に社会に貢献しているスキルは趣味だったり、自分の好きなことや得意なことだったりするが、その人の本職ではないケースが多いことだ。ちゃんと食べていくための仕事を持ちながらも、そのほかに何か自分だけのコレというものを持っている。それには感心する。そしてそれが必要とされる時、いとわずに助けの手を差しのべる。ひとりだけでは成し得ないことを、みんなが少しずつ知恵を絞ったり、スキルを提供して実現する。これがこの国の社会が豊かでうまくまわっている理由のひとつなのではないだろうか。
2011年8月16日
我が稼業は“ギャップ埋め屋”
久しぶりにあるガイドブックの仕事をいただいた。今回は改訂版の作業のため、掲載内容に間違いがないかを確認する作業をした。その際に自分の仕事がニュージーランドと日本の間に生じる“ギャップを埋める”ためのものであったことを再認識させられた。
私が執筆をするのは主にニュージーランドについて。それを日本の媒体を通して、日本人に読んでもらう。そして「へぇ、ニュージーランドではこんな風なんだ」とか、「日本と似ているところもあるんだな」とか、「ずいぶん違うんだな」とか、思ってもらう――それが仕事だ。私が書いた記事には、両国の“ギャップを埋める”という役割がある。
では、ガイドブックの掲載内容の正否確認のどこが“ギャップを埋める”ことに役立っているのか。今日もこんなことがあった。日本のクレジットカードが使えるかどうかをアクティビティ催行会社に確認しようと電話した。
私 「日本のクレジットカードは使えますか?」
会社側:「そのクレジットカードが使えるかどうかはわからないな。器械を通してみて通ったら使えるんだよ」
おいおいそれじゃだめでしょ? といえばいえるし、ごもっともといえば、ごもっとも。ここで、“ギャップ埋め屋”としては引き下がるわけにはいかず、どんどん突っ込み、答えが出るまで粘る。
またレストランに営業時間を聞くと、こうだ。
私 「お宅の営業時間を教えてください」
レストラン側 「・・・ディナーは6時から夜遅くまでやってるよ」
ほら来た。「夜遅く」というのは何時なんだかわからない。そもそもレストランなど、お客さんがいれば開けているけれど、いなかったら早めに閉めてしまう、というお国柄である。きっとそのときどきによって閉める時間は違うのだろう。でも、それで納得できないのが日本人なので、ここで“ギャップ埋め屋”の登場となる。はっきり「○○時」とわかるまで質問を続ける。
お店の営業日に関しては、こんな認識のギャップがある。
私 「お宅はお休みの時はありますか?」
店側 「ありません。ずっと開いています」
私 「クリスマス、イースターも開けていますか?」
店側 「あ、クリスマスは休みです。それとアンザックデーの午前中も・・・」
ニュージーランド人にしてみればクリスマスが休みなのは当然のことなので、頭から抜けているのだろう。しかし、“ギャップ埋め屋”が突っ込むと、結構ぽろぽろとお休みの日が出てきたりする。
そう、“ギャップ埋め屋”の仕事は、ニュージーランドの大雑把さと日本の細かさというギャップを埋めるためにも存在しているのだ。ニュージーランド人には「何でそんなことまで聞くの?」とけむたがられるが、そんな時は「日本人は詳細情報をほしがるものなのだ」と説明してやる。そして日本人にはほしいままの細かな情報を提供する――が、結局は日本人も“ギャップ”に遭遇することには変わりない。至れり尽くせりの内容のガイドブックを手にし現地に来たはいいが、忘れてはいけない。ここは大雑把な国ニュージーランド。100パーセントガイドブックの通りにはならないということを。
2011年7月4日
サービスとは何たるやを八百屋の若い女性店員に学ぶ
この間、単なる八百屋での買い物でちょっぴり感動したことがあった。いつも行くお店なのだが、残念ながら店員の愛想は良くはない。そんな中で、なかなかうれしい出来事だった。
その店員さんは年のころにして20歳前半だろうか。もしかすると10代後半かもしれない。そのほかの店員が50代、60代かと思われる中、彼女はとにかく見るからに若い。客がどんなサービスを求めているか、どう考えても50・60代の店員の方が良く把握しているだろう。ところが、である。一見経験豊富そうな年配の店員はぜんぜんわかっていないのだ。というより、客を扱うにあたって、神経こまやかになんてことに頓着するのをきっともうやめてしまったのだろうと思う。もしかしたら、ニュージーランドの小さな町の小さな八百屋のことだから、そんな「サービス」なんてことはそもそも念頭にないのかもしれない。
いつものように買い物を済ませて、レジへ。たまたまその若い女性がレジに立った。私はちょっと嫌な予感がした。私は重いものは袋の下に、軽くて柔らかいものは上の方に入れてもらいたいとどこのお店に行っても思っている。おばちゃん店員ですら買ったものの袋詰めは私の好きな順番では絶対入れてはくれない。いかにも経験のなさそうな彼女ならどうなってしまうんだろう? と、じれったく思いながら、会計を済ませた。
ところが彼女は買ったものを大事そうに、ごくごく自然に重いものを下に、柔らかいものを上にとパーフェクトな順番で入れ始めたのだ。「やるじゃ~ん!」と心の中で思った。その日は彼女の袋詰めの仕方に感心したものの、普通にお礼を言ってその場を去った。
翌週。同じことが起こった。彼女はまたきちんと無駄なく、なおかつ理想的な順番で袋詰めをしてくれた。この分だと客によって、きちんと入れたり入れなかったりということではなさそうだし、気分によってというのでもなさそうだ。私は品物を渡してくれる彼女に今度は思わず、「私、あなたの袋詰めの仕方、ファンなのよ」と声をかけた。そうすると彼女は「私がお客さんだったら、やっぱりほうれん草は袋の下じゃなくて、一番上に入れてほしいと思うから。それだけよ」と少してれながら微笑んだ。
私は「それでしょう!」と思った。私はサービス業といえば、大学時代3年間、レストランでウェイトレスのバイトをした程度の経験しかないけれど、彼女が言ったことはすべてのサービスの根幹を成す大事な考え方だと思った。「自分がしてほしいと思うサービスをお客さんに提供する」というのは基本中の基本であることぐらい私にもわかる。
気になることにここ2週間ほど彼女の姿をお店で見ない。もしかして、サービスの良い感性を持つ彼女はそれをもっと生かせる職場に移ってしまったのではないか。たまねぎの下敷きになってあえいでいるほうれん草を救出しつつ、私はため息が出た。
2011年5月26日
感覚のズレは永遠に!?
10年以上ニュージーランドに暮らしていても、所詮は日本人。感覚的にキーウィとはどうしても違ってしまうことが依然としてある。別にそうであっても不快だとか、暮らしにくいわけではないのだが、時々ふと自分がとことん日本人であることを思い知らされる。
つい先日スーパーマーケットのデリ・カウンターでハムを買った時のこと。
私 「このハムを100グラムください」
店員 「100グラムきっちりですか?」
私 「いや、そんなにきっちりじゃなくてもいいですよ」
店員 「わかりました」
ここで店員が量りでハムを量ると136グラムあったが、彼女はそれでいいと判断して、さっさと包もうとしている。しかし、これは100グラムはおろか、100グラムに“近い”とも言えないでしょ、と思った私は、「もう少し少なくしてください」とお願いした。店員は「『100グラムきっちりでなくていい』って言わなかった?」という顔をしながら、袋からハムを出し、少なくする。結局104グラムになったところで、私は彼女にストップをかけ、品物を手にした。
要するに、私の「100グラムきっちりでなくていい」は“104グラム”だったわけで、キーウィの店員の「100グラムきっちりでなくていい」は“136グラム”だったというわけ。この時の感覚の差は“32グラム”!? この差は大きいのか、小さいのか。
時間の感覚も然り。この間車を修理に出した。「いつ修理し終わるの?」と私が尋ねると、話をつけてきたキーウィの夫は「来週の火曜か、水曜か、木曜かだって」と言う。それを聞いた時点で私は、それじゃいつかわからないじゃな~いとムッとし、それからそうでした、ここはニュージーランドなのでした、とため息をついた。キーウィの修理屋さんは「いつかわからないけど来週中には直るはずだから、待っててね」と言い、またキーウィの夫は夫で、来週のいつと修理屋さんには突き詰めず、こんな答えをノンシャランと私に返してくる。
あと10年ほども暮らせば、こういう感覚的なギャップはなくなるものなのだろうか。何事にも正確を期す日本の感覚がインプットされていて、それをもとに人生?年生きてきたので、自分の感覚がキーウィに近くなったら怖い気もするのだが。
2011年5月3日
写真に特別な思いを抱く日本人
日本人にとって「写真」というのは特別なものなのだなぁとしみじみ思う。
東日本大震災とそれに伴う津波で倒壊した家屋の撤去作業が始まっているが、作業中に見つかった、写真を中心とするさまざまなものをボランティアが汚れを取り除き、種類別にして小学校の体育館に集め、自分のものとわかった人は引き取れるようにしているという。またNPO法人「映画保存協会」は汚れたり、傷ついたりしたビデオフィルムなどを無料で専用の機械でクリーニングし、DVDに焼きなおして、被災した持ち主に届けるサービスを受け付けている。
日本人はもともと写真好きのような気がする。外国人にとっての日本人のイメージは一昔前まで、メガネをかけ、少し出っ歯で、その首からはカメラを下げた姿で表されたものだった。今でも旅先には必ずカメラを持っていき、たくさんの写真を撮る。旅行中であろうと、日常生活上であろうと、あるシーンを「思い出の1コマ」として切り取りたがるのが日本人だ。
また欧米のガイドブックなどは文字情報が中心だが、日本のものは写真満載だ。日本人はビジュアルな民族なのだろう。
被災地での、食べ物や水を配ったり、病人やけが人の看護をしたりというような、人の生死に関係ないこうしたサポートはあまり注目を浴びることはないが、それでも写真に特別な思い入れのある日本人被災者の精神面を支えているのではないだろうか。何もかも失った被災者にとって、そして震災で亡くしてしまった大事な人の思い出としてその写真を大切にしたいと願う被災者にとって、こうした努力は感謝されているに違いないと思う。
東日本震災の数週間前にやはり大きな地震に見舞われた、カンタベリー地方の倒壊家屋撤去作業の時はどうだったのだろうか。日本のように「もしかしたら、この写真は誰かがとても大切にしていたものなのではないか」と横によけ、きれいにし、持ち主を探した話は聞かない。
2011年3月31日
キーウィの温かい気持ちも届け!
あっという間だった。東北地方太平洋沖地震からもう20日も経とうとしている。
この地震の第一報をテレビのニュースで知った。幸い家族や友人は無事だったが、被災した人の生の声が流れると、悲しくてやりきれなかった。重苦しい気持ちを抱えたまま数日間が過ぎた後、「何かしなくては」と思い立ち、ニュープリマスに住む日本人に協力してもらい、募金活動をすることにした。
思案を始めたその週末、ちょうどいいことに当地で毎年行われ大人気の『WOMAD』と呼ばれる世界中からミュージシャンが集い、民族音楽のコンサートやダンスのパフォーマンスを行うイベントが予定されていた。もう当日まであと数日に迫ったところだったが、主催者にゲート横で日本のために募金活動をしてもいいかの確認の連絡を入れる。「ゲート外なら問題ない。がんばって!」と言われた。そして今度は役所への確認。そこに勤める知り合いが所内の何人かに電話をかけてくれ、
「WOMAD側がハッピーなら役所側もハッピーだ」とうれしい返事をいただいた。
2日間、計16時間、みんなでシフトを組み、活動を行った。国内外からこのイベントにやって来る人たちは皆、とても寛大だった。50ドル札を気前よく入れてくれる人、財布をさかさまに振って、お金を入れてくれる人、怒られるのかとヒヤリとした見回りの警察官もお金を入れてくれた。自分のお財布からお金を入れてくれる子ども、ちょっとやんちゃそうなティーンエージャーが時には少し照れくさそうに、時には堂々と寄付してくれる。うれしい。
ゲート前で警備を担当しているマオリ・ワーデンのおばさんは道行く人に、「日本のために募金をしてからWOMADへどうぞ!」と大声で声をかけてくれる。そのおばさんが頼もしく思え、温かい気持ちになる。
つい数日前に娘が東京から帰ってきたばかりだとほっとした様子のキーウィの父子、これから東京から帰ってくる甥っこを空港に迎えに行くという人、以前日本に住んでいたという人など、日本と縁のある人がたくさんいることを知る。
クライストチャーチの地震からまだ日が浅いうちに起こった日本の地震だけに、日本と直接関係ない人も心を傷めている。お金を募金箱に入れてくれるついでに、家族は大丈夫なのか、今どういう状況なのかといったことを心配し、私たちに声をかけてくれる。
結局この日集まったお金は8,278ドル70セントだった。寛大なキーウィに頭が下がらない思いだった。
みんな優しい。被災した人たちに届くのがお金だけでなく、みんなの優しさも一緒だったらいいのにとしみじみ思った。
2011年3月1日
地震後に思ったこといろいろ
今日でクライストチャーチの地震から1週間になる。夫がクライストチャーチの出身で、結婚式を挙げたこともあり、町は私にとっても特別な思いがある。
地震が起こってから改めて身にしみて思うこと。それは「何事もなく、毎日を過ごせてありがたい」ということだ。こうした天災などが身近に起こると、日々文句を言ったり、不足に思っていたりすることが、実際は何と恵まれたことだったかを思い知らされる。
娘の学校では、チャーチの地元ラグビーチームのクルセイダーズのシンボルカラー、赤と黒を着て登校し、それぞれが募金を持ち寄る日があった。最初は「お父さんとお母さんのお金を持っていく」と言っていた彼女だが、私が「チャーチには、お父さんやお母さんにもう二度と会えない子がいるんだよ」と話した途端、自室に走って戻り、自分のお財布から2ドルを差し出してくれた。
多くの人が命を落としたことも心に重くのしかかるが、チャーチの人々を昔から見守ってきたたくさんの古い建物が崩壊してしまったのも、私にとってはショックだ。近代的なビルには興味はないが、人々が長年にわたって出入りしたり、そこで過ごしたりし、いろいろな出来事を「目撃」してきた歴史的建築物に、洋の東西を問わず私はいつも心惹かれてきた。地震の影響で無残な姿をさらをすそうした建物は正視に堪えない。私たちが結婚式を挙げた、カシミヤ・ヒルのふもとにある、1870年に建てられたオールド・ストーン・ハウスはまだ立っているだろうか。
1995年の阪神・淡路大震災時、私の父方の祖父母の家が倒壊した。父が写真を撮ってきてくれたのだが、それを見た時の心の痛みは忘れることができない。たくさんたくさん思い出が詰まった家。そこに住んでいたわけでもない私がそこまでこたえるのだから、今回のチャーチの地震で家を失った人の悲しみははかり知れない。そしてもちろん親愛なる人を失った人の悲しみも。
日本にいる友人が何人も、私たちのことを心配して連絡をしてきてくれた。私がうれしかったのは彼らが口をそろえて、「クライストチャーチ、復興したら大聖堂を見に行くよ」と言ってくれたこと。これからクライストチャーチは幾つものハードルを乗り越えなくてはいけない。私もそれをサポートしていきたいと思う。友人たちと青空をバックにした大聖堂を見上げる日が遠くないことを祈っている。
2011年2月2日
母語の大切さ
この間、地元でも有力なマオリの家族に招待され、夕食をご馳走になりにうかがった。その際に言葉の話になった。英語と並んでこの国の公用語であるマオリ語は過去数回存亡の危機に瀕している。1880年代には移民の話す英語をマオリ人も話すべきと学校でマオリ語が禁止になった。その後1980年代までにはマオリ語を母語として話せるマオリ人は全体の20パーセントに満たなくなった。これがきっかけとなってマオリ語復興運動が起こり、マオリ語のイマージョン教育を行う幼児教育機関、コハンガ・レオや小学校、クラ・カウパパ・マオリが生まれた。
その家の女主は自分の子どもたちをマオリ語で育てた。要するに彼女はマオリ語を子どもたちの母語としようとしたわけだ。今はマオリであることを誇りに思い、マオリ語を駆使する子どもたちだが、小さいころは違ったらしい。「ウチの子は小さい時、何か集まりがあってそこに連れていくと、誰かれ構わず、『ねぇ、あなたは英語しゃべれる?』と尋ねて回って、英語を話したがって、私、すごくがっかりしたのよ」と彼女は言う。昔のエピソードを話しているとはいえ、その表情からは当時の彼女の落胆ぶりがうかがい知れた。
マオリにとって、一度失いかけたマオリ語というのは、ことのほか大切なものだ。彼らにとってその言語はイコール、アイデンティティーでもある。おそらくそれはマオリだけでなく、どんな民族にとってもいえることなのではないだろうか。
女主の話を聞きながら、日本でこの4月から小学校5、6年生で英語が完全必修化となることが頭をよぎった。マオリ人にとってのマオリ語と、日本人にとっての日本語の位置は、今両極にあるように感じる。確かに英語ができれば世界でも通用するようになるのだろう。しかし日本人にとって外国語である英語を小さいうちから勉強しなくてはいけないものなのかな、と思う。
私は日本語が大好きだ。特にオノマトペはすごく楽しいし、謙譲・尊敬・丁寧語などは心遣いが感じられて良い。女言葉、男言葉もある。日本語はコミュニケーションのための言語ではあるけれど、同時にその後ろに日本文化が見え隠れする。すごく素晴らしい言葉じゃないかと思う。
日本語が乱れてきていると嘆くくせに、国語の時間は増やさない。でも子どもたちに英語という外国語の習得は熱心に薦める。企業によっては社内で英語を話すことを義務づけているところもあるという。美しい日本語を失ってほしくないけれど、一度失いかけなくては、その良さに気づかないのかもしれない。
2011年1月7日
不自由さが産む工夫
「必要は発明の母」という言葉はよく聞くし、もっともな格言だと思う。これの変形版を自分で勝手に作ってみた。それが、「持たざるは発明の母」だ。
子どもが小さい時、どんな子育て法があるのか雑誌を読んだりして情報収集していたが、中に「まだ完全に出来上がっていない、造りかけの家に住むのがいい」というなかなかユニークな意見があった。キーウィにとって日曜大工は朝飯前。中古住宅、特に手直しを必要とする家を買った場合は、自分でコツコツ手を入れることも珍しくない。中には「ボクが死ぬまでに完成するかなぁ?」なんて冗談を言いながら、週末、大工さんに変身するお父さんもいる。
最初からすべてが備えられた環境で育つより、どこかちょっと不便だったり、何かが欠けている環境の方が子どもにはいいというのだ。親と一緒にコツコツ自分の家を造っていく中で、子どもは多くを学ぶというのが、この考えの根底にはある。
例えばおもちゃひとつとっても、ほしいものをすべて買い、市販のものをズラリとそろえるより、買わずにおくものがあっていいのではないか。そうすれば、子どもは自分でどんな材料を使って、どんな風に組み立てればそれに近いものが作れるかを考えるもの。要するに工夫するというわけだ。
先日我が家で子猫を飼い始めた。娘は市販のかわいいネズミの形をしたおもちゃや、カラフルなボールなどを猫にほしがったのだが、私は買わなかった。そうしたら、娘は段ボール箱を大小の猫の手型にくり抜いて、その中に入ったり出たりできる家を、手伝ってもらいながら猫のために作った。さらにアルミホイルでボールも作った。子猫は今、その家に入って前足だけ出したり、その中から弾丸ように走り出して、ホイルのボールを追いかけて遊んでいる。
この世に生まれてそう年月が経つわけではないけれど、今まで見たり聞いたり、習ったりしたことをさまざまに組み合わせて工夫し、何かを創り出す力を子どもはそなえているものだなぁと感心する。子どものことなので、時には実際そのアイデアを形にするのは難しいこともある。しかし、彼らは生まれながらにして「entrepreneur」であり、「発明家」だ。ちょっとした不自由さが、子どもにどんなアイデアをもたらすだろうか。彼らの限りない想像力と創造力には脱帽だ。
2010年12月24日
もったいないおばさんの苦悩
私は世間でワンガリ・マータイさんが「もったいない運動」で評判になる前から「もったいない」ことに敏感だった。私の母は若いころは自称「捨て魔」で、必要ないと見切ったものはどんどん処分するタイプだった。しかしもう一代さかのぼった祖母はなかなかものを捨てられない人で、私はどうやら彼女の血を引いているようだ。何でもまだ使えるからとか、使用済みのものでも別の機会に使えそうだからと、彼女は大事にとっておいたものだ。
クリスマスは子どもの誕生日に続き、釈然としない気持ちになる季節である。何がひっかかるかというと、それはプレゼントのラッピングペーパーだ。たった1回使うために、それも開ける人はたいてい破って開けるので、再度使うことができないラッピングペーパー。誰かがバリバリバリと勢いよく包装紙を破る時、「もったいないおばさん」の私のハートも一緒に破られるのである。
そもそもなぜこちらの人はラッピングペーパーを破って開けるのだろう? 昔々アメリカのドラマか何かを見ていて、プレゼントを開ける時何の躊躇もなく包装紙を破るのを見て、「わ~、あんな風に開けちゃうんだ」とびっくりしたものだ。なので、今に始まったことではないのだろう。今、日本ではどうなんだろうか? 私が子どものころは決してそんなことはしなかった。丁寧に開けて、やはりきれいなものはとっておいて再利用したりした。
「環境に優しく」が叫ばれる中で、ラッピングペーパーの代わりにセコハンのスカーフでクリスマス・プレゼントを包む人が新聞に紹介されていた。悪くないアイデアだけれど、もしそのスカーフが要らなかった人はどうすればいいのだろう? 引き出しの奥にしまいこんでしまうのか、やはり包装紙同様ごみとして捨ててしまうのか、はたまた再びオプ・ショップに寄付することになるのか……。
何となくあまり解決になっていないような気がする。いっそのこと、ラッピングペーパーでプレゼントを包装するのを止めてしまえばいいのに、とさえ思ったりする。でもプレゼントの中身が最初から見えてたら「お楽しみ」のニュアンスがなくなってしまってつまらないだろう。新聞紙に包んだらフィッシュ&チップスになってしまいそうだし……。それならスカーフでも包装紙よりましなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、すでにクリスマス・イブ。今年も解決策を見出せずにプレゼントをラッピングする自分がいる。切り倒される木とプレゼントを包んだ包装紙が破られるところの両方を思い浮かべ、自分は「もったいないおばさん」の名を返上しなくてはいけないかもしれないと思ったりする。
2010年12月15日
“Giving”の季節
つい昨日テレビを見ていたら、先月作業員29人全員が死亡するという事故が起こったグレイマウスのパイクリバー炭鉱のニュースの続報が流れていた。
親会社であるパイクリバー・コール・リミテッドが倒産、管財人の管理下にある状態になったという。スタッフ114人全員が解雇となり、社員には割り増し退職金やホリデーペイが出るものの、契約社員には何も出ないということが明らかになった。
事故で息子を亡くした男性のひとりが「契約社員の中には1日に18~20時間も働いて何とか坑内から29人を助け出そうとしてくれた。今度は私たちが何としてでも彼らを助けなくては」と言っている。その言葉を聞いて、オークランドに住んでいた時分のことを思い出した。
オークランドのクィーン・ストリートは目抜き通りだけあり人通りが多いので、よく街角に寄付金箱を持った、いろいろな慈善事業団体やイベントの関係者が寄付を募っていた。そしてまた大道芸人も多かった。失業中と見受けられる人がほとんどで、お金に余裕があるようには見えず、だからこそ大道芸を披露して小銭を稼いでいることが想像された。
パフォーマンスを終えてその場を去る時、大道芸人たちはその寄付金箱にさりげなく小銭を入れて帰って行っていく。高そうなスーツに身を固めた人たちが、差し出された寄付金箱を無視して通り過ぎていくのと、その姿は対照的だった。
社会的弱者は自分と似た境遇の、その寄付金の受け取り人のことを身をもって理解しているのだろう。同じような苦境の中にいる人たちを助けるために自分のわずかな稼ぎが減ってしまうことをいとわない。胸がキュンとなる。少し悲しいけれど、とても温かい光景だ。
早くももうクリスマスは10日後。商業主義のクリスマスに振り回されがちだけれど、この季節は“Giving”の時期でもある。そのことを忘れずにいたいと思う。
2010年11月25日
どこまでヘルシーになっていくのか?
少し前にアーノッツ社から売り出された「Vita-Weat Rice Crackers」。つまんだ後の指先に脂がつくポテトチップを食べているキーウィ(私もポテトチップは大好きだが)が住むこの国にまたまたヘルシースナックが登場したわけだ。ポテトチップが健康的ではないことに気づき、まずはライスクラッカーやライスケーク/ウェファースに目をつけ、それを食べるようになり、そしてとうとう従来の白米ではなく、ブラウンライスを原料とするこのVita-Weat Rice Crackersの発売とあいなったわけだ。
最近思うのだが、ニュージーランドのスナック菓子はどんどん「健康的」になり、それがウリになっているんだなぁと。そもそも日本はスナック菓子を含め、お菓子とそうでないものとの区別がはっきりしているような気がするが、ここではすごくあいまいな気がする。例えばランチタイムにミューズリーバーを食べる人がいるが、それは果たして食事なのか? お菓子なのか? 日本では、食物アレルギーなどは最近配慮されているものの、お菓子はお菓子であって、ヘルシー志向を追及しているようには見えない。
9月に一時帰国した際に7歳の子どもたちと娘が遊ぶ機会があった。放課後だったので、みんなおやつを済ませてくるか、持ってくるか。もし持ってきているのだったら、どんなものを持ってくるのだろう? とちょっと興味がわいた。カップ入りのポテトチップのようなスナック菓子、アメ、グミ、チョコレート、ビスケット……と、中には素材や製造法に気を遣ったものもあるのかもしれないけれど、パッと見ではまったく普通のいわゆるお菓子で、ニュージーランドで売られているもののように、「脂分○○%カット」といったような「ヘルシー」を売りにしているもののようには見受けられなかった。
それに比べてここでは、「おやつでも極力ヘルシーに」することが強く薦められている。日本の子どもたちがごく普通の日に持ち寄ったものは、この国の子どもたちにとっては特別な機会だけにもらえる「treat」だ。
ニュージーランドは不名誉ながら、世界でも3位に入る肥満大国だ。それに歯止めをかけようと口に入れるものは何でも健康的なものを、となるのはわかるけれど、日本はどうだろう? もちろん人種が違うから体のサイズが違うことはわかっているけれど、特におやつにヘルシーなものを食べているとは思えない日本人は世界の肥満ランキングには入ってこない。
卵が先か、ニワトリが先か……それを考え出すと切りがない。しかし、ニュージーランドはこの先も究極のヘルシーフードを求めていくのだろうか。興味を持って見守っていきたい。
2010年11月6日
循環していくもの
最近とてもいい天気が続いている。風が冷たいことはままあるが、それでも着実に季節が移り変わっていっているのが感じられる。庭には私たちが植えた草木も、勝手に育っている雑草も花をつけ、それを手折って、花瓶にいけるのが楽しい。
私の母は鉢植えを育てるのがへたですぐに枯らしてしまうが、切り花は大好きでよく実家には花が飾られている。華道も一時は習っていたけれど、普段花瓶にいける時はあくまで我流。私も小さい時は余ったお花をもらって好きなようにいけたりしていた。
どんなに上手に水切りをしても、切り花はいつか枯れてしまうもの。それを捨てる時、母はいつも「ありがとう」と花にお礼を言う。きれいな姿で私たちを楽しませてくれた花への感謝の言葉だ。小さい時からこれを見ていた私も同様に花にお別れをつぶやく。
実家はマンションなので、コンポストに捨てるというわけにはいかないのだが、私の場合は枯れた花を必ずコンポストビンに入れる。ごみ箱に捨てて「ハイ、さようなら」ではなく、ビンに入れればそのうち堆肥になる。その堆肥で別の花を育てれば、捨てた花がうかばれるような気がする。世界は循環しているんだよなぁと思う。
もう四、五年前の話になるが、知り合いのマオリ人女性が主催するワークショップがあって、それに参加したことがある。ちょうどティータイムの時に窓を開けると、風が強く、枯れ葉が一枚舞い込んできた。足元に落ちたその枯れ葉を、彼女は誰に言うともなしに、「自然のものは自然にかえしてあげなきゃね」とつぶやいて拾い、窓の外に出した。ワークショップは面白かったし、良い経験になったのは言うまでもないのだが、その日の私の収穫は彼女の言葉にほかならなかった。
自然のものは自然に最後にはかえるべきだし、それは普通のこと。枯れた花は、そうやって次の植物の命を支える。そしてその植物が枯れた時も同じ。今までもそうだったように、これからもずっとずっとこれが繰り返されていく。私のこの知人は数年前に亡くなった。それでも彼女のこの大切な一言は私の心に残っている。この言葉は娘から、その子どもに伝えられるだろう、生が循環するのと同じように。
2010年10月26日
目が見え、手足が動くということ
ニュージーランドでは今日から11月1日までの1週間、「ブラインド(目の不自由な人)・ウィーク」となる。そんな折も折、こんなことがあった。
私がスーパーマーケットのビスケットの棚の前で何を買おうか迷っていると、ごく普通の初老の男性がにこにこと近寄ってきた。そして、「『スイス・クリーム(バニラクリームをはさんだビスケット)』はどこにありますか? 取ってもらえますか?」と私に言うのだ。私たちはそのすぐ前に立っていたので、私が少しとまどっていると、その人は笑顔を絶やさず、「私は目が見えないんです」と付け加えた。
やっと状況が理解できた私は、目の前のスイス・クリームのパックを取り、「『スイス・クリーム』って書いてあるから、これですよ」と言って、彼に渡した。「ありがとう」と言って立ち去る彼の後姿を見送り、彼がショッピングカートを押しているのに気づいた。そう、彼だって私たち健常者と同じように買い物をしなくちゃならないのだ。でもどうやって? ひとつのものを買うのに、いちいち人に尋ねるのだろうか。そもそも、どの商品がどの棚にあるかどうやってわかるのだろうか。それに必ずそこに誰か尋ねる人がいるとは限らない。
健常者として暮らす分には生活に支障はないけれど、ふとこんな具合に目の不自由な人などの視点に立つ機会があると、街や店の造りがすごく不親切な気がするし、危ないんじゃないかとすら感じる。目が不自由でも、慣れていればさほど気にならないのかもしれない。それでも、これではいけないんじゃないか、もっと健常者以外の人も暮らしやすくすべきなんじゃないのか、と思う。なかなか人は、自分以外の人の立場に立って考えられない。
そんな帰り道、今度は足が不自由なのだろう、電気スクーターに乗ったおじさんが各戸の郵便受けにチラシを入れる仕事をしているのを目にした。私たちと何ら変わりなく社会に貢献し、暮らすこうした人たち。ちょっとしたことでも不平を言ったりする自分が恥ずかしくなる。私には自由に使える手足があって、近眼だけど目も見える。それは当たり前のことのようだが、そうではない人もいる。自分のこの境遇を日ごろからありがたく感じながら暮らしたい、と思う。
2010年10月13日
カワイイもの尽くし
日本の小学校での体験入学中に娘が覚えた言葉の中でも際立っているのが、「めっちゃカワイ!」という言葉。外国語の言葉でまず最初に身につくのはスラングや、それに近い言葉であることが多いというのが一般常識。母語が英語の娘の場合もそのごたぶんにもれずといったところのよう。日本にいる間、娘はほぼ毎日、それも日に何度もこの言葉を連発していた。
「めっちゃカワイ!」と口に出す度に、私は何がかわいいんだろう? と観察していたわけだが、確かに日本にはむやみやたらに「カワイイ」ものが多いことに気づいた。町を歩けば自動販売機にペンギン、コンビニで買い物をすれば飲み物のボトルにクマ、新聞を開けば広告にクリクリおめめの女の子といった具合に、「カワイイ」ものはそれはもう押すな押すなといった風情で私たちのことを取り囲んでいる。私が日本に住んでいた12年ほど前でもこうした傾向はあったが、ここまでではなかったような気がする。どんなものにも、かわいいイメージキャラクターが創り出され、製品などに添えられている。
どこの会社か忘れたが、家庭用品の通販カタログを見ていてびっくりした。家庭用品はやはりその家の奥さんが選ぶことが多いのではないか。つまりこのカタログのターゲットは大人なはずだ。なのに、そこに載っている家庭用品にはどれもディズニーなどのキャラクターものだったのだ。ネット通販などの宣伝を見ていてもディズニーの婚約指輪とかが出ていたりする。ギョギョギョである。こんなのを買う人がいるのだろうか!? 売っているのだから、きっといるのだろうが、しかし!
私が日本に帰ると必ず見る番組にNHKの『東京カワイイTV』がある。世界に誇る、日本のサブカルチャーがロリータなどの「カワイイ」ファッション。「カワイイ」はすでに世界共通語となっている。番組を見ていると、私の日常とはあまりに逸脱していて楽しめてしまう。
ニュージーランドにもじわじわとキティーちゃんなどのキャラクターが入ってきてはいるが、その存在はまだまだ微々たるもの。車で町を走っていても、どこにも「カワイイ」ものなどありゃしない。それが何だか殺風景に見えてくる。恐るべし! 日本の「カワイイ」ものたち!
2010年8月28日
10×6=60なのだけれど
ニュージーランドの小学校と日本の小学校で違うところは星の数ほどもある。ものによっては、正反対なんじゃないか、と思うことすら少なくない。そんな中でも最近「ふむふむ、そんな風に教わるんだ」と感心したのは算数だ。
娘はかけ算を今習っているのだが、例えば10×6=60という問題。ニュージーランドの場合は、10×6=60、6×10=60、10+10+10+10+10+10=60、6+6+6+6+6+6+6+6+6+6=60をまとめて学ぶ。また「×(かける)」もいろいろな風に呼ばれる。「times」という数式上の呼び方はもちろん、10×6であれば、「10 groups of 6 is 60」といったりもする。
「9×6の答えは?」と訊かれたら、習っていないとか、答えがわからないとは言わせない。子どもたちはわかっている
10 groups of 6から、9×6の答えを導くことを促される。9×6は9 groups of 6で、10 groups of 6より1group (6)少ないという風に考えて、九九のように頭に入っていなくても、子どもたちは答えを出す。
では6分の1という分数はどうか。分数のコンセプトを理解しているとして、「60の6分の1は?」と尋ねられたとする。10+10+10+10+10+10=60を思い出しさえすれば、子どもたちは答えを出せる。こういう習い方をしている娘に算数について質問されると、学び方がまったく違った私は最初とても戸惑った。最近は自分なりに当地の学習法を把握するように気をつけているので、だいぶましになったが。
当たり前じゃないかと呆れられるかもしれないが、こういう風にニュージーランド流の算数の教え方・学び方を見ていて初めて、四則算はそれぞれが別々のものではないということに気付いた。自分が習った時、その関連性はまったく認知していなかった(もっとも私が算数が得意でなかったせいもあるのかもしれないが)。繰り上がりにしても、繰り下がりにしても、九九にしても計算の方法・テクニックは教えてもらい、暗記したりして身につけ、複雑な計算ができるようになっていったが、こうした根幹の部分は気にもしていなかった。
ニュージーランドの子どもたちもTimes Tableと呼ばれる九九を覚えなくてはならない。それも×9までではなく、×12までだ。でも最初から「ににんがし」とかいう風に暗記させられることはない。個々の数字の成り立ちとでもいおうか、さっきも触れたベースの部分を理解してからとなる。
日本人の算数・数学の能力はニュージーランドを含め海外で高く評価されている。「公文式」の算数は私の住むようなちっぽけな町でも教室があるほどだ。しかし、ベースの部分をじっくり学ぶニュージーランド人も負けてはいない。2006年に57ヵ国の15歳児を対象に行なわれた「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」の数学的リテラシーでは、1ポイント差で日本の次にニュージーランドがつけている。この順位が逆転する日が来ないとはいえない。
2010年8月16日
香りや匂いが運ぶもの
最近は早くもちょっと春めいてきている。今冬は暖かい日が多く、まだタラナキ山に雪遊びにも行っていないのに、もう春が来るのだろうか。裏庭では緋寒桜が満開で、たくさんのトゥイたちが毎日遊びにやって来る。玄関脇の沈丁花が花をつけ、出入りする度にツンとした香りが漂い、気分を引き締めてくれる。
私は特に香りや匂いが原因で、昔のことを思い出すことが多い。まだ東京で会社勤めをしているころ、歩いて会社に通っている同僚がいて、途中に咲いている沈丁花の花をこっそり折ってきて、デスクに飾っていた。我が家の沈丁花の香りをかぐと、ふっと会社勤め時代の忙しい日々が蘇る。
小さい頃、夏休みに母方の祖父母の家に行くと、少しフルーツのような甘い香りのする花が咲いていた。ニュージーランドに住み始めて、その香りを再びかいだ時、私は一挙にその子ども時代に引き戻された。こちらでポートマグノリア(日本語ではカラタネオガタマというのだそう)と呼ばれている花だということを知り、即座に苗木を2本買い、庭に植えた。今は花を咲かせる夏から秋に、私は祖父母の思い出にひたる。
何もかぐわしい花の香りだけではない。埃の匂いですら、私をセンチメンタルな気持ちにさせる。これは私が通っていた小学校の図書室の匂いだ。夕方に差し込む西日の中で本を選ぶのが好きだった。埃の匂いをかぐと、この図書室で将来勉強するものを見出したのだったなぁと感慨深い。
せっかくニュージーランドに住んでいて、庭もあるのだから、香りをいい花をそろえようと思っている。ポートワインマグノリア、沈丁花、ラベンダー、フリージアはすでにあるが、少し前にクチナシを枯らしてしまった。毎日仕事やら家事やら子育てやらでバタバタしていて、なかなか庭まで手が回らないのだが、クチナシ、蝋梅、水仙なんかを植えたい。それに金木犀も。でも残念ながらこれはまだこの国では見たことがない。どの花も私には思い出いっぱいのもの。庭に花開く思い出たちは、日々の生活に追われる私を優しく包み込んでくれるはずだ。
2010年7月27日
「のんびり屋」の仮面にだまされるな!?
この国に住み始めて以来、ニュージーランド人(キーウィ)はのんびりしている人たちだと思っていたし、今もそれに変わりはない。しかし、彼らに対してそうしたイメージを持つがゆえに、しっぺ返しを食らうことがある。
一学期も終わりに近づいたころのこと。娘の水泳教室の二学期分の申し込みが始まったという張り紙が出た。レッスン前にそれに気付いたものの、「どうせキーウィはゆっくりしているから、今すぐに申し込まなくてもそうすぐには場所は埋まらないでしょ。それにこの国は人口も少ないしね~」などと思い、レッスンを見学した後に悠々と申し込みに行ったのが間違いだった。すでに放課後すぐの早い時間のレッスンは満杯。夕方5時15分終了のクラスしか空きがなく、そこに参加せざるを得なかった。
ゆっくりする時間も取ってやりたいし、宿題などもある。なので放課後さっさとお稽古事を済ませて帰宅するのが理想的なのだが、私が悠長に構えていたために二学期の水泳教室のある日は毎週あわただしくなるはめになってしまった。なので、三学期分のレッスンについては、その申し込みが始まった途端、その足で受け付けへ。おかげで思った通りの早い時間のレッスンを取ることができた。
また最近娘のクラスメートのお兄さんやお姉さんが進学希望を出していた中学・高校から返事をもらう時期に来ているせいもあって、小学校3年生の娘の進路をどうするか考え始めた。ほかのお母さんたちとそのことを話していてわかったことは、「私たちは遅い」ということ。教育熱心な親の中で、私立のカトリック系の中学・高校を子どもに選んだ人は、カトリック教徒ではなかったせいもあるが、すでに申し込みを済ませている。こうした親はさらに何人かクラスにいるという。そういえば、小学校を選ぶ時も、評判のいい私立へはその子どもが生まれた時に申し込むもんだと聞いたような記憶がある。
「のんびりしてないじゃない! キーウィってば!」と私は裏切られたような気分になる。のほほんとした顔をしていながら、肝心のことはさっさとやってのけているではないか。世界で指折りの能率の良さを誇る日本から来た私の方が、のんびり屋のイメージがあるキーウィより、のんきなのか!? 新しいキーウィ像と新しい自分を発見したような気がした。
2010年7月15日
世界で一番安全な国
最近日本の実家から送られてきた最近の新聞の切り抜きの中に、「世界平和度指数」の記事があった。これは英国の調査機関などが2007年から毎年世界149ヵ国の平和の度合いをランク付けし、発表しているものだ。外国との紛争や国内の殺人事件数、テロの危険性、人権保護の水準、軍事費など23項目の要素を数値化して、その順位をつける。切り抜きの赤線に目をやると、そのランキングで、ニュージーランドが2年連続1位に輝いたことがわかった。世界で最も安全な国というお墨付きをもらったわけである。
日本は3位。この指数によれば、日本はニュージーランドより危険なところなわけだ。20年も前のことだが、日本に住んでいたことがある夫に、子どもが見知らぬ人などにいたずらされたり、けがをさせられたりすることがあり、それを防止するために子どもの安全確保のためのシステムが日本でいろいろ発達していることをこの間話したら、驚いていた。日本は世界で一番安全な国だとまだ思っていたのだ。私も日本はこの数十年の間にずいぶん変わってしまったなぁと思う。それでも世界で3番目に安全な国なのだから、国から一歩出れば、もっと危ないところはいくつもあるということなのか。
つい数日前、クライストチャーチで警官と警察犬が銃で撃たれる事件が起こった。警官はけがを負い、警察犬は死んだ。パトカーの中に銃はあったらしいが、この国では基本的に警官は銃を携行しない。それが仇になったとして、あるテレビ番組で視聴者投票をしたところ、80パーセント以上が警官は常に銃を身につけているべきだという結果が出た。
私はこれを見ていて、とても残念だなぁと思った。もちろん警官が勤務中にけがをしたり、亡くなったりするのはいけないと思う(これは警察犬も同様だ)。しかし、何が「タマゴ」で何が「ニワトリ」なのかわからないけれど、これが銃社会への一歩のような気がするからだ。日本のように警官が銃を携行していても、銃社会にはなっていない例もあるだろう。しかし、もともとニュージーランドでは銃は日本に比べれば、身近な存在なのではないか。ファームは多く、ハンティングをする人も珍しくない。
来年の「世界平和度指数」でも、ニュージーランドが1位でありますように。
2010年6月30日
歳をとっても大事にしたい
愛猫を見ていて、「最近歳をとったなぁ」と思うようになった。かつては誰をも魅了した容色は衰えを見せつつある。すでに12歳。当然なのかもしれない。温かいところで寝ていることが多くなった。歳のせいだからだろうと思っていたら、何回か左前足を引きずって歩いているのに気付き、足が痛くてあまり動きたくないのかもしれないと気付いた。
獣医さんに連れていくと触診では、左前足のひじの部分に関節炎、指の部分にその他の問題があるかもしれないということで、原因をはっきりさせるためにレントゲン撮影を薦められた。動物はものが言えない分、きちんと飼い主が病状を把握してやらなくてはならないなと常々思っているが、その料金は相当なもの。レントゲンを受けさせるかどうか考えている時、知り合いとおしゃべりをしていて、歳をとったペットの話になった。
彼女は、「もしペットが歳をとって動けなくなったら、安楽死を選ぶ」とためらいなく言った。「犬なら走り回るとか、猫なら獲物をとってくるとか、その動物ならではの充実した生活を送れなくなったら、生きている意味はない」というのがその理由。私は、ああやっぱりそうなんだ、と思った。この国の人のおおかたの考え方は彼女と同じだ。どんなに長く海外に暮らしていても、どうしても理解できないことはあるもので、私にとってはこれもそのひとつ。
日本に暮らしている時、道端で飛べなくなったハトを見つけたことがある。獣医さんに連れていって、ン万円をかけて翼にギプスをしてもらった。結局飛べるようにはならず、彼(たぶん)はカゴの中で一生暮らすことになった。きっとここで起こったことなら、「鳥が飛べないなんて、もってのほか。生きていたらかわいそう。安楽死させてあげればいいのに」と言われたに違いない。
歳をとって病気になったり、体が動かなくなることが、イコール充実した生活を送っていないとどうやって決められるの? 動物がしゃべれたら、何と言うのだろう? なぜ人間に動物のことがわかるの?
結局我が家の老嬢はレントゲン検査を受け、変形性脊椎症であることがわかった。炎症と痛みを和らげる薬が処方され、それをのませているが、行動が目立って若返ったということはない。それでも、痛みがましになって過ごしやすくなっているのではないかと想像してみる。でももしかしたら、本当は「あんまり効いてにゃいよ」と本人(猫)は思ってるのかもしれない。これからもできるだけ大事にしてやりたいなぁと思う。
2010年6月13日
サイドラインのポジティブな親たち
「そちらではみんなあんなに熱心な応援をするの?」 実家の両親とおしゃべりをした時に、こう尋ねられた。ユーチューブに載せた娘のサッカーの試合を見ての感想の開口一番がこれだった。その直後に、週に一度のサッカーの試合があり、たまたまチームメイトのお母さんと「こんなに声援を送るのは、私たちだけだわねぇ」と笑いあったこともあり、私も気付いた。子どものサッカーの試合の時にここまで声高に応援するのは、どうも娘の学校の親たちの特徴のようなのだ。
この国の子育ての基本は「褒める」ということ。褒めるに値することをした時に褒められるのは当たり前だが、例え結果が芳しくなくても努力を怠らず、それが認められれば、子どもはおおいに褒められる。親や教師はその子のマイナス面ではなく、プラス面を評価する。子どものいるところではどこででもそれは実行されているが、その極みがこのサッカーの試合なのではないかと思う。
「その調子!」、「そこでボールを取らなきゃ!」、「みんなで助け合わなくちゃだめよ!」、「そこにいる○○くんにパスして!」と、応援とアドバイスの声が飛ぶ。そして、「よくできたね、△△ちゃん!」、「□□くん、よくがんばった!」と、その場で褒めちぎる。上手な子がゴールを決めれば、親たちはその子に拍手喝采を送る。当たり前のことだろう。しかし、そう上手ではない子がうまくパスできた時なども、それだけでゴールを決めた子と同じぐらい褒められる。
そして、それは自分のチームだけにとどまらない。相手チームが得点を入れたり、いいプレーをした時も、同様に褒めたたえる。
スポーツの試合のサイドラインで、応援が白熱するあまり親が相手のチームや審判をけなし、口論になるというのは決して聞かない話ではない。しかし、娘のチームの応援をしている限り、それは一体どこの世界のこと? と思いたくなるほど、どの親もポジティブだ。確かに私たちはうるさい観客だろう。しかし、そのポジティブさを受けてか、娘のチームはいつも和気あいあい。7歳児のチームながら、8歳児のチームを相手になかなか奮闘しているのである。
2010年5月29日
ピアノのお稽古にまつわる「ところ変われば……」
海外暮らしには、「ところ変われば……」ということがつきものだが、娘が習うピアノのお稽古では、そんなことが目白押しで、かなり面食らうことが多い。私も小さい時にピアノを10年ほど習っていたせいもあって、国や時代の違いをひしひしと感じる。
そもそも最初の一歩から、そんなことをガツンとかまされた。5歳の娘を先生のところに連れていったら、「5歳? 習うにはまだ早いわね~」と言われたのだ。私がピアノを習い始めたのは3歳。なので5歳ではもう遅いかもなどと思っていたのだが、そうではないのだ。びっくりして「私は3歳から習っていましたが」と口に出すと、先生はとりあえず娘が指示を理解して、それを実行できるかどうか見てくれた。結局は習わせてもらえることになったのだが、先生は「普通だったら5歳は教えないんだけどね」と最後まで言っていた。
普段の家での練習もしかり。私は毎日最低1時間はピアノの練習をしていた。しかし、娘の練習はほんの10分か15分。先生いわく「短時間でも毎日やることに意義がある」とのことで、この年齢で毎日練習をするとなると、それに費やす時間はこれぐらいが妥当でしょう、というのである。私は小さい時の自分と比べて、娘がちょっとうらやましかった。
少し前にあったリサイタルでも、想像とは違うことがあった。「リサイタルに出る」と聞いて、「これはきれいな服でも新調してあげなくちゃいけないかしら?」とまず思った。私は父母に発表会のためにきれいなドレスを買ってもらったものだった。本人に尋ねると、「うん、ちょっといつもよりきれいな格好をしてくるといいよって先生が言っていた」と言う。そこでふと気付いた。きっと私が発表会に着ていったようなドレスなんかだったら、周りから浮くに違いない、と。
なので、先生のアドバイス通り、いつもよりちょっとこぎれいな程度の服を着させてリサイタルへ。着飾っているわけでもないし、だからといって場違いなものを着ているわけでもなく、ちょうどいい感じだったので、ほっとした。女の子の中には、本格的なドレスを着、おそろいの羽根つきのきれいな帽子をかぶっている10代もいるにはいたが、その一方で体のラインが見えるピチピチのジーンズにブーツといういでたちの子も少なくなかった。男の子の方が総じてこぎれいで、ジーンズではない普通のズボンに襟つきのシャツというオーソドックスな点が皆同じだった。女の子の方がきちんとしているかと思ったらそういうわけではなかった。面白いものだ。
それに演奏が始まってみると、年齢に関係なく、みんな楽譜を見て演奏しているではないか。「あれ? うちの子のように小さい子だけが楽譜を見ることを許されているわけではなかったんだ」と気付く。私の時の発表会では暗譜が大前提だったのだ。なので、より間違える可能性があったし、そのこと自体を考えると、幼いながらとても緊張したのをよく覚えている。
こうしてみると、ピアノのお稽古ひとつとっても、ニュージーランドのおおらかさが見られるものだ。時々こんなにゆったり、のんびりでいいの!? と不安にならなくもない。しかし、娘がこの先一生ピアノを楽しめるといいだろうと願ってのお稽古である。何だか今のニュージーランド式の方が長続きしそうでいいではないか。
2010年5月11日
やっぱり普通の人なのね
一応フリーランス・ライターなので、取材やインタビューに出ることはあっても、たいていは自宅で仕事をしている。我が家の前の通りは道幅は広く、車はそこそこ通るが、人通りは少ない。
クーリエ便の配達員か、何か渡すものがあって寄る友人ぐらいのもので、私は誰にも邪魔されずに仕事をすることができる……はずなのだが、それが時にそうはいかないことがある。要するに「招かざる客」がドアをノックすることがあるのだ。十中八九、それは宗教の勧誘の人だ。2、3人の、年齢もさまざまな男女が、信者にならないかと勧誘にやって来る。
最初は私はお人よしにもドアをいちいち開けていた。私は、「子どもの時は神社で七五三をし、年頃になればキリスト教で結婚し、死んだら仏式でお葬式をする国」から来た人間なので、「人間の力の及ばない『力』の存在」や「八百万の神」などは信じているけれど、特定の宗教の信徒というわけではない。つまり基本的に「無宗教」だ。なので、彼らと対峙する時は、「あなたたちの宗教に興味はないから」と断る。最近はだんだん億劫になり、彼らが必ずグループでやってくることを発見してからは、居留守を使う。何度来られても同じなんだけどなぁ。
ある日、車で外出から戻ると、我が家の玄関に人影があることに気付いた。また勧誘の人に違いない。そこで私は(人が悪いのだが、好奇心から)そ知らぬ顔をして、近くに車をとめ、グループが何をするのか見守った。かなり年配の男性と50代の女性、そして60代ぐらいの女性の3人組だ。誰も家にいないとわかると、通りに引き返してきて、そこで何か話している。すると向こうから今度は男女のペアが通りの同じ側を歩いてくる。そのペアは結局3人組に合流し、ひとしきり話した後、それぞれの車に乗って、去って行った。
近所の人が勧誘に来ているわけではないのだ。わざわざ車に乗ってほかのエリアにまで来て、信者を増やそうとしているのだ。世知辛い私は「ガソリン代はどうなっているんだろう? まさか出してもらっているわけもなかろうから、これも奉仕なのだろうな。信者を増やそうと自分の信じる宗教のために努力をするなんて、すごいなぁ」と感心してしまった。
ところが、その後同じ3人組をまた我が家の近くで見かけた。私が郵便箱に郵便物を取りに行った時のことだ。道を渡ればすぐの彼らの目の前に、私は立っている。熱心な彼らのことだ、「これはつかまって、勧誘されるかも」と思ったが、さにあらず。彼らは、今日のターゲットは通りの反対側と決めているようだ。私に気付いても無視。黙々と通りの反対側を歩き続け、向かいの家に消えていった。この間まで彼らのことを「熱心だなぁ。私にはできないなぁ」と思っていたが、道を渡ってまで声をかけるほど熱心でもない彼らの姿を見て、「あぁ、やっぱり普通の人なのね」と思った。
2010年5月1日
誰それ!?
「……でね、そこに『ジョン』が来て、直してくれたのだけど、すぐにまた壊れてその日はもう使うのをあきらめたのよ~……」と知り合ったばかりの女性がしゃべっているのを聞いていて、「ジョンとは誰ぞや~!?」と私は想像たくましくしなければならなくなった。かなりうっとうしい。この「ジョン」って一体誰なの!? はっきり説明してほしい。
話していることはちゃんと理解できるのに、この「ジョン」という人物の説明がないがために、続けられる話を、釈然としないまま聞くことになる。注意深く話を聞いているうちに、その前後関係から「ジョン」というのは、話している人のご主人だということがわかってくる。やっと、自分の中でも彼女の話のつじつまが合って、すっきりする。
この国で暮らしていると、こんなことがしょっちゅうだ。キーウィたちは例え相手が初対面であっても、個人の名前を出して話をする。要するに、「……でね、そこに『夫』が来て、直してくれたのだけど、すぐにまた壊れてその日はもう使うのをあきらめたのよ~……」と話してくれればいいのに、それを絶対にせずに、「ジョン」とくる。
それなら「ジョンって誰?」と尋ねればいいのだろうが、調子よくしゃべっている相手の話の腰を折ることになるし、何より、人のことを質問するわけで、それがその本人、そして話している人に失礼にならないとも限らない。そう考えるとどうも尋ねるのが億劫になって、結局自分で答えを探す方を選んでしまう。
たまたま少し前に在住のフランス人とオーストリア人と初対面で話す機会があったが、どちらもちゃんと「私の夫」とか、「友人」とか、「大家さん」とか、「娘」とかいう風に人物を登場させ、決して「デービッド」とか、「ブリジット」とか、「クリス」とか、「アマンダ」というように個人の名前がいきなり出てきて、私を迷わせることはなかった。誰彼構わず、相手がわかっているという勝手な前提で個人名を話中に出すのは、どうやらキーウィだけのようだ。
ニュージーランドで暮らして12年。キーウィたちが早口だったり、変な風に言葉をはしょったり、はたまた英語の中にマオリ語をまぜたりというのには慣れた。しかし、この「誰それ!?」と想像力をたくましくしなくてはいけないことは、この先まだまだありそうだ。
2010年4月24日
風邪の治し方
このところ風邪をひいていた。このことを実家の母に話すと、「早めにお医者さんに行きなさい」と言われた。しかしニュージーランドでは、特に「早めに」医者に診てもらっても、たいていの場合あまり風邪を治すのには役に立たない。
日本に住んでいたころは、こんな時にはよく救急センターを利用したものだった。常に仕事は忙しく、休みは取れない。いや正確には、当然取ってもいいのだが、治って出勤した時の机上を想像しただけで、また病気になりそうな気がして、それぐらいならさっさと何とかして治そうと思う。そういう時には会社がひけてからや、週末などに救急センターに駆け込んだ。
当時、私が行っていた救急センターは夜間に内科の患者を診てくれるところで、救急車で担ぎこまれるほど症状は重くないけれど、翌朝一般医が開くより前には診てもらわないと夜を越すのがつらいというような人が自家用車などで来ていた。診察後には向こう数日間分の薬が処方される。それをのみ終わる前に主治医に行き、ちゃんと診てもらいなさい、というのが救急センターの姿勢だった。
そこで処方される薬がたいていの場合、とても効いた。忙しかった私はそこでもらった薬をのみ、そのまま主治医にも行かずに働き続けた……というより、主治医に行く時間を節約するために、救急センター利用していた、と言った方が正確だろう。
ところが、ニュージーランドに暮らす今、私は風邪をひいたら医者に行くことなど考えず、とにかく時間を確保してひたすら休む。どんなに忙しくても、これが手っ取り早い。早い時期に治してしまいたいと思うのは、患者の当たり前の心情だ。しかし、「早い時期」に医者に行くと、「まだこの風邪がウィルス性のものなのか、そうでないのかわからないから、今のところ何も処方できません」と言って、帰される。薬がたくさん出る国、日本から来た人間としては、「何でもいいから薬を出してください~!」と言いたくなるが、それはこの国では通用しない。
「早い時期」に限らず、かかってからしばらくして医者に行っても、扁桃腺が腫れているとかよほどの症状が出ていない限り、薬はもらえない。風邪などはゆっくり休み、水分を摂り、栄養のあるものを食べて自分で治すのが一番だということをこの国は教えてくれる。そして日本に住んでいた時、自分がかなりヤバい人間だったことに気付かされる。
だから、昔は救急センターの馴染みだった私も、この国流に切り替えて(半ば仕方ないというのもあるのだけれど)、たっぷり休息をとるように心がける。真昼間からベッドで寝ていると、「きっとこれが正しい風邪の治し方なんだよな~」としみじみ思う。しかしその一方で、「今日本の救急センターがここにあったら、もっと効率がいいのだけど」と、ちょっぴり悔しくも思ったりするのだが。
2010年4月8日
「ベーコン&チーズ」味はキーウィ好みの味!?
このところ、スーパーマーケットで探し物を何回かするはめになった。探していたものは「ベーコン&チーズ」フレーバーのものいろいろ……である。これは娘の大好きなフレーバーのひとつなのだが、これが町のスーパーマーケットから、一時的とはいえ姿を消したのだ!
まず最初に気付いたのは、メインランド社のスライスチーズのベーコン味。これまでも何回もこのフレーバーは棚から消えては、蘇り、蘇っては消えていた。一時は見つけた時にはまとめ買いをしたこともあった。しかし、今回は見かけなくなってからもうずいぶんになる。ほかのフレーバーは全部そろっているのに、これだけ未だにどうしてもない。
そして、アーノッツ社から出ているクラッカー、「シェイプス」のチーズ&ベーコン味。このクラッカーは、ピザ、バーベキュー、チキンなど、フレーバーの種類は豊富だが、なぜかチーズ&ベーコン味の箱が積みあがっているはずのスペースだけはボコッと空き、何もないことが多い。ほかのフレーバーは棚にいっぱいまだ残っているというのに。以前もこういうことはあったので、そう驚きはせず、この時はほかのものを買って済ませた。後日確認したら、チーズ&ベーコン味はちゃんといつもの棚に戻っていた。
最後が、ブルーバーズ・フード社の、クラッカーをクリーム状のチーズにつけて食べる、「ル・スナック」のチーズ&ベーコン味。これを買おうとスーパーマーケットに行ったところ、シェイプス同様、このフレーバーがあるはずのスペースだけ空っぽになっていた。これはどうしても手に入れたかったので、市内のほかの主要スーパーマーケットをはしごしたのだが、結果は同様。さすがにこれには驚いた。時々、パッケージなどのデザインが変更になる時には、既存のものが売れてしまっても、その新しいものが発売になるまで、品物が補充されないことがある。今回もてっきりそれかと思っていた。ところがカムバックを果たしたチーズ&ベーコン味の姿は、以前と何も変わらなかった。
おおげさかもしれないが、この事件(?)があるまでは、個々の商品として、縦割りにしか商品を認識していなかったのだが、このことをきっかけに、商品を「ベーコン&チーズ」味という横割りで見てみると、いつもとは違ったニュージーランドが見えてきた。バーベキュー好きなキーウィ、いつも酪農製品を食べて大きくなってきたキーウィ。多くの商品の一番人気のフレーバーは、ベーコン&チーズなのはもっともなことなのだろう。今度一度大々的に人気のフレーバー・アンケートでもやってほしい。きっと「ベーコン&チーズ」フレーバーは1位か2位に入るに違いない。
2010年3月21日
「投げる」のはキーウィ文化なのか?
かねがねキーウィが取る行動でどうも気になっていると同時に、好きになれないことがある。いやそれ以上に嫌いだといえなくもない。それは何かといえば、彼らが何でもものを「投げる」ということだ。
私が気にするそんな「投げる」現象が頻繁に観察できるところにスーパーマーケットがある。
日本と比べると確かに、スーパーマーケット自体が広くて、棚と棚の間の通路もたっぷりとスペースがとられている。自分とトロリーの距離も多少はあるだろう。それにトロリーも大きい。投げたら入りやすかろう。しかし、自分が買おうとしているものを棚から取って、何もトロリーに投げ入れなくてもいいじゃないか、と思うのだ。それも特に私が気になるのは食料品を投げること。
世界中で、そしてニュージーランド国内でだって、食べ物に不自由している人はごまんといる。食べ物を買える、手に入れられるだけでも幸せなことだと思うべきじゃないのだろうか? 食べ物が手元にあるということを軽々しく思っていないだろうか。当たり前だと思ってやしないか。大切にしてしかるべき食べ物を投げるとは、けしからん! というのが私の言い分である。
品物を投げるという行為は、買い物の最中にだけ見られるわけではない。レジに並び、コンベヤの上に品物を並べる時にも、人々はトロリーからコンベヤに向かって買うものを投げるのだ。その様子を見て、「キミたちはどこまでモノを投げれば気が済むんだっ!?」と、あきれてしまう。
くたびれた服を着ている人も、最新ファッションで身をかためている人も、投げる人は投げている。この「投げる」という行動は別に教養だとか、収入だとか、性別に関係があるわけではなさそうだ。
学校でも「投げる」現象は見られる。あと少しで生徒に届くという距離にいる先生は、その子に渡すべきものを投げてよこす。それはノートだったり、本の入ったブックバッグだったりする。先生にしてみれば、忙しいのだろうし、あとちょっとで届く距離だからこそ投げるのだろうけれど(教室のはじにいる先生が「××く~ん、は~い、ノートを返すわね~」と叫んで、教室の反対側にいる生徒にノートを投げているのは見たことがないから)、私にしてみれば、あとちょっとで届く距離なのだから、もうちょっと身を伸ばすとか、一歩踏み出すとかして、投げるのではなく、渡してほしいと思うのだが。
これも別に性別などに関係あるわけではないし、○○先生だけが投げるというのではなくて、どの先生も投げているように見られる。
こうした場で「投げる」という行動に出ることは、おそらく日本ではないはずで(少なくとも私が住んでいた十数年前にはなかった)、そうなってくると「文化」なのかしら? とも思ったりする。「郷に入れば郷に従え」というが、この点ではどうしても納得いかず、「郷に従え」ない私である。
2010年3月11日
“自宅勤務”はつらいよ
初めて顔を合わせる人とのおしゃべりの時に必ず話に上るのが、「仕事は何をしているのか」ということ。私がフリーランスで自宅で仕事をしていることを話すと、それを聞いたたいていの人、特に母親たちは「いいわねぇ」とため息をもらす。通勤しなくていい、好きな時間に仕事ができる……メリットはいくつかあるが、その中で一番なのは、子どものスケジュールに合わせて仕事が組めることだろう。朝礼でクラスの発表があったり、スポーツ大会や遠足があったら、十中八九子どもの姿を見に行ける。だから、私が仕事をしているのを知らない人はきっと「お気楽でいいなぁ」と思っていると思う。
しかし! かなりつらいのだ、この“自宅勤務”というやつは。もしかすると通勤して仕事をしているのよりもタチが悪いかもしれない。
まず、同僚(もちろん上司も)がいないので、ちょっとしたことをその場で確認できない。例えば、英語の言葉がそのまま今ではカタカナで日本語として取り入れられている場合があるが、そういった言葉の確認にはいちいちインターネットなどを見なくてはいけない。会社に勤務しているのだったら、誰かしら周りにいるので、「××ちゃ~ん、『neglect』って、日本で今そのまま『ネグレクト』って使ってたっけ~?」という風に気軽に尋ね、疑問を瞬時に解決できる。このへんがデメリットのひとつである。
そして決定的なのは、何をするにしても「ながら」族でいなくてはならないことだろう。もちろん家の中の一室を仕事部屋にあて、そこで仕事をするのだが、それでも家の中であることには変わりなく、ひとたび仕事部屋から出ようとドアを開ければ、そこには洗濯物の山が「早く洗って~」と私を待っていたりする。
子どものスケジュールに合わせるがために、無理をしなくてはいけないことも多い。そうすると集中して仕事だけをする時間だけでなく、家事をやりながらも仕事、ということになる。洗濯機を回しながら、煮物を煮込み、その間にメールをチェックするとか。これは外出先でも一緒。八百屋で野菜を買った後に、仕事用の写真撮影をして、次には子どもの本を借りに図書館に立ち寄る……といった具合。常に家事や育児の間に仕事が混在している感じで、時々、頭がしびれてくることがある。「ちょうどニンニクを切らしているからそれを買って……今日の撮影は通りの向こう側からのアングルがいいだろうから、そこで撮ることにしようかな?……あら、今日はトウモロコシがお買い得」となどと、頭の中はかなりまぜこじゃになっていることも多い。
まぜこじゃのまま、放っておいてもいいのだったらいいのだが、そこはあくまで“仕事”なので、クオリティーの高いものを納めるために、当たり前だがこのこんがらがった頭の中をきちんと整理しなくてはならない。
時々自分が若い時から「ながら」族だったことを思い出す。親には「よくテレビを見ながら宿題ができるわね~」と感心されたものだった。それも宿題の出来はそう悪くなかった。もしかすると、当時は想像だにしなかったが、それは今の「ながら」人生を歩むための自主トレだったのかもしれない、なんて思ったりする。
2010年2月23日
なぜそこでチョコレートなのか?
先日遠路はるばる来てくれた友人がチョコとバニラを格子模様にしたクッキーを焼いて持ってきてくれた。それがあまりにきれいだったので、子どもの学校のモーニングティーに持たせてしまった。そうしたら帰ってきた娘に「こういう不健康なものを入れちゃだめだよ」と言われた。おっしゃる通り。基本的に幼稚園や小学校などではチョコレートはご法度だからだ。チョコレートそのものはもちろん、それが入ったクッキーやマフィンなどといったものも持ってくるべきでないとするところは多い。いつもは気をつけているのだが、その時は不覚にも入れてしまった。
子どもたちが「チョコレート=不健康」という図式で導かれていく一方で、とかくキーウィはチョコレート好きである。チョコレートを食べると幸せな気分になれることが科学的に証明されているとか、カカオの含有率の高いチョコレートはポリフェノールを含み、抗酸化作用があるとかいい、糖分のことをどがえしして、チョコ礼賛である。だから、およばれした時などにはボックス入りのチョコレートを持っていけば間違いはないので、わかりやすいといえばわかりやすくていいのだが……。
かくいう私も決してチョコレートが嫌いなわけではない。しかし、キーウィのチョコ好きは度を越えていると、時々思う。その証拠とでもいおうか、チョコレートを含む食品は過剰なほど多岐にわたっている。
娘がほしがるものの一度も買ってやっていないものに、チョコレート味のヨーグルトがある。ヨーグルトにはヨーグルト本来の味わいがあり、果物が加えられてもそれは損なわれないが、チョコレートはどうだろう? ヨーグルトをチョコ味として食べる必要があるだろうか? それとチョコレートのかかっているミューズリーバー。最近よくメディアにも取り上げられているが、一見ヘルシーなイメージのミューズリーバーの糖分は実は相当なもの。私はチョコがかかっているものは決して買わないのだが、かかっていないものを探すのが大変なほど、ほとんどのものにチョコはかかっている。
そのほかにもこれがチョコレート味でどうする? と思うものに、チョコレート・コーティングされたプレッツェル、チョコ味のホットクロスバンズやチーズケーキ、イチゴにかけるチョコレート・ソース(イチゴの自然な甘みなど無視なのだ)などがある。少し前の話だが、ニュージーランドはチョコレート味のチーズをアジア市場向けに輸出して、好評を博しているというニュースもあった。
時々私は、人々はチョコレートに丸め込まれていやしないか? と思うことがある。たいした味のものでなくてもチョコをかければ何とかなるさ、チョコ味にすればみんなチョコ好きなんだから売れるさ、という売り手側の思惑がみえみえのような気がする。
そのうちチョコレート・ソースのベイクトビーンズ、チョコのつまったソーセージ、チョコ味のビールなんて登場する日がくるのかもしれない。
2010年2月15日
あなたの周りに“ヒーラー”はいませんか?
どんな子どもでも、親が「これでいいのだろうか?」と思う素行はあるわけで、そんな場合、誰に相談するかといえば、まずは夫もしくは妻、それから知り合いのお母さんが挙げられるだろう。結構ほかのお母さんたちの意見は参考になるものだが、心理学のプロに研究に裏打ちされた話を聞いてみたい……ということも時折あったりしないだろうか。
私の知り合いに見事にそういう人がいて、おしゃべりついでに時々相談を持ちかける。彼女自身も母親なので、自分の子育て上学んだこと+心理学を学び、カウンセラーとして経験したことと、知識が豊富で、いろいろなアイデアを授けてくれる、非常に頼りになる存在だ。
しかし、彼女のイメージがガラガラと崩れたのは、去年のスクール・ディスコでのことである。私は彼女のことを非常に論理的な人だと思っていたのだが、ガンガン鳴る音楽に踊りまくっている子どもたちを横目に、久しぶりに彼女に会い近況を聞いた。すると彼女はうるんだ目でこう言った。「私、今は“ヒーラー”をしているの」。
ヒーラー、ひーらー、healer……。要するに霊能力を利用して、その人の心の傷やトラウマを治療する人のことだ。辞書には“心霊治療家”とある。彼女のこの言葉を聞いて以来、注意していたら、この手の道に走っている人が実に多いことに気付いた。有名なところではレイキ。そのほかにもシャーマニズムを使ったり、色を使ったり、声音を使ったりと、種類はさまざまのようだ。
ニュージーランドの全人口のうち、3分の1は神を信じず、3分の1は人間の力の及ばない何らかの大きな存在があると信じ、3分の1は神を信じているというのが最近のキーウィの宗教に対するトレンドだそうだ。全国的に見ると「神離れ」が進んできているようだが、それでも私が住むのは、近郊の町を入れても人口4万人ほどの田舎町。田舎町にはコンサバな、神への信仰心あつい人が主流だろうという私の予想をくつがえすかのように、ニューエイジ系の人が多いのに、驚かされる。
タロットやクリスタルを使った占い、亡くなった人との交信をするサイキック(霊媒)、アロマセラピー、催眠療法、パワーストーンなどの集められたスピリチュアル系のイベントがあれば、女性を中心にたくさんの人が集まり、いつ行なわれても盛況だ。
時代なのか? それとも「類は友を呼ぶ」で「ニューエイジ系信仰者がニューエイジ系信仰者を呼んで」いるのだろうか? 気がつかないだけで、あなたの周りにもヒーラーが意外に多くいるかもしれない。
2010年2月4日
年齢をまたがってのクラス構成
いよいよ新学期が始まった。どの子の心の中も、「ワクワクするけれど、でもちょっと不安」といったところだろう。親の方も「今度はどんな先生かな?」とドキドキしたり、楽しみだったり。親子それぞれの思いを秘め、1学期の初日はやって来た。
先生も変わるし、自分の机ももらえる(前学年までは少人数で円卓を使っていた)。けれど、娘の通う学校が規模が小さく1学年1クラスしかないため、転校生でもいない限り、顔ぶれは今までと変わらないのだろうと思っていた。けれども、いざ登校してみると、私たちの予想外にメンバーは変わっていたのだ。
ニュージーランドでは、親が子どもの進級を決められる。そもそも小学校に入学するのでさえ、5歳で入るのか、6歳で入るのかを決められるのだ。ある意味進級するか否かを親が決められるのは当然至極なことかも知れない。学年末に成績表が配られ、それには教師によりその子が翌年どの学年に行くのかが書かれている。しかし、その通りにしなくてはいけないわけではない。子どもがその学年の学習をきちんとこなせていないと親が判断した場合には、子どもは翌年もう一度同じ学年で勉強する。こうした判断を下すために、親は子どもの習熟度をきちんと把握する努力を怠らない。
娘のクラスには結局男の子2人、女の子1人がこの学年を再履修するために新しく加わった。この国の子どもたちはそれぞれの誕生日で入学してくる。娘は誕生日の11月から約1ヵ月だけ、この3人と同じクラスで勉強したことがあるので(つまり、彼らは翌年上の学年に進級したが、娘は1ヵ月しかその学年を経験していないので、同じ学年に残った)、違和感はないらしく、むしろ顔ぶれが変わって、楽しいらしい。ほかの子も彼らが「留年している」という風には受け取っていないようで、わきあいあいとしている。
学校によって違うのだと思うが、娘の学校では4年生以降、2つの年齢の子どもたちが1クラスを構成することになる。つまりRoom ○○は半分が4年生で、半分が5年生という風になるらしい(習熟度によって1学年の子どもが2クラスに振りわけられる)。
同じクラスで机を並べて共に勉強するとはいえ、子どもたちには年齢差が若干はあるわけで、そうした環境は大なり小なり、学校に在籍する限り続いていくようだ。親がきちんと見ていて、勉強に追いついていないとわかったら、同じ学年に子どもを残せるというチョイスがあるのは親として安心できることだし、年齢がミックスすることによって子どもたちにとってもメリットがあるのではないかな、と、これからのクラスの動向を楽しみにしている。
2010年1月26日
見知らぬ青年がもたらした素敵な日
この間、凧揚げを楽しむイベントがあった。「お正月といえば凧揚げ」とインプットされている日本人としては、折もよく、おまけに気持ちのいい晴天で、いかにも凧揚げ日和。イベントにそなえて、凧を新調し、張り切って参加した。会場はビーチから少し内側に入った芝生の広場。木が広場を縁取るように生えている以外は、参加者に影を提供しているポフトゥカワの木が真ん中ぐらいに数本あるが、よけようと思えばよけられる場所に立っている。
パンダ、トカゲ、ヘビ、フグといった大型でカラフルな凧のほかに、普通サイズのしっぽ付きのひし形のものが何連にも重なったもの、てんとう虫の形のものなどが風をはらむ。カメや猫、鳥などの動物型のものから三角形のオーソドックスなものまで、一般の人々の凧もそんな変り種に交じり、空はとてもにぎやかだ。
早速、私たちも揚げてみる。自分が最後に凧を揚げたのがいつなのか、もう覚えてもいない。それぐらいご無沙汰で、飛ばせられるかなぁとちょっぴり自信がなかったが、タラナキの風はそんな心配を吹き飛ばしてくれた。風の吹いてくる方向と強さがちょこちょこ変わるので、その度に凧はふらふらと頼りない動きをするが、糸を調節すると、すぐにまた揚がっていく。それでもほかの何人かのように上昇気流に乗る高さまでは揚げられずにいた。
もう少し高く……と思っていた矢先にやってしまった。急に風がやみ、凧は広場の真ん中に立つポフトゥカワの木の上の方にひっかかってしまったのだ。ポフトゥカワの多くは地上少しのところですぐに枝分かれしているので、比較的登りやすい。下から糸を引っ張ってみたところで取れるとも思えなかったので、まずは娘が木に登り、次に私が登った。それでも凧がひっかかっている枝をわずかに揺らすことができる程度。娘は「消防車を呼ぼう!」なんて言っている。四苦八苦していると、その内そこに居合わせた10歳ぐらいの男の子たちが数人、私たちの凧を取ってくれようと木に登ってくれた。遊び半分にしても、なかなか親切だ。
それでも結局誰も凧のひっかかっているところには届かず、「新調したばかりだけど、これはあきらめなくちゃいけないかな」と思いかけたその時だった。どこからともなく、16、7歳の青年が現れ、木に登り始めた。何も言わずに登り始めたので、あっけに取られて彼を見守った。さっきの小さい子たちに比べると体が大きい分、上まで行く腕力はあるのだが、先に行けば行くほど細くなる枝の上で自分の体重を支えるのが大変そうだ。それでも何とか凧に手が届き、糸を切って凧を下に落としてくれた。拍手喝采! 外見で人を判断してはいけないが、短いドレッドヘアにニットキャップをかぶった遊び人風に見える青年は木から降りるころには、私たちにとって、「ヒーロー」になっていた。
何かお礼をと思うが、手持ちのもので、あげて喜んでもらえそうなものは何もない。財布の中もほぼ空っぽ。しかし小銭をかき集めたら5ドル分ほどになった。「これ、少ないのだけど……」と差し出すと、「そんなのいいよ」と恥ずかしそうに笑いながらも、受け取ってくれた。
抜けるような青空に浮かぶカラフルな凧……これだけでも十分気持ちのいい日だったが、この青年のおかげで、この日はさらに素敵な日になった。見知らぬ人に親切にするのは勇気が要るもの。それをさらっとやってのけてくれた彼に出会うことができ、なかなか若者もやるもんだと、うれしくなった。こんな風な人と人との触れ合いがなくならないうちは、この社会は大丈夫なんて思ったりする。
2010年1月18日
鯨肉をめぐる思い
新年早々から日本の調査捕鯨船と反捕鯨団体シー・シェパードの抗議船が衝突し、後者が沈没するという事件が起こった。抗議船、アディ・ギル号の旗国として、ニュージーランドでは数日間にわたり、シー・シェパードよりの記事が各メディアのトップを飾っていた。こういう時、ニュージーランドに住む日本人としては、少し居心地が悪い。
今から10年ほど前のこと。ちょうどその時も今回のように日本の捕鯨船が槍玉に上がっていた。当時籍を置いていた会社でたまたま電話を取ったところ、名乗りもせずに急に「あなたは捕鯨に賛成ですか?」と英語で訊かれたことがある。私は、捕鯨はしなくて済むのならしないに越したことはないと思っている人間だ(これは今も変わらない)。ただ捕鯨問題の場合、日本側は調査だといい、ニュージーランド側は単にぜいたく品を捕るための、クジラの殺戮だといって過激な抗議行動に出る。私にはどちらもそれぞれ納得できないところがある。
質問には「反対です」と手短に答え、相手も納得したらしく、電話は切れた。電話帳で日本関連の企業を調べ、いたずら半分にかけまくっているのではないかなと思った。この電話のことを、ほかのスタッフとおしゃべりしている時、小学生時代の思い出がよみがえってきた。
こんなエピソードを披露すると、年齢がばれようというものだが、まぁよしとしよう。私が市立の小学校に通っていたころ、昼食は給食だった。中でも好きなメニューのうちのひとつが「鯨肉の竜田揚げ」だった。今ではせいたく品として扱われている鯨肉だが、当時は市内の何万人という小学生が1学期に1回程度は口にする庶民的な食材だったようだ。記憶をたどると、その肉は噛みごたえがあり、噛んでいるうちに、少し臭みというのだろうか、独特の味が出てくる。ニュージーランド人だってきっと嫌いな味じゃないだろうな、などと不謹慎に思ったりする。
鯨肉は、日本人にとって縄文時代以前からの「伝統食」。グローバル化に伴い、人々は自国文化のみならず、地球規模でものを考える必要性に迫られている。さらにそこへ自然環境への配慮の必要性が加わり、「伝統」の肩身はますます狭くなっているように感じる。地球、人類の存続がかかっているのだから、背に腹はかえられないわけだが、残念なことであるには違いない。私の小学生時代の大好きな味は遠い過去のものとなっていく。
2010年1月1日
やるじゃないか! ニュープリマス
夫の出身地である、ニュージーランドでも指折りの大きな街に滞在している。私たちが住むニュープリマスにはない、訪ねたら楽しそうなところがたくさんあって、「娘をここに連れていってやりたい、あそこに連れていってやりたい」などと、私自身目移りしてしまう。
こうしたアトラクションはもちろん観光客向けに存在するものなのだから当たり前といえば当たり前なのだが、入場料が高い。何年か前に足を運んで面白かったところに今回も行こうかと料金を調べてびっくりした。大人ひとりが55ドルになっていたからだ。こんなので音を上げていては甘いのかもしれない。野生動物などを見学するツアーなどはさらに値段が高い。何だかこうしてみると、ニュージーランドではなくて、日本にいるみたいだ。お金を払えば、いくらでも楽しいところはあるけど、そうでなければ……?
ニュープリマスでは、夏休みにはカウンシル主催のホリデー・プログラムが行なわれる。クリスマスの時期を除いて、ほぼ1ヵ月の間毎日のように、日中は子どもや家族向けに、夜間は主に大人向けにそれぞれ最低ひとつはイベントが行われる。テディベアズ・ピクニック、トレジャー・ハント、キッズ・マーケット、ストーリー・テリング、アート&クラフト各種などが昼間、バラエティーに富んだコンサート、パフォーマンス、公園での大画面での映画鑑賞などが夜に楽しめる。それにフェスティバル・オブ・ライトも忘れてはいけないだろう。街の中心にあるプケクラ・パークは凝ったイルミネーションで飾られ、夕涼みがてらそぞろ歩く人はひきも切らない。
カウンシル主催のこうしたイベントはすべて無料(ゴヴェット・ブルースター・アートギャラリーでのアクティビティは5ドルかかるが、たかが5ドルである)。私はこれはどの都市でも行なわれている、当たり前のことだと思っていた。今滞在している街はニュープリマスより何倍も大きいのだから、その種類や数ももっと多いだろうと期待して、同様の、当地のカウンシル主催のイベントリストに目を通したが、ほとんど何もないではないか! おまけにリスト中にあるものはどれも有料。6ドルのもの、12ドルのものが主流を占め、中には24ドルもかかるものがある。私の目算はおおいにはずれた。
ニュープリマスのカウンシル、偉い! 無料で楽しめるイベントをあそこまで用意しているのは、見上げたものだと改めて感心する。夏休みで子どもが家にずっといて、毎日どこに連れて行こうか、何をしようか頭を悩ませなくても、ホリデー・プログラムのパンフレットを開けば何とかなる。ニュープリマスは子どものいる家庭にとってはありがたい街なのである。
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