The website of Mari Clothier 執筆・リサーチ・取材・編集 ―― ニュージーランド在住ライター クローディアー真理


日々の暮らしの中で拾った ―― my ニュース

201776

Excellence」「Merit」「Achieved

私は日本生まれの日本育ちの上、ニュージーランドに移ってきたのは30代。この国の教育を受けたことがない。だから余計に教育に興味津々。娘が、保育園、幼稚園、小学校、中学校に通園・通学する際に、どんなことをするのかを見聞きしてきた。

私と娘では、国だけでなく、世代もずいぶん違うので、一概にいえないけれど、ニュージーランドの教育と日本のそれはあらゆる面で違っていて、目を白黒させつつ、子育てをしてきた。自由遊びのみの保育園や幼稚園、入学式がなく各人が5歳になったら通学を始める小学校、教室内でホワイトボードに向かって同じことを学ぶことがほとんどない小・中の授業――挙げればきりがない。

教育に関して驚かされるのは、中学で終わりというわけにはいかなかった。去年、高校にあがった娘がする学校の話に、私は、「ほ~」「へ~」「そうなの!?」と言うことがしょっちゅうある。

例えば、「Excellence」「Merit」「Achieved」「Not Achieved」。テストがある際やレポートを書く際に、結果はこの4つのレベルのどれかに振り分けられる。簡単にいえば、「Not Achieved」は「不合格」、「Achieved」は「合格」、「Excellence」は「優秀な成績で合格」、「Merit」は「Achieved」と「Excellence」の間で「良い成績で合格」といったところだ。

日本であれば、レポートにしても、テストにしても出たところ勝負で、最終的に自分が何点取れるか、合格なのか不合格なのかは、終わってみないとわからない。しかし、ニュージーランドでは、「Achieved」以上の評価基準が決まっていて、それがある程度の目安になる。レポートの場合、「Excellence」や「Merit」で合格したければ、各々どんな要素が含まれていなくてはならないかが、最初に生徒に明示される。テストでは、全問中、「Excellence」の問題、「Merit」の問題が決まっていて、それに正解できると、優秀もしくは良い成績での合格となる。なので、レポートでは、評価基準を理解して注意深く取り組めば、「Excellence」を取ることができる。テストでも、どれが「Excellence」や「Merit」の問題か、生徒はわかっているので、それを一生懸命解くようにする。

ニュー ジーランドの方針は、生徒を「すくい上げる」ものなのだなぁと気づかされる。生徒は、はっきりした基準を目標にしっかり勉強をし、成功するチャンスも少な くない。成功すれば、勉強を楽しく続けられる。日本の教育を受けた私にとっては、「ちょっとズルくない?」という気もする。今はどんな風に行われているか わからないけれど、当時私が受けた日本の教育が、生徒を「ふるいにかける」、非情なものに見えてくる。

2017年3月7日

大切なアイデンティティー

高校2年になる娘が英語の宿題を持って帰ってきた。どんな内容なのか尋ねると、「また『アイデンティティー』についてなの」と言う。そう言われてみれば、昨年、自らのアイデンティティーを表すエンブレムを作る宿題が出たっけ。今度はポスターを作るのだそうだ。

ご く最近、同様の宿題が出た、他校に通う、娘の友人の母親もぼやいていた。「なぜ『アイデンティティー』についての宿題が毎年のように出るの?」と。そんな ことをしている間に、数学の問題でも、スペリングでも、もっと実用的なことをやらせばいいのに、とも。確かにそれはそうだな、と私も内心思っていた。

ニュー ジーランドに暮らしていて、よく聞くのは、自らのアイデンティティーを見出せない若者が道をはずれてしまう話だ。マオリや南太平洋諸国系の若者に多く、自 分の文化が持つ価値観と、周囲の価値観の間で、どうしていいかわからなくなるのだそう。両民族には各々独特の考え方があり、この国で一般的な、いわゆる 「西洋的」な考え方とは違う。

私 が日本で大きくなる過程で、アイデンティティーなど考えることもなかったが、ここでは違うのだろう。さまざまな習慣・文化が混在する中で生きていくには、 「自分をしっかり持つ」ことが重要なのだ。そう考えると、学校で毎年のように自分のアイデンティティーを問われることは、悪いことではないような気がして きた。

2016年12月6日

民族と文化をめぐる2つの話

●1つ目
少し前のことになるが、オーストラリアの先住民、アボリジニに関するドキュメンタリーをテレビで見ていて、ショックを受けた。内容は、白人系の一般人が都市部、遠隔地それぞれに暮らすアボリジニの家庭を訪れ、寝食を共にするというもの。私は、20代半ばから中年という年齢の参加者の多くが、「アボリジニに接するのは今回が初めて」ということにとても驚いた。

オー クランドで仕事をしていた際、オーストラリア在住の日本人のメディア関係者に町を案内する機会があった。たまたま公共交通機関であるバスに一緒に乗った時 の彼女の言葉を今でもはっきりと覚えている――「マオリの人も一緒に乗るんですね」。びっくりした。彼女が言うには、はっきりした境界線があるわけではな いけれど、オーストラリアでは、アボリジニの人々と他のオーストラリア人は住み分けができていて、接点はないらしかった。

私が、ニュージーランドではマオリの人々はごく普通に、パケハ(白人を指すことが多い。非マオリ人)に交じって生活していることを話すと、今度は彼女が目を丸くした。

私が彼女の話を聞いてから、先日ドキュメンタリーを見るまでの間には15年近くの歳月が流れている。先住民をめぐるシチュエーションは変わっているはずと思っていたけれど、何も変わっていないのだろうか。残念だと思うと同時に、腹が立った。

●2つ目
昨日、娘の発表会に行った時のこと。楽器演奏あり、パフォーマンスありの会だったのだが、中に「スピーチ&ドラマ」という分野があった。私はよく知らないのだが、見ていると、ト書きを覚えて演じたり、詩をそらんじたりするものらしかった。

10歳ぐらいのインド人の女の子が舞台に立った。インドの女の子らしい長い黒髪を2つ に結び、ワンピースを着たその子が演目のタイトルを言う。「マーガレット・マーヒー作の……」。私はこの時点でジーンときてしまった。マーヒーは国際アン デルセン賞を受賞した、ニュージーランドを代表する児童文学・ファンタジー文学作家なのだ。とても「キーウィ」らしい詩を、「インド人」の女の子が感情を 込めて、「キーウィ」英語のアクセントで語っている。サリー姿のおばあちゃんも含めた、彼女の家族が見守る中で。

自分の文化を大切にしながらも、他文化を受け入れていく・尊重していくとは、まさにこういうことなんだろうなぁ、と感動した。

複 雑にもつれあった、私たちの今の世界の結び目は、そう簡単にほどくことはできない。それはわかっている。それでも、出演する子どもたちの姿を見ながら、し みじみ思った。「こんな風に、みんなの文化をみんなが敬意をもって接し、楽しみ、学んでいけば、世界は平和になるのになぁ」と。

2016828

英語

少し前に小耳にはさんだ日本のニュース。2020年度から、英語の「外国語活動」が小学校3年から開始され、現在それが行われている小学校56年では英語は「教科」に格上げになるらしい。

日 本人はなぜ英語が苦手なんだろう? 日本が「翻訳大国」であることに何か関係ないかな? と思ったりする。『ハリー・ポッター』シリーズの新作が出たら、 日本語訳がすぐに発刊されるし、ハリウッドのゴシップもすぐに日本語で耳に入る。私もその恩恵を受けた口ではある。小中高と好きだったのは欧米文学で、ず いぶん翻訳本のお世話になった。

で も当時、ある米国人男優のファンになり、彼のことがよく知りたいと思ったら、英語雑誌を読む以外、手はなかった。人は興味があることには一生懸命になれる もの。さして英語が好きというわけでも、得意というわけでもなかったけれど、私は辞書を片手に英語のティーン誌を読んだものだ。しかし今はインターネット もあって、翻訳された情報があふれかえっている。

こ こまで「至れり尽くせり」の環境はどうなのだろう? 「ほんの少し待てば日本語で情報は手に入る。わざわざ努力して英語なんか習得しなくても大丈夫」とい う考えにもなろうし、そもそも「英語でも頑張ってみるか」という意欲が失せはしないだろうか? 先にも触れたように、私が英語のティーン誌と格闘したの は、日本では誰も知らないだろう情報を手に入れたいというモチベーションがあったからこそ。そして、それを手に入れられた時の満足感は自然に私を「ほかの 英語誌には彼のことはどんな風に書いてあるだろう?」という次の挑戦へと導いてくれた。

私 の目には、日本の英語教育云々ではなく、日本のこうした環境が、日本人の英語力に影響しているように映る。日本は「至れり尽くせり」が上手な国であり、そ れは必ずしも悪いことばかりではない。海外では、その姿勢が高く評価されている。しかし、英語に関していえば、「不親切」になる方が、日本人のためになる ような気がする。

201663

日本人気質 vs キーウィ気質

日本からニュージーランドに移り住んで、早18年。日本はかけがえのない母国であり、私のアイデンティティーの核であることには間違いないのだが、一時帰国する度、生活の速いテンポや消費文化についていけず、タジタジとしてしまう。昔からの友人には、「真理はもう日本人じゃないんじゃないの?」などと冗談を言われる。

そ んな私が、夫と娘と連れ立って、最近小旅行に出かけたことがあった。行き先は私も夫も行ったことがあるものの、もう何十年も前の話。土地勘もないまま、だ いたいの当たりをつけ、訪れたいスポットを目指した。たどり着くのに、思っていたより時間が取られることもあったし、盛りだくさんで見学に時間がかかるこ ともあった。反対に、想像していたより近かったり、あっさり見学し終わったりして、時間が余ることもあった。

そんな時、私vs夫+娘で、意見がよく割れた。「すぐ近くに別の見どころがあるから、計画外だけどちょっとがんばって、そこも見に行こう!」という私の提案に、2人は「のんびり、計画していた次のところに行けばいいんじゃない? お茶をしてもいいのだし」と言う。これを何回か繰り返すうちに、ふと気づいた。もしかしたら、私のこの考え方、すごく日本人的なんじゃないか? と。

あ まりお休みがとれない日本人は、旅行も短期間で、たくさん、いろいろなところを周る。ツアーの旅程に目を通すだけでも、めまぐるしい。実際ニュージーラン ドにいて、日本人旅行者を迎えると、嵐のように来て、あっという間にいなくなる。そのあわただしさには驚くばかり。なので、まさか自分もそのノリで旅をし ていようとは思いもよらなかった。

「今回見損なったものもあるけど、また次の機会があるさ」という具合に、ニコニコ、マイペースで構えるキーウィ2人組。「そ・・・そんなものかしらっ!?」と、少々いらだつ気持ちを抑える日本人。ニュージーランドに何年暮らそうとも、抜けることがない日本人気質のなせる業なのかもしれない。

2016213

メールじゃ、わからない

先 日、同じ町に住む友人が交通事故でけがをした。たまたま知らずに別件で、事故の翌日に連絡を入れたところ、遠方の町を車で走っていたら、他の車にぶつけら れたと返事が来た。けがはひどくなかったけれど、念のため病院で診てもらったという。その後も何回かテキストやメールでやりとりしていたが、そう悪くはな さそうだったので、安心していた。

と ころが、である。いざ会ってみると、足には包帯を巻き、歩くのも大変そうではないか。さらには、肋骨にひびが入っていて、痛みで夜寝られないほどだと言 う。私を心配させないよう気遣って、本当のことを言ってこなかったのに違いない。けがは文面上よりずっと重いようなのだ。

テ キスト、メール、チャット、スカイプなどは、リアルタイムで相手とのやりとりが可能で、とても便利。まるで相手を目の前にして話しているかのようだ。しか し、「実際会ってはいない」という「落とし穴」があることを忘れがちだ。海外で暮らしていて、毎日のようにメールなどで日本の親と連絡を取り合っているか ら、親の状況はわかっていると思っていても、一時帰国して会ってみたら、父も母もすっかり年をとっていて、びっくりしたという話もよく耳にする。

そ れにスカイプは別だが、テキスト、メール、チャットでは、言葉のニュアンスまでは伝わらない。書き手はできるだけ簡単に書くし、読む側もさっと目を通すだ けで、「行間を読む」ことはない。この間、ママ友のひとりにテキストした時のこと。私は冗談めかして書いたのだが、ニュアンスがうまく伝わらず、彼女は私 が怒っているものと誤解していた。困ったものである。

テ クノロジーの進化のおかげで、連絡が瞬時に取れる世の中になっているがために、起こる弊害がある。相手との間にテクノロジーがあると、そこで実像はゆがん でしまう可能性がある。実際面と向かって会って、話をしない限りは、その人と本当にやりとりしたことにはならないことを忘れてはいけない。

2015112

風呂敷、万歳!

いきなりだが、ここでなぞなぞ。「私が日本にいる時は見向きもしなかったのに、ニュージーランドに来て、日常生活で重宝しているものな~んだ?」 答は「風呂敷」だ。

日 本にいた時、友人や同僚と集まろうという時には、レストランや居酒屋などを利用していた。けれど、ニュージーランドに来てからは、誰かの家でということが 多い。これは、私が日本にいた時は独身だったというせいもあるだろうし、日本の家は狭いけれど、ニュージーランドの家は広いという居住環境のせいもあるの だろう。家での集まりは珍しくない。その際、食べるものは持ち寄りというケースがほとんどなので、自宅で何かを料理して持参する。料理によって大皿に盛っ たり、大きめのお鉢に入れたり、はたまた鍋のままだったり。招待先まで運ぶのに、紙袋には入らないし、スーパーのレジ袋では安っぽく色気がない。そんな時 に活躍するのが、風呂敷なのだ。

ど んな形であろうと、温度がどうであろうと、多少もれたとしても、風呂敷なら大丈夫。何という頼もしさだろう。風呂敷の良いところはそれだけではない。和風 の柄が描かれていたり、伝統的な絞り染めだったりと、見た目もきれいだ。ニュージーランド人の家庭に風呂敷包みを持参すると、中身のお料理以前に、風呂敷 から会話が生まれる。スグレものだ。

おまけに何度も使える。もう来月は12月で、クリスマス。プレゼントを交換するシーズンだ。以前新聞に、包装紙の使い捨てをよしとしないニュージーランド人が、プレゼントを布地に包んで皆にあげたら喜ばれたという記事が載っていた。まさにそれは風呂敷ではないか。

機能的で、美しく、環境に優しい。四角い布地一枚を侮ってはいけない。

2015年9月21日

クセになるファンドレイジング

ニュージーランドで暮らしていると、よく聞かれる言葉のひとつに「ファンドレイジング(Fundraising)」 がある。簡単にいえば、「資金集め」のことだ。動物保護団体で、動物の数が通常より増えたためにえさ代が足りなくなったため、ダンススクールで大がかりな ショーを行うにあたり、その衣装代や会場代を捻出するため、経済的に恵まれない家庭出身の難病の子どもに海外で出術を受けさせるためなど、集団、個人にか かわらず、献金を募ったり、何かを売ったりして、費用を補う。それがファンド・レイジングだ。

我 が家はこのところ幾つかファンドレイジングをかけ持ちしているが、そのひとつが娘の修学旅行の費用を安く済ませるためのもの。日本だったら、その費用は有 無を言わさず親が全額支払わなくてはならないだろう。ニュージーランドでは、日本のように親が財布から全額出す家庭もあれば、私たちのように負担を軽くし たいとファンドレイジングをする家庭もある。

もちろん家庭が本当に経済的に困窮しているために、ファンドレイジングに参加するケースもある。しかし、私の周りには、ファンドレイジングの理由が「お金」ではない家庭も結構ある。では何のためか? それは「子ども」、そして「他の家庭との連帯感」のためなのだ。

今 回のように子どものための場合、たいていの場合、旅行に行く当人が努力するのは当たり前と、ファンドレイジングは子どもも巻き込んで行われる。今まで校内 でディスコ、古本セールなどのイベントを行ったり、チョコレート・バーや種子といった商品を売ったりしてきた。これらは親が中心となって計画、実行する が、準備や商品の販売などは子どもたちが担当する。わが子がこうした活動を通して、独立心を養ったり、社会勉強をしたりすることは大切と、ファンドレイジ ングに参加する家庭の親は考えている。そしてもうひとつの理由、「他の家庭との連帯感」だが、これは、親がファンドレイジングというひとつの目標に、他の 参加家庭と力を合わせて向かって行動することに意義を見出していることを意味する。

ファ ンドレイジングに実際参加すると、苦労はあっても、楽しみと満足感はそれをはるかに上回ることがわかる。それは子どもも、親も同じこと。面白い上に、経験 も積め、資金も補うこともできるなんて、なかなか素敵じゃないか? こんな風に我が家のように、ファンドレイジングがクセになっている家庭も決して少なく ないと思う。

20141118

親切は幸せのモト

8月末のカップケーキ・デーに続き、今月の初めにあったナショナル・アピール・デーにも、娘に付き合ってSPCAのボランティアとして街頭に立った。カップケーキ・デーは、ボランティアが焼いたカップケーキを売って、その代金が寄付金となるのだが、ナショナル・アピール・デーは典型的な「募金」活動だ。

こ うした機会を何度となく経験してきて、いつも興味深いなと感じるのは、必ずしも身なりの良い、お金持ちそうな人だけでなく、実にさまざまな人たちが募金を してくれることだ。この間のナショナル・アピール・デーでは、町の真ん中にあるスーパーマーケットの、駐車場に面した入り口に立った。2時 間そこで活動をしたのだが、ポンコツの車に乗ってきて、少しの買い物をし、帰りがけに寄ってくれる中年のおばさん、年金生活をしているに違いない質素な格 好のおじいさん、筋骨隆々とし、体中タトゥーだらけのいかつい若者、我が家も犬を飼っているとやって来る労働者風のおじさん、母親に促されて、今ひとつ訳 がわからないながらもお金を入れに来てくれる小さな子ども、スポーツの試合帰りらしく、ユニフォームを着た女学生……。

募金額もさまざまで、20ド ル札を景気よく入れてくれる人あり、財布の中の小銭をありったけ、かき出して入れてくれる人あり。ニュージーランドではデビットカードで買い物をする人が 少なくなく、現金を持ち歩いていない人もいる。それでも、駐車料金用に車の中に置いている小銭をわざわざ車まで取りに行ってくれる人までいた。

「人 に親切にすると、自分も幸せな気分になれる」。これは、昨日たまたまニュースのウェブサイトを見ていた時に見つけた記事だ。別に募金などのお金に限ったこ とではない。何でもいいから、人のためになることをしてあげることは、その人のためにも、そして自分のためにも良いということが科学的にも立証されている というのだ。そういえば、募金箱にお金を入れてくれる人はどの人も笑みをたたえながらやって来、爽やかな笑顔で去っていったっけ。この研究結果、身をもっ て合っているといえるな、と思った。

2014919

最近考えたこと、三連発

その1 見事な鳥の巣

我が家の前庭にある紅葉の木。葉を茂らせている時には見えなかったものの、秋冬で葉が落ちてしまって見てみると、鳥の巣があった。直径
56セ ンチのかわいらしい小さいもので、どんな鳥が子育てをしたんだろう? とちょっとワクワクした。同時に、その精巧さなつくりに感心してしまった。松葉を もっと長くしたような植物だけでできていて、それを実に見事に丸く鉢状にしてあり、上から見ると、ほぼ完全な円形をしている。ここまで完璧なものを、それ も自然のものだけで作り上げる鳥たち。人間だって、人工のものに頼らずに、こんな風に何かを作り出せるはずなんじゃないのかな? という思いが頭をよぎっ た。

その2 目撃! 世界で一番ヘルシーなお弁当

ニンジン丸ごと1本、フレーク状のココナツ、ウォールナッツ、シーズ類 (ヒマワリの種、カボチャの種、ゴマなど)、ベビースピナッチ……これが、私が今まで見た中で最も健康的なお弁当の中身だ。これを食べていたのは、バレエ で一緒の娘の友達である。本人にとってはごく普通のことのようだし、痩せすぎもせず、太っているわけでもないという体型なので、これでいいのだろうが、私 だけでなく、周りのお母さんたちは、目が点になっていた。おずおずと「まぁ、健康的なお弁当なのね……」と話しかけるお母さんたちに、彼女は終始ニコニコ 顔でお弁当をむしゃむしゃ食べ続けていた。いつもできるだけ体に良いものを、と心がけているつもりだったが、この時ばかりは自分がサイテーの母親になった 気がした。

その3 ちょっと考えすぎ?

つい先日、『かぐや姫の物語』を娘と一緒に見に行った。この映画、ニュージーランド・インターナショナル・フィルム・フェスティバルの映画のひとつとして公開されたのだが、そのレイティングが「PG (nudity, violence)」 となっていたのに気づいた。要するに「ヌードシーン、暴力シーンがあるから、親の指導や助言が必要」というわけ。「ジブリ映画でヌード? 暴力?」と ちょっとびっくりして、実際映画を見てみた。「暴力」というのは、かぐや姫が兄と慕う男の子が泥棒をして捕まえられたシーンだろう。確かにちょっと痛々し かった。これは、こういう暴力シーンには敏感なお国柄なので、「PG (violence)」 でも仕方ないかな、という感じ。しかし、「ヌード」といっているのは、ちょっと神経質になり過ぎじゃないかな? と思った。なぜなら、それはおばあさんが かぐや姫におっぱいをあげるシーンのことを指している以外考えられないからだ。乳房は見えていたけれど、赤ちゃんにおっぱいをあげるのは、ごくごく自然な ことではないだろうか。何にでもおおらかなニュージーランドだが、こんな神経質なところもあるんだなぁ、と思った。

2014729

タブレットの功罪

少し前に私が住む町で、子どもを対象とした音楽、ダンス、演劇などのコンクールがあった。娘は学校のマリンバ・グループの一員として、また別に個人でピアノの部門に出場したので、2回ほど会場に足を運ぶ機会があった。そこで気づいたことがある。それは観客として来ている子どものことだ。

自 分の兄姉が演奏するのを聴きに来ているわけだが……いや、聴きに来ているはずだが、子どもによっては、タブレットを手にして座っている。ゲームをしている のだ。それはコンクールが始まっても変わらない。そして、自分のお兄さんやお姉さんの番が来ても、お構いなし。タブレット相手に遊び続けている。

そのうちのひとりは34歳といったところ。幼児にタブレットを与えて遊ばせるというのは、私は賛成できないけれど、この年齢の子を静かに観客席に座らせておかなくてはいけない親の気持ちもわからなくはない。

タブレットを持っていた子はほかにもいた。その子は知り合いだったのだが、確か年齢は9歳か10歳。それぐらいの歳になれば、1時間や2時 間、静かにそこで聴きながら座っていることができるはずだ。演奏される楽器はさまざまだし、曲のスタイルもいろいろ。音楽に特別興味がなくても、そこそこ 聴けるのではないだろうか。「つまらないなぁ」と思っていても、そこで我慢して聴いていたら、何か発見があるかもしれない。いや、正論はこうなのではない か。「つまらないなぁ」と思っていても、来たからには、演奏者へのエチケットとして静かに聴くべき、と。

病 院の待合室でも、最近ではそんな子どもたちの姿は珍しくなくなった。診察によばれるのを待つ間、親がタブレットを与え、小さな子どもから小学生までゲーム に興じている。そんな彼らの姿を見て、「タブレットがなかったらどうなるんだろう?」と思ったりする。と同時に、「タブレットなんてなかった私の子どもの ころには、先のコンクールの観客席のような場では、きちんと座って静かに演奏を聴かされりのが普通だったし、待合室では読書で時間をつぶしたものだった」 と思い出す。

タ ブレットのおかげで子どもを静かに待たせることはできるようになったかもしれない。周囲はハッピーだろう。しかし、そのおかげで子どもたちは、私たちが昔 身につけた忍耐や行儀というものを体得するチャンスを失ってしまったのではないだろうか。もっとも、空き時間や待ち時間に今では大人だってマホをいじって いるのだから、子どものことは言えないのかもしれない。


2014年5月17日


見知らぬ者の気遣い

近所の郵便局へ出かけた時のこと。うまい具合に局の目の前の駐車スペースが空いていて、そこに滑り込んだ。 ちょうど前に停めた車からは、年のころ70前ぐらいだろうか? のおばあさんが出てきたところだった。白髪の短髪で、赤いジャケットにショートブーツとい うなかなかおしゃれで元気そうなおばあさんだったのだが、車道から歩道に上がろうとした拍子に転んでしまった。あっという間に目の前で起こったのでびっく りしたが、もっと驚いたのは、周りの人の反応だ。

ちょうど歩道をこちらに向かって歩いてきた、制服姿の若い女性は走りより、大きな荷物を抱えて、すでに郵便局の中に入っていっていた、いかつい男性は局か ら飛び出してきた。そして私も同じように駆け寄る。時間にしてわずか数秒でその場に居合わせた全員がおばあさんのところに駆けつけた。落とした書類を男性 が拾い、皆が大丈夫だったか、どこか打たなかったかと尋ねる。幸いにも、おばあさんはけがもなく、郵便局で用を済ませ、立ち去った。

自分が歳をとって道端で転んだとしたらどうだろう? こうした見知らぬ人の親切はとてもありがたいのではないだろうか。いや、年齢に関係なく、何か困った ことが起こったら、知っている知らないに関わらず手を貸してくれる人がいる社会は、平凡な言葉だが「素晴らしい」と思う。

この後、私も郵便局に行き、そこのテーブルで書いた書類を手にカウンターに並んでいると、「誰かここに鍵を忘れていったわ」という声が。私がうっかりそこ に置き忘れたのだった。助かった。ほんの些細なことでも、皆が周囲の人を気遣えば、世の中はもっともっと住みやすくなると思った。


2014年2月18日

そう悪くないんじゃない? 日本の教育

娘 同士が仲良しということもあり、私が一番仲良くしている、お母さん友達Aさんは南アフリカ出身だ。彼女は長男を南アで産み、その後ニュージーランドに移 住。長女が生まれた。つまり何代も前からここに住んでいるというわけでなく、彼女の代でこの国にやって来たわけで、すべての教育をかの地で受けている。私 も同じ身の上だ。

Aさんと私は、自分たちが受けた教育とニュージーランドでの教育の違いのことを時々おしゃべりする。かたや南ア、かたや日本。似ている点はなさそうだが、 驚くなかれ、そんなこともないのである。中でも決定的な共通点は「ニュージーランドとまったく違う」ということ! 「ニュージーランドでは、身の回りのこ とは事細かに学校で習うけど、『世界』のことは習わないわよね~。視野が狭くならないのかしらね~。南アでは……」と彼女は ちょっと不満そうだ。

確かに、中学生の娘の歳ともなれば、世界のいろいろなことを習い、知っていた記憶が私にもある。各国の情勢までいかずとも、基本的な地形や産業などは頭に 入っていたように思う。しかし、ニュージーランドで育っている子どもたちに、国内の都市名などを挙げ、それがどこなのか尋ねても、「えっと、それはあそこ だったような気がするけど」などというあやふやな答えが返ってくる。世界に関しては、ニュージーランドと強いつながりのある英国やお隣の国オーストラリ ア、列強の国々については多少の知識はあるが、微々たるものだ。つまり、子どもたちは学校の裏手にある原生林の植生や、そこに住む動植物については毎年の ように事細かに学び、よく知っているのだが、ゾウはアフリカにしか住んでいないと思っている、といった具合なのである。

世界の国々に関すること以外にも、大人でも知らない人が多くて、びっくりさせられることがあるのは、どんな食べ物にどんな栄養があるかを把握していなかっ たり、食品ラベルの読み方を知らなかったりすること。肥満が社会問題化した最近こそ、こうしたことが各メディアで説明され、人々は徐々に理解を深めつつあ るが、私は前者などを家庭科の時間に習った記憶がある。

日本国内で教育問題が取り沙汰される今日この頃。今のことはわからないが、私は子ども時代、日本で教育を受けてよかったと思っている。受験戦争のはしりの 時期で、詰め込み式にいろいろなことを覚えさせられたのも事実ではある。しかし、そのおかげもあって、オールマイティーで、さまざまな分野のことをまんべ んなく知っている自分がここにいる。日本の教育ってそう悪くないと思うんだけどなぁ。

2013年12月9日

いつも通っているのに、知らない道

ニュープリマスで暮らしていると、どうも車で行き来をしてしまって、歩くチャンスがない。エクササイズのウォーキングとして歩くことはあるくせに、用事がある時は歩かずに車。公共交通機関であるバスの行き先やスケジュールが非効率的なのが、この一番の理由であるのだが。

そんな私が、この間、毎日のように車で通る道をたまたま歩くことになった。その道はもう8年ほども通っているのにもかかわらず、一度も歩いたことがないと いう道だった。最初は上り坂。通る度に、そこを上っていく人を見て、「わ~、大変だろうな。乗せてってあげたいぐらいだなぁ」と思っていた坂だ。ところが 想像していたほども、傾斜はきつくないではないか!

車で行き来するのと歩きで大きく違うのが、時間。歩く場合、ゆっくりと諸所を通り過ぎる。なので、「表通りに面していない、こんなところにも家があったん だ」とか、「ここはこの間まで○○じゃなかったっけ?」とか、「このお庭の花、きれいだけど、何かな?」とか、他愛がないものの、新発見のオンパレード だ。そして視線の位置が違うことも、車と歩きの差だ。以前から素敵だなぁと思っていたヴィラのさらなるディテールの部分がよく見え、それをよりつぶさに観 察したりして歩いた。

そして家に着くまでの間、ずっと私をウキウキした気分にさせてくれたのが香り。それも1、2種類の花の香りだけではない。刈ったばかりの芝生の香り、雨が 近づいてくることを知らせる湿った空気の香り。数分ごとのようにそれは変化する……きっとこの季節、考えているよりはるかに 多くの植物や木々が花を咲かせ、季節の変わり目から夏に向かっての天気が、こんな風な香りになって、私を楽しませてくれたのだろう。

車は便利だし、この町で生活していく上で必要なものであることは確か。でも、時々こんな風に歩いてみると、いつもの通りが違った風に見える。もう知り尽くした町と思うなかれ。街角、街角には必ず新発見が待っている。


2013年10月21日

最近、腹が立ったこと

最 初にこのテレビコマーシャルを見た時は、「なかなか楽しいなぁ」と思った。ギターに乗った、軽快な歌に合わせて、さまざまな「キーウィアーナ」がとっかえ ひっかえ登場する。キーウィアーナとは、ニュージーランド独特のシンボルを指す言葉。例えば、鳥のキーウィ、バジービー(1930年代から人気が絶えな い、引っ張って歩くと、カチカチと音が鳴って羽が回るハチのおもちゃ)、ヘイ・ティキ(よくペンダントヘッドとして、用いられるマオリ伝統の「人」を模し たデザイン)、パブロバ(メレンゲを焼いたお菓子)、ハンギ(マオリの蒸し焼き料理)、ポイダンス(ひもの先にボール状のものがついて、それを動かしなが 踊る)、イルカのオポ(1950年代中盤に北島北部に現れ、子供たちと仲良くなったイルカ)、フィッシュ&チップスなどなど、実にたくさんある。それらは ニュージーランド人のハートといっても過言ではなく、海外在住者にとっては、郷愁にかられるものだ。

キーウィアーナの説明が長くなってしまったが、そんな数々のシンボルが出てくるのが、テイスティ社のスナックバーのコマーシャルだ。 しかし、見ていくと、日本人にはがっかりさせられるような一場面が映る。それは、この国近海でよく見られるクジラを追い回す捕鯨船に、日本の国旗が掲げら れていることだ。そして日の丸を翻すその船を、「NO」というプラカードを満載した、環境保護団体の船がさらに追いかけている。

コマーシャル全体は、ユーモラスで、愉快な明るい雰囲気の物語といった感じなのだが、この日本の捕鯨船のシーンだけ、とても現実的だ。きっと普通のニュー ジーランド人なら、何も感じずにそのまま見過ごすのかもしれないが、日本人の目を捉えるには十分なシーンといえる。

この国で日本の捕鯨船は大変な嫌われようだ。政府がやっていることで、一般人とは直接関係なくても、日本人であれば、捕鯨支持派とかんぐられても仕方な い。この手のニュースが大々的に報じられると、何となく肩身が狭い。それがとうとう軽いノリのコマーシャルにまで取り上げられると、不快だ。

テイスティ社側は、それが「少々物議を醸す内容」であることを承知しているということを知り、さらに感じが悪いと思った。スナックバーのコマーシャルごと きで、なぜそこまで正確に捕鯨問題を描く必要があるというのだろう? 船はクジラを捕ろうと追っているのだから、それが捕鯨船だということは、日本国旗が なくとも一目瞭然。旗がなくても、よかったのではないか?

ニュージーランド国内には日本人も多く在住し、この商品の顧客である、もしくは顧客になる可能性があるのに、この態度。日本マーケットには進出しないこと は明白だ。日本人はおとなしいから、これぐらいのことをしても黙っているだろう、ぐらいに考えているのだろうか。同社にこの件について問い合わせをしよう か思案中だ。


2013年8月23日

本音

少 し前に、娘の学校で三者面談があった。三者というのはもちろん、親、教師、そして子ども本人だ。学校にあがりたてのころは、親と教師だけでなく、本人も交 えて、学習面や学校での生活面の話し合いをするのは、なかなかいいことだと思っていた。しかし、学年が上がるにつれ、子ども抜きの方が話がしやすいと思う ようになった。

もしかしたら最近は日本でもそうなのかもしれないが、ニュージーランドでは、子どものいいところをクローズアップし、ネガティブなことは言わないのが一般 的だ。つまり、「算数がおくれていますね」ではなく、「算数をもう少しがんばりましょう」ということだ。これは悪いことではないのはわかっている。ガツン と「できない」と言われたら、落ち込んで勉強しなくなり、かえって逆効果という可能性もあるからだ。教師も親も、「この子は算数ができない」と感じていて も、それは本人も出席している三者面談では、あからさまにはならない。

しかし、大きくなるにつれ、学習面の小さなことでも、それが将来につながっていることがより明白になっていく。できないのだったら、ここではっきりさせて おかなくては、手遅れになる。そうすると、親は教師の前で本音が言いたくなるし、教師の率直な意見が聞きたくなる。

三者面談だけではなく、世間話をしていても、親は自分の子どもをほめても、けなしはしない。「うちの子は算数がとてもよくできるので、特別クラスで勉強し ているの」「この間のコンテストでは1位に入ったのよ」。別にこちらが尋ねるまでもなく、こんな話が出る。おそらく日本でこんなことを口にすれば、自慢話 にとられ、ゆくゆくは鼻つまみ者になるに違いない。

ところが、最近気づいた。ニュージーランドにも、人前で子どものことをほめない親がいることを。この間、あるお母さんとおしゃべりをしていると、「娘は親 がこんなにいろいろ気遣ってサポートしているのに、練習すらしないのよ。どんなに言っても、屁理屈をこねて、絶対にしない。とにかく、うちの子は怠け者な のよ、怠け者!」と言う。そして、「お宅はどう?」と尋ねられ、娘はそこそこ練習をしていたのだけれど、そうとは言えず、「この頃の子は放課後も宿題や ら、お稽古事で忙しいから、大変よね」と話を逸らして、その場をやり過ごした。

そのお母さんの話を聞いていて、やっぱり子どものことで本音は人前では言ってはいけないかもしれないなぁと思った。もちろん彼女はその娘さんのいいところ をたくさん知った上で、「こんなところは怠け者なのよね」と本音が出てしまったのだろうけど、聞く側からしてみれば、「親なのに、そんなこと言っちゃかわ いそう」と感じてしまう。

人前で子どものことをほめるべきか、否か……そして、本音を言うべきか、否か……それが問題だ。


2013年7月11日

子育てに正解はない


こ の間、実家から送ってもらった、ある育児雑誌を読んでいたら、幼稚園の毎日を綴ったエッセイがあった。けんかにまではならないのだが、自分が遊んでいるお もちゃをほかの子に譲る譲らないで、もめたことが書かれていた。続きを読んでいてわかったのだが、この記事の書き手である園長先生はその様子を見ていたも のの、手を出さず、おもちゃを譲ってもらえなかった子どもに同情したという。そして、その後この出来事を即席の物語にして2人に説明したということだっ た。

これを読んで真っ先に、「これはニュージーランドではあり得ないな」と思った。娘を育てていて気づいたのだが、この国の幼児教育で子どもたちが叩き込まれ ることのひとつに、「シェアリング(sharing)」がある。おもちゃだろうと、ブランコだろうと、おやつだろうと、何でもほかの子と分け合う、もしく は交代で使うことは、子どもたちがこの時期必ず身につけるべき、生活上のスキルだと考えられている。なので、1人の子どもがおもちゃを独占し、ほかの子に 譲らなかったという場面を、先生が見逃すことはあり得ない。おそらく、その場で「もうひとりの子とシェアしなさい」もしくは、「もうひとりの子と交代で使 いなさい」とアドバイスをするはずだ。

周りで見ていて、シェアできない子は、先生は口にこそ出さないが、「問題児」と受け止めている感すらある。とにかく、シェアできる子にするために徹底的に指導がなされる。

違いはそれだけではない。記事中では、時間を置いて、それも物語という間接的な方法で、子どもに諭した。ニュージーランドで起こったのだったら、その出来 事の直後に注意、だ。「鉄は熱いうちに打て」ということなんだと思う。私はこの国で子育てをしていて、そのやり方で効果が出ているのを目の当たりにしてい るので、こんな日本の対処法を記事で読んで、ちょっと驚いた。その一方で、「こんなやり方もあるんだなぁ」と感心した。

2人の子のやりとりがどのように続いていくかを見守る、というのはいいことなのかもしれない。自分たちの行動が最終的にどういう結末をもたらすか、子ども 自身が知るのも大切だ。先生にとっても、有益かもしれない。最後まで見届けることで、その子たちがどんな子なのかより知ることができ、この先の指導の指針 になる可能性もある。

よく「子育てに正解はない」という。この記事を読んで、まさにその通りと相槌を打たずにはいられなかった。


2013年3月29日

さりげなく「共存」

タ ラナキ山に雪が積もったのを見て、日照り続きの夏はもう終わるのかと思いきや、なかなか残暑が厳しい毎日が続く。この暑さは、植物によっては良いようで、 例年より元気だったり、花をたくさんつけたりしたものがある。我が家の裏のデッキ沿いにある木もそうだ。小さな小さな紫色の実を枝に沿ってつけるのだが、 それがいつもより多く、立派。そのせいで、今たくさんの鳥がその実を目当てに集まってくる。

ツイ、シルバーアイ、キュウカンチョウの一種マイナ、ムクドリ……際立って珍しい鳥ではないけれど、時に木に鈴なりになって とまっているのが、枝の揺れ方や鳴き声、羽音でわかる。木は台所の窓からすぐのところにあるので、料理や皿洗いの合間に、ふと目をやると、木の中を鳥の影 が横切る。

夕方遅くまで日当たりがいいデッキは物干しに最適だ。ドアからかごを抱えて出ていくと、バッと鳥たちは飛び立つが、私が静かに洗濯物を干していると、また 戻ってくる。木にとまって、実をついばむ鳥がそこにいて、1メートルほどしか離れていないところで、私が物干しをしている。この関係がとにかく、何とも心 地よい。お互い意識はしているけれど、邪魔せず、干渉せずにいる。鳥、人間、それぞれの生活を送っているけれど、決してその関係は断ち切れているわけでは ない。「共存」って、きっと私とこの鳥たちのような、そんな間柄のことをいうに違いないと、うれしくなってしまう晩夏である。


2013年1月30日

「日本」が取り持つ友情

長い夏休みが終わりを告げようとしている。この夏休みは、「サマーシーン」なる、役所が主催するイベント・シリーズのひとつをお手伝いする機会に恵まれ た。日本文化を紹介したいという。今夏から本格的にひとつずつ国を取り上げてイベントを行う意向のようだ。栄えある第一回目に日本が選ばれたのはうれしい 限りだ。

全部で8人ほどの日本人が当日ヘルパーとして参加。折り紙、浴衣でドレスアップ、お習字などと、それぞれの担当で地元のキーウィとの交流を楽しんだ。

こ のイベントがある前、私はクライストチャーチでホリデーを過ごしていたのだが、そこに友人から、写真と一緒にテキストが入った。中古で日本車を買ったそう だが、カーナビの日本語の一文がわからずに困っているという。写真を見て、「このディスクは再生できません」と書いてあったので、英語でそれを説明してあ げた。

またつい先週、洋裁の上手な、娘のクラスメイトのお母さんが、「私は長年フェルト手芸をやっているけれど、日本の本ほど、いい教則本はないわね~! とこ ろで、どうしても日本語一語だけわからなくて、困ってるんだけど、今度教えてくれる?」と言う。新学期が始まった時、本を持ってくるとのことで、読んであ げる約束をした。

そういえば、去年の年末にはこんなこともあった。学校の図書館の司書の女性が、「孫に中古で『サムライ・ヘルメット』を買ってあげたのだけど、そこについ てきた板に何か書いてあるの。読んでくれる?」と、声をかけてきた。結局は「弁慶」と書いてあった。その場でどんな人か説明してあげたが、もっと知りたそ うだったので、調べて教えてあげると、とても喜んでくれた。

地元の人たちと私は「日本」を通して、つながっている。今までの先達たちが日本文化を維持してくれたから、切磋琢磨してさまざまな分野で、世界をリードす るまでの技術を習得してくれたから、そして何より、日本が皆に高く評価してもらえる存在であるよう努力してきてくれたからこそ、皆、私たち日本人に好意的 なのだ。この評判を落とすことなく、次の世代に受け継がねば、と思う今日この頃だ。



2012年10月9日

コンピュータ

私 にとり、原稿書きにコンピュータは不可欠だ。偉い作家先生が原稿用紙に万年筆で執筆作業をしているという話を聞く度に、私には無理だ~! と思う。削除し たり、それをもう一度もとに戻したり、文の位置を替えたりするのに、コンピュータを使えばいとも簡単にできるからだ。

コンピュータは仕事の面だけでなく、深く私の生活に浸透している。この間、学校の宿題で娘が「オリンピック」についての調べ物をしなくてはならなくなっ た。急いで関連の本を借りるために図書館に駆け込んだが、時すでに遅し。ちょうどオリンピックの時期にもろに当たり、どの学校でもそれに関する宿題を出し ているのだろうということは想像に難くない。適当な本はすべて貸し出されてしまった後だった。

さて、それではどうするか? そう、インターネットである。コンピュータでネットを使って調べるしか方法はない。この時はそれで無事に済んだ。いつでも、誰でも必要とする情報にアクセスできるのは、とても助かる。

日本のことを知りたかったら、日本発のウェブサイトを見ればいいし、辞書が必要になったら、辞書のウェブサイトもある。動画も写真も地図も載っている。ほ かの人とコミュニケーションを取りたかったら、eメールも、ソーシャルメディアもあるし、スカイプだってある。

「お母さん、なぜお月見にはススキを飾るの?」というような、知っていそうで知らない質問を尋ねられた時も、知らない時には「後で調べてみようね ……インターネットで!」と答えてから、自分でドッキリしてしまう。「わ~! またコンピュータを使うことになるのかぁ!」 と。

コンピュータがない時代はどうしていただろうか? コンピュータというひとつのものに頼らず、辞書や百科事典のページをめくり、ダイヤルの電話をかけ、手紙を書き……していたのだ。

今、コンピュータがあって暮らしは格段に便利になっている。その恩恵をつくづく感じる。それでも時々、これでいいのかな? と思ってしまう。きっとこんな 風に考え込んでしまうのは、私が生きてきた年月の半分にはコンピュータがなかったからだ。この先こんなことが頭にもたげる人はいなくなるのだろうなぁ。


2012年8月7日

中途半端

これは娘のことである。どうも彼女は今、何につけても宙ぶらりんという感が否めない。

今学期が始まる前の休みにウェリントンに遊びに行った。ニュープリマスと違って、またスクールホリデー中ということもあって、いろいろなイベントをやって いて、私は「どれに行こうか?」とウキウキと彼女に尋ねてみれば……どれにも首を横に振るではないか。どうもノリが悪い。大 人や高校生用のものに興味があるわけではないし、さりとて、子供用のものがいいというわけでもない。何かをしにどこかに行きたいけど、どれも自分にしっく りこず、気おくれしている。そんな感じだ。

ここ数年彼女は私の友人に日本語を教えてもらっている。2週間に1度という頻度もあり、彼女が今習っているのは日本の教科書の1年生の下巻。日本でいえ ば、彼女は4年生なので、ずいぶん遅れていることになる。別にそれは構わない。彼女の習熟度によって進めていけばいいと思っている。しかし、頭の中身は9 歳で、教科書に出てくるお話は7歳用というところがネックだ。英語ではかなり複雑な文章も理解できる年頃。どうも2歳年下の子向けの話に満足できない。日 本語で読む時はたどたどしくても、一旦内容がわかってしえば、易しすぎて、ちょっとがっかりといったところのようだ。

日本人の子どもたちが集まるプレイグループでも、アクティビティは張り切って参加するが、本の読み聞かせになると、娘はあと片付け役に回り、お話を聞かな いようになった。彼女は小さい時から無類の本好き。その彼女がお話を聞かないというのは、プレイグループで読む本がもっと小さい子向けだからなのではない かなと、私は思うのだ。

8歳ぐらいから10代最初のころの子どものことを、「Tweenie」という。子どもでもない、さりとてティーンエージャーでもない。最近ではこの年齢層 をターゲットとしたビジネスも生まれていると聞く。娘はまさにこのTweenieであり、なおかつ文化的にも年齢の件と絡んで、狭間にいる感じだ。何とな くパッとしない時期のように感じるが、この頃をのちのち懐かしむ時も来るのだろうなと思っている。



2012年5月31日


国民ひとりひとりが結束すれば

ま さか、ニュージーランドの国家予算がこんなにも直接的に、自分に影響してくるとは思ってもみなかった。そう、「学校のクラス人員を増やし、全校的な教師数 を、そして中学校でのテクノロジーといった特別な学習分野の教師を減らす」という、今物議を醸している、教育省の計画のことだ。

毎週一回発行される、学校のニュースレターのトップがこの話題で、ニュースとして知っていただけのこのことが、一挙に現実のものに。娘の通う学校でも今ま でより少ない数の教師で生徒への対応が迫られることになり、近隣の大きな中学校まで毎週通ってテクノロジーの授業を受けていた7、8年生の子どもたちには そのチャンスがなくなる、ということになるという。

1クラスの人数が40人ちょっとだった、日本での小学校時代を経験しているだけあり、少人数クラスが一般的な、この国の小学校に子どもを通わせ始め、私自 身そのありがたみはよくわかっているつもりだ。0、1年生の時、年度末にもらった成績表には、舌を巻いたものだ。担任の先生は各生徒がどの数字やアルファ ベットを理解しているかといった細かなことをきちんと把握しており、段階評価のみならず、コメントもびっしりと書かれている。学年が上がると、ひとつの学 習分野であっても細分化され、それに対しひとつひとつ評価が下され、コメントをもらえる。教師対生徒の割合が多くないからこそ、このように目が行き届くの だろう。

ニュースレターは計画が施行された場合、校内で何が起こるかに簡単に触れているが、学校側が言いたいことはこれだけではない。「もしこの計画に問題がある と思ったら、パラタ教育大臣に直接メールを送ろう」と呼びかけているのだ。彼女のEメールアドレスまでちゃんと載っている。

こちらはたったひとりの国民である。相手は一国の政府である。ぱっと考えれば、国の方針に従わざるを得ない。それでも、「父兄で大臣に反対意見をメールし よう」という気運がある。2010年に自然保護区内での鉱山開発に反対した人、数万人がデモを繰り広げ、それを退けた例など、実際、この国には人々が一致 団結して、政府のやり方を変えた例は少なくない。今回もこうした前例に倣えれば、と大臣宛のメールを、今夜書き始めようと思う。


2012年4月26日

昔は敵でも今は友達

「ねぇお母さん、本当にこれ、書かなくちゃだめ?」と、娘がベソをかきながら、尋ねてくる。「過去の出来事で動かしようのない事実なのだから、書いておけばどうかな?」と、私は答える。

アンザック・デーを目前にした日の夜。娘は小学校のシニアになり、本格的にこの歴史的事実を自分でリサーチしながら、学ぶような歳になった。そんな娘がインターネットで調べものをしている最中にこぼした言葉だった。

第一次世界大戦開戦後の1915年、最初の主要な作戦のためにオーストラリア・ニュージーランド軍がトルコのガリポリに上陸した日、4月25日を記念した のがアンザック・デーだ。毎年この日には、第一次世界大戦だけでなく、第二次世界大戦以降の戦争で命を落とした兵士も含めた、追悼式が全国各地で行われ る。

当時ニュージーランドはイギリスの自治領であり、第一次大戦も大英帝国の一員として戦った。娘はどの国がニュージーランドと味方で、どの国が敵かの情報を 探している時に、敵国のリストに「オーストリア=ハンガリー帝国」、「ドイツ」を見つけ、動揺してしまったのだ。

小学校に入って以来、ずっと親しい友達のひとりにオーストリア人の女の子がいる。そして今年になって同じクラスにドイツ人の男の子が編入してきた。クラス ではオーストリア人の子がドイツ語で、ドイツ人の子を助けてあげ、みんなで楽しく過ごしている話はよく聞いている。「なぜこんなに私たちは仲良しなのに、 『敵国』として、友達の国を挙げなくてはならないのか?」というのが、娘の言い分であり、ベソをかいた理由なのだ。

考えてもみなかった。今、毎日仲良く遊んでいる友達が、昔でいえば敵国の人という可能性は、移民の国であるニュージーランドでは非常に高い。ナイーブな問題だ。

ついこの間、博物館で非常に小さいものの、「アンネ・フランク展」が行われた。第二次世界大戦ではドイツ軍がアンネたちユダヤ人を虐殺したわけだが、この 大戦では日本は枢軸国側に属し、ドイツは戦友だった。その一方でニュージーランドはイギリスにつき、連合国側。つまり日本とニュージーランドは敵国同士 だったわけだ。展覧会に娘を連れていき、簡単にホロコーストやアンネのことなどを説明し、当時の日本とニュージーランドの関係もちらっと触れた。この話を 聞いた娘は、アンネのことはそっちのけで、「今はニュージーランドと日本は仲が良いんだよね?」と、念を押すように何度も私に尋ねた。

「ドイツ」、「オーストリア=ハンガリー帝国」を敵国としてレポートに書くかどうか、娘は少し時間をおいて考えることに決めた。そんな彼女に「昔は戦争を していて敵同士だったかもしれないけど、今は平和だから一緒に遊べるんだよ。『今』で、『平和』でよかったね」と声をかけた。


2012年2月7日

クリスマス・ミールとお正月料理の共通点

時 すでに2月だが、あっという間に過ぎていったクリスマスとお正月のことで気づいたことがある。日本で生まれ育ち、ニュージーランドに引っ越してきて14年 足らず。日本の新年のごちそう、ニュージーランドのクリスマスのごちそう……まったく何の共通点もないし、むしろ正反対なの ではないかと思われる、この2種類の特別な食事だが、実はすごく似ているところがあるではないか!

それは「保存がきく」ということ。日本では今でこそデパートや老舗料理屋などから注文する人も少なくないが、私が小さいころはおせち料理は大晦日あたりか ら母が作り始めたものだった。お雑煮は三が日の朝毎日作らざるを得ないが、そのほかのゴマメだの、黒豆だの、ひねりこんにゃくだの、クワイだの、なますだ のはお正月前に作り終え、お重に詰める。それをお正月の間つつくわけだ。お重の中身が痛まないようにちゃんと「海山」の取り箸も用意し、お重から取る時は それを使う。

一方のニュージーランド。クリスマスの習慣は英国からもたらされたものだ。ローストは、肉が何であれ、日本のお雑煮同様、当日作らなくてはならない。しか し、ドライフルーツをふんだんに使い、アイシングで「密封」されたケーキ、これまたレーズンやドライアプリコットを使ったミンスパイ、そしてケーキと似て いるけれど、温めてクリームをかけて食べるプディング。どれをとっても日持ちのするものばかりだ(事実これらの市販品はこの時期でもまだ賞味期限内だが、 スーパーマーケットなどで格安で売られている)。

それに同じタイミングで大きな塊のまま購入するハムも持ちがいい。クリスマスから新年にかけて、薄くスライスして、サンドイッチに挟んで食べる。これには 「ハム・バッグ」なるものがあり、水で浸し、酢を少し含ませたこのバッグにハムを入れ、冷蔵庫で保存する。時々このバッグは洗ってやると、さらにハムは長 持ちする。

12月のクリスマスと1月のお正月という似た時期に、そしてどちらも年に一度のお祝い事という似たシチュエーションに、なぜ「保存食」なのだろう? こん な時こそは、食事作りもせずに怠けていいから、お祝いを優先しようということなのだろうか? クリスマスにはニュージーランドのごちそうを、そして新年に はお正月料理を、ダブルで楽しんだ私は不思議に思っている。


2011年12月5日

クライストチャーチ訪問

つい先日家族の集まりがあり、クライストチャーチへ行ってきた。震災後初めての訪問だった。私の大好きな旧い街並みはどうなっているだろうか。

夫がこの街出身ということもあり、住人ほどではないが思い入れがある。空港から実家への道すがらの家並みはいつもと変わらず、そこにチャーチ特有の強い日差しが照り返していた。

多くの歴史的な建物が倒壊し、またこの先地震には耐えられないという理由で取り壊される中、私たちが結婚式を挙げたオールド・ストーン・ハウスはどうなっ ているかが気になり、事前にウェブサイトで調べると、臨時閉館になっているという。これはもしかするとだめだったのだろうかと思いながら、義兄に尋ねると 無事立っているとの話で、ほっとした。

しかし壊滅的な被害を受けた街の中心部に出かけた時は胸が締め付けられた。まだニュージーランドに住むことになるなどとは思いもしない昔、出張で訪れてた またま入ったカフェ。木陰にあるテーブルに座り、風に吹かれながら、のどを潤した思い出がある。そこはフェンスに囲まれ、もうなかった。賑やかでユニーク なところが好きだったマーケットが開かれていたアーツセンターも閉館しており、ひっそりとフェンスの向こう側にたたずんでいる。夫がグループ展を行った、 近代的なビルと記憶するコンベンションセンターも使えないという。娘と時間をかけて見て回ったアートギャラリーは震災直後、救援本部が置かれていた。今は 休館中で人けがなく、ガラスのオブジェのようにだまって立っている。

この街で過ごしている時間がそんなにあるわけでもないのに、思い出がいっぱい詰まっていることに驚く。ぼんやりと眺め、通り過ぎていた風景がそこにもうな いという悲しみの入り混じった不思議な気持ち。ビジターである私でさえ、こんな気持ちになるのだから、住人にとっての街への思いはいくばかりか推し量るこ とはできない。

ほんの少しずつでもこの街とここに住む人たちが普段の生活を取り戻せますように。震災前と少しも変わらない青空に願いをかけた。


2011年11月2日

募金活動を通して社会に接する

少 し前、心臓病基金への募金活動、「ジャンプロープ」が娘の学校で行われた。心臓病予防になるエクササイズ=縄跳びを子どもたちに奨励しようと、縄跳びなど が基金側から提供され、子どもたちは練習を重ね、それを披露する。その代わりに、子どもたちは周囲の人に募金を呼びかけるというものだ。

ある日の放課後、娘はクラスメイトのひとりと遊ぶことになった。しばらく絵を描いたりした後、近所のお家を訪ねて心臓病基金への募金活動をしたいという。 人見知りをする娘がこんなことを言うなんて意外だったが、クラスメイトが一緒というので心強かったらしい。良い経験になるに違いないと思ったが、近所のお 家は顔見知りの人もそうでない人もいる。そこで私も邪魔をしないようについていくことにした。

お留守のお家も含めて結局15軒ほども回っただろうか。2人はきちんと言うべきことをメモして持っていき、「募金に協力してもらえませんか?」と1軒ずつ 訪ね歩いた。知り合いの人だけでなく、まったく知らない人にも話しかける勇気を培うにはもってこいだった。

あまり暮らし向きは良くなさそうなのに、喜んで小銭を差し出してくれるお母さん、飛び込みで募金をお願いしに来た小学生に5ドル札を快く差し出してくれる おじいちゃん、小銭の手持ちがないからとやはりお札を募金してくれたおばさん……。協力してくれる人がいる一方で、してくれ ない人ももちろんいる。断る人たちも子どもにとっては大事な存在だ。2人は「世の中の人みんながみんな好意的なわけではない」ということを学ぶ。

親として興味深かったのは、自分たちの観察眼を頼って、募金をお願いしに行く家、行かない家を決めていたこと。強面のお兄さんを玄関先で見かけたり、庭な どが荒れている家には2人で相談して、行かないようにしていた。私が大人としての意見を言う前に、きちんと見て、正しい判断をしていた。こうした観察眼・ 判断力は教えられるものではなく、少しずつ自分で身につけるものであり、まだ親が見ていてやれる範囲で「練習」ができる機会があるのは良いことだ。

今年の「ジャンプロープ」による献金額は1,000ドルを上回ったそうだ。心臓病患者とその研究に少しでも役に立ったのは言うまでもない。と同時に、自分 の周囲の社会に触れ、それを知る機会が得られたのは、子どもたちにとって大きなメリットだったに違いない。



2011年9月5日


個人のスキルで社会が豊かに

つ い先だって、思わず微笑んでしまったニュースがあった。おらが町、ニュープリマスの刑務所に収監されている16人が編み物をし、できあがったものをウィメ ンズ・レフュージ(女性保護施設。駆け込み寺)に寄付しているというのだ。母親から子どもの時に習ったという人もいたが、刑務所内で初めて習ったという人 が大半らしい。いかつい男たちがせっせと編み棒を動かす姿を想像し、そのユニークな試みに感心してしまった。このニュースは「オッドニュース(変わった ニュース)」として取り上げられていたが、なかなか良い話なのではないだろうか。

ニュージーランドに暮らしていると、人は各々自分のできることをやって社会に貢献しているんだなぁと思うことがよくある。先月末は動物保護団体である SPCAのカップケーキ・デーが行われた。ボランティアでカップケーキを焼き、それを売ったお金がSPCAに寄付される。これに娘の学校が協力。子どもた ちがカップケーキを焼くことになった。おいしさももちろんだが、特にたくさん売りたい今回のようなケースは見てくれも大切だ。お花や動物の形に作ったアイ シングをトッピングすればいいのだろうが、既製品は安くない。じゃあ、どうするか? ここでアイシングの上手なお母さんの登場! となった。デコレーショ ンをする当日、アイシングだけでも十分にかわいらしいものを用意してきてくれ、カップケーキは完成。飛ぶように売れた。

2年に1度行われるプロダクション(学芸会)は子どもたちにも見守る親にも楽しいイベントには違いないが、そのための衣装作りは頭痛の種でもある。そんな 時には服作りに凝っているお母さんの出番となる。前回はドレスといった服だけでなく、とてもよくできたラクダのかぶりものまでが彼女の手によって創り出さ れ、ラクダ役の子どもたちを含む出演者はもちろん観客を喜ばせた。

何も特別な時に限ったことではない。ティーチャーエイドのひとりに、スポーツが大好きで、エアロビの元インストラクターだった女性がいる。彼女は障害のあ る生徒につきそうために毎日学校にいるのだが、それだけではもったいないと、冬の寒いシーズンに体を動かそうという「ジャンプジャム」のリーダーもやって のけ、毎日音楽に合わせ、子どもたちと一緒にノリノリで踊ってくれている。

興味深いのは、こんな風に社会に貢献しているスキルは趣味だったり、自分の好きなことや得意なことだったりするが、その人の本職ではないケースが多いこと だ。ちゃんと食べていくための仕事を持ちながらも、そのほかに何か自分だけのコレというものを持っている。それには感心する。そしてそれが必要とされる 時、いとわずに助けの手を差しのべる。ひとりだけでは成し得ないことを、みんなが少しずつ知恵を絞ったり、スキルを提供して実現する。これがこの国の社会 が豊かでうまくまわっている理由のひとつなのではないだろうか。


2011年8月16日

我が稼業は“ギャップ埋め屋”

久 しぶりにあるガイドブックの仕事をいただいた。今回は改訂版の作業のため、掲載内容に間違いがないかを確認する作業をした。その際に自分の仕事がニュー ジーランドと日本の間に生じる“ギャップを埋める”ためのものであったことを再認識させられた。

私が執筆をするのは主にニュージーランドについて。それを日本の媒体を通して、日本人に読んでもらう。そして「へぇ、ニュージーランドではこんな風なん だ」とか、「日本と似ているところもあるんだな」とか、「ずいぶん違うんだな」とか、思ってもらう――それが仕事だ。私が書いた記事には、両国の “ギャップを埋める”という役割がある。

では、ガイドブックの掲載内容の正否確認のどこが“ギャップを埋める”ことに役立っているのか。今日もこんなことがあった。日本のクレジットカードが使えるかどうかをアクティビティ催行会社に確認しようと電話した。
私 「日本のクレジットカードは使えますか?」
会社側:「そのクレジットカードが使えるかどうかはわからないな。器械を通してみて通ったら使えるんだよ」
おいおいそれじゃだめでしょ? といえばいえるし、ごもっともといえば、ごもっとも。ここで、“ギャップ埋め屋”としては引き下がるわけにはいかず、どんどん突っ込み、答えが出るまで粘る。

またレストランに営業時間を聞くと、こうだ。
私 「お宅の営業時間を教えてください」
レストラン側 「・・・ディナーは6時から夜遅くまでやってるよ」
ほら来た。「夜遅く」というのは何時なんだかわからない。そもそもレストランなど、お客さんがいれば開けているけれど、いなかったら早めに閉めてしまう、 というお国柄である。きっとそのときどきによって閉める時間は違うのだろう。でも、それで納得できないのが日本人なので、ここで“ギャップ埋 め屋”の登場となる。はっきり「○○時」とわかるまで質問を続ける。

お店の営業日に関しては、こんな認識のギャップがある。
私 「お宅はお休みの時はありますか?」
店側 「ありません。ずっと開いています」
私 「クリスマス、イースターも開けていますか?」
店側 「あ、クリスマスは休みです。それとアンザックデーの午前中も・・・」
ニュージーランド人にしてみればクリスマスが休みなのは当然のことなので、頭から抜けているのだろう。しかし、“ギャップ埋め屋”が突っ込むと、結構ぽろぽろとお休みの日が出てきたりする。

そう、“ギャップ埋め屋”の仕事は、ニュージーランドの大雑把さと日本の細かさというギャップを埋めるためにも存在しているの だ。ニュージーランド人には「何でそんなことまで聞くの?」とけむたがられるが、そんな時は「日本人は詳細情報をほしがるものなのだ」と説明してやる。そ して日本人にはほしいままの細かな情報を提供する――が、結局は日本人も“ギャップ”に遭遇することには変わりない。至れり尽く せりの内容のガイドブックを手にし現地に来たはいいが、忘れてはいけない。ここは大雑把な国ニュージーランド。100パーセントガイドブックの通りにはな らないということを。

2011年7月4日

サービスとは何たるやを八百屋の若い女性店員に学ぶ

この間、単なる八百屋での買い物でちょっぴり感動したことがあった。いつも行くお店なのだが、残念ながら店員の愛想は良くはない。そんな中で、なかなかうれしい出来事だった。

その店員さんは年のころにして20歳前半だろうか。もしかすると10代後半かもしれない。そのほかの店員が50代、60代かと思われる中、彼女はとにかく 見るからに若い。客がどんなサービスを求めているか、どう考えても50・60代の店員の方が良く把握しているだろう。ところが、である。一見経験豊富そう な年配の店員はぜんぜんわかっていないのだ。というより、客を扱うにあたって、神経こまやかになんてことに頓着するのをきっともうやめてしまったのだろう と思う。もしかしたら、ニュージーランドの小さな町の小さな八百屋のことだから、そんな「サービス」なんてことはそもそも念頭にないのかもしれない。

いつものように買い物を済ませて、レジへ。たまたまその若い女性がレジに立った。私はちょっと嫌な予感がした。私は重いものは袋の下に、軽くて柔らかいも のは上の方に入れてもらいたいとどこのお店に行っても思っている。おばちゃん店員ですら買ったものの袋詰めは私の好きな順番では絶対入れてはくれない。い かにも経験のなさそうな彼女ならどうなってしまうんだろう? と、じれったく思いながら、会計を済ませた。

ところが彼女は買ったものを大事そうに、ごくごく自然に重いものを下に、柔らかいものを上にとパーフェクトな順番で入れ始めたのだ。「やるじゃ~ん!」と 心の中で思った。その日は彼女の袋詰めの仕方に感心したものの、普通にお礼を言ってその場を去った。

翌週。同じことが起こった。彼女はまたきちんと無駄なく、なおかつ理想的な順番で袋詰めをしてくれた。この分だと客によって、きちんと入れたり入れなかっ たりということではなさそうだし、気分によってというのでもなさそうだ。私は品物を渡してくれる彼女に今度は思わず、「私、あなたの袋詰めの仕方、ファン なのよ」と声をかけた。そうすると彼女は「私がお客さんだったら、やっぱりほうれん草は袋の下じゃなくて、一番上に入れてほしいと思うから。それだけよ」 と少してれながら微笑んだ。
私は「それでしょう!」と思った。私はサービス業といえば、大学時代3年間、レストランでウェイトレスのバイトをした程度の経験しかないけれど、彼女が 言ったことはすべてのサービスの根幹を成す大事な考え方だと思った。「自分がしてほしいと思うサービスをお客さんに提供する」というのは基本中の基本であ ることぐらい私にもわかる。

気になることにここ2週間ほど彼女の姿をお店で見ない。もしかして、サービスの良い感性を持つ彼女はそれをもっと生かせる職場に移ってしまったのではないか。たまねぎの下敷きになってあえいでいるほうれん草を救出しつつ、私はため息が出た。

2011年5月26日

感覚のズレは永遠に!?


10年以上ニュージーランドに暮らしていても、所詮は日本人。感覚的にキーウィとはどうしても違ってしまうことが依然としてある。別にそうであっても不快だとか、暮らしにくいわけではないのだが、時々ふと自分がとことん日本人であることを思い知らされる。

つい先日スーパーマーケットのデリ・カウンターでハムを買った時のこと。
私 「このハムを100グラムください」
店員 「100グラムきっちりですか?」
私 「いや、そんなにきっちりじゃなくてもいいですよ」
店員 「わかりました」

ここで店員が量りでハムを量ると136グラムあったが、彼女はそれでいいと判断して、さっさと包もうとしている。しかし、これは100グラムはおろか、 100グラムに“近い”とも言えないでしょ、と思った私は、「もう少し少なくしてください」とお願いした。店員は「『100グラ ムきっちりでなくていい』って言わなかった?」という顔をしながら、袋からハムを出し、少なくする。結局104グラムになったところで、私は彼女にストッ プをかけ、品物を手にした。

要するに、私の「100グラムきっちりでなくていい」は“104グラム”だったわけで、キーウィの店員の「100グラムきっちり でなくていい」は“136グラム”だったというわけ。この時の感覚の差は“32グラム”!? この差は 大きいのか、小さいのか。

時間の感覚も然り。この間車を修理に出した。「いつ修理し終わるの?」と私が尋ねると、話をつけてきたキーウィの夫は「来週の火曜か、水曜か、木曜かだっ て」と言う。それを聞いた時点で私は、それじゃいつかわからないじゃな~いとムッとし、それからそうでした、ここはニュージーランドなのでした、とため息 をついた。キーウィの修理屋さんは「いつかわからないけど来週中には直るはずだから、待っててね」と言い、またキーウィの夫は夫で、来週のいつと修理屋さ んには突き詰めず、こんな答えをノンシャランと私に返してくる。

あと10年ほども暮らせば、こういう感覚的なギャップはなくなるものなのだろうか。何事にも正確を期す日本の感覚がインプットされていて、それをもとに人生?年生きてきたので、自分の感覚がキーウィに近くなったら怖い気もするのだが。


2011年5月3日

写真に特別な思いを抱く日本人

日本人にとって「写真」というのは特別なものなのだなぁとしみじみ思う。

東日本大震災とそれに伴う津波で倒壊した家屋の撤去作業が始まっているが、作業中に見つかった、写真を中心とするさまざまなものをボランティアが汚れを取 り除き、種類別にして小学校の体育館に集め、自分のものとわかった人は引き取れるようにしているという。またNPO法人「映画保存協会」は汚れたり、傷つ いたりしたビデオフィルムなどを無料で専用の機械でクリーニングし、DVDに焼きなおして、被災した持ち主に届けるサービスを受け付けている。

日本人はもともと写真好きのような気がする。外国人にとっての日本人のイメージは一昔前まで、メガネをかけ、少し出っ歯で、その首からはカメラを下げた姿 で表されたものだった。今でも旅先には必ずカメラを持っていき、たくさんの写真を撮る。旅行中であろうと、日常生活上であろうと、あるシーンを「思い出の 1コマ」として切り取りたがるのが日本人だ。

また欧米のガイドブックなどは文字情報が中心だが、日本のものは写真満載だ。日本人はビジュアルな民族なのだろう。

被災地での、食べ物や水を配ったり、病人やけが人の看護をしたりというような、人の生死に関係ないこうしたサポートはあまり注目を浴びることはないが、そ れでも写真に特別な思い入れのある日本人被災者の精神面を支えているのではないだろうか。何もかも失った被災者にとって、そして震災で亡くしてしまった大 事な人の思い出としてその写真を大切にしたいと願う被災者にとって、こうした努力は感謝されているに違いないと思う。

東日本震災の数週間前にやはり大きな地震に見舞われた、カンタベリー地方の倒壊家屋撤去作業の時はどうだったのだろうか。日本のように「もしかしたら、こ の写真は誰かがとても大切にしていたものなのではないか」と横によけ、きれいにし、持ち主を探した話は聞かない。



2011年3月31日


キーウィの温かい気持ちも届け!

あっという間だった。東北地方太平洋沖地震からもう20日も経とうとしている。

この地震の第一報をテレビのニュースで知った。幸い家族や友人は無事だったが、被災した人の生の声が流れると、悲しくてやりきれなかった。重苦しい気持ち を抱えたまま数日間が過ぎた後、「何かしなくては」と思い立ち、ニュープリマスに住む日本人に協力してもらい、募金活動をすることにした。

思案を始めたその週末、ちょうどいいことに当地で毎年行われ大人気の『WOMAD』と呼ばれる世界中からミュージシャンが集い、民族音楽のコンサートやダ ンスのパフォーマンスを行うイベントが予定されていた。もう当日まであと数日に迫ったところだったが、主催者にゲート横で日本のために募金活動をしてもい いかの確認の連絡を入れる。「ゲート外なら問題ない。がんばって!」と言われた。そして今度は役所への確認。そこに勤める知り合いが所内の何人かに電話を かけてくれ、
「WOMAD側がハッピーなら役所側もハッピーだ」とうれしい返事をいただいた。

2日間、計16時間、みんなでシフトを組み、活動を行った。国内外からこのイベントにやって来る人たちは皆、とても寛大だった。50ドル札を気前よく入れ てくれる人、財布をさかさまに振って、お金を入れてくれる人、怒られるのかとヒヤリとした見回りの警察官もお金を入れてくれた。自分のお財布からお金を入 れてくれる子ども、ちょっとやんちゃそうなティーンエージャーが時には少し照れくさそうに、時には堂々と寄付してくれる。うれしい。

ゲート前で警備を担当しているマオリ・ワーデンのおばさんは道行く人に、「日本のために募金をしてからWOMADへどうぞ!」と大声で声をかけてくれる。そのおばさんが頼もしく思え、温かい気持ちになる。

つい数日前に娘が東京から帰ってきたばかりだとほっとした様子のキーウィの父子、これから東京から帰ってくる甥っこを空港に迎えに行くという人、以前日本に住んでいたという人など、日本と縁のある人がたくさんいることを知る。

クライストチャーチの地震からまだ日が浅いうちに起こった日本の地震だけに、日本と直接関係ない人も心を傷めている。お金を募金箱に入れてくれるついで に、家族は大丈夫なのか、今どういう状況なのかといったことを心配し、私たちに声をかけてくれる。

結局この日集まったお金は8,278ドル70セントだった。寛大なキーウィに頭が下がらない思いだった。

みんな優しい。被災した人たちに届くのがお金だけでなく、みんなの優しさも一緒だったらいいのにとしみじみ思った。



2011年3月1日

地震後に思ったこといろいろ

今日でクライストチャーチの地震から1週間になる。夫がクライストチャーチの出身で、結婚式を挙げたこともあり、町は私にとっても特別な思いがある。

地震が起こってから改めて身にしみて思うこと。それは「何事もなく、毎日を過ごせてありがたい」ということだ。こうした天災などが身近に起こると、日々文 句を言ったり、不足に思っていたりすることが、実際は何と恵まれたことだったかを思い知らされる。

娘の学校では、チャーチの地元ラグビーチームのクルセイダーズのシンボルカラー、赤と黒を着て登校し、それぞれが募金を持ち寄る日があった。最初は「お父 さんとお母さんのお金を持っていく」と言っていた彼女だが、私が「チャーチには、お父さんやお母さんにもう二度と会えない子がいるんだよ」と話した途端、 自室に走って戻り、自分のお財布から2ドルを差し出してくれた。

多くの人が命を落としたことも心に重くのしかかるが、チャーチの人々を昔から見守ってきたたくさんの古い建物が崩壊してしまったのも、私にとってはショッ クだ。近代的なビルには興味はないが、人々が長年にわたって出入りしたり、そこで過ごしたりし、いろいろな出来事を「目撃」してきた歴史的建築物に、洋の 東西を問わず私はいつも心惹かれてきた。地震の影響で無残な姿をさらをすそうした建物は正視に堪えない。私たちが結婚式を挙げた、カシミヤ・ヒルのふもと にある、1870年に建てられたオールド・ストーン・ハウスはまだ立っているだろうか。

1995年の阪神・淡路大震災時、私の父方の祖父母の家が倒壊した。父が写真を撮ってきてくれたのだが、それを見た時の心の痛みは忘れることができない。 たくさんたくさん思い出が詰まった家。そこに住んでいたわけでもない私がそこまでこたえるのだから、今回のチャーチの地震で家を失った人の悲しみははかり 知れない。そしてもちろん親愛なる人を失った人の悲しみも。

日本にいる友人が何人も、私たちのことを心配して連絡をしてきてくれた。私がうれしかったのは彼らが口をそろえて、「クライストチャーチ、復興したら大聖 堂を見に行くよ」と言ってくれたこと。これからクライストチャーチは幾つものハードルを乗り越えなくてはいけない。私もそれをサポートしていきたいと思 う。友人たちと青空をバックにした大聖堂を見上げる日が遠くないことを祈っている。



2011年2月2日

母語の大切さ

こ の間、地元でも有力なマオリの家族に招待され、夕食をご馳走になりにうかがった。その際に言葉の話になった。英語と並んでこの国の公用語であるマオリ語は 過去数回存亡の危機に瀕している。1880年代には移民の話す英語をマオリ人も話すべきと学校でマオリ語が禁止になった。その後1980年代までにはマオ リ語を母語として話せるマオリ人は全体の20パーセントに満たなくなった。これがきっかけとなってマオリ語復興運動が起こり、マオリ語のイマージョン教育 を行う幼児教育機関、コハンガ・レオや小学校、クラ・カウパパ・マオリが生まれた。

その家の女主は自分の子どもたちをマオリ語で育てた。要するに彼女はマオリ語を子どもたちの母語としようとしたわけだ。今はマオリであることを誇りに思 い、マオリ語を駆使する子どもたちだが、小さいころは違ったらしい。「ウチの子は小さい時、何か集まりがあってそこに連れていくと、誰かれ構わず、 『ねぇ、あなたは英語しゃべれる?』と尋ねて回って、英語を話したがって、私、すごくがっかりしたのよ」と彼女は言う。昔のエピソードを話しているとはい え、その表情からは当時の彼女の落胆ぶりがうかがい知れた。

マオリにとって、一度失いかけたマオリ語というのは、ことのほか大切なものだ。彼らにとってその言語はイコール、アイデンティティーでもある。おそらくそれはマオリだけでなく、どんな民族にとってもいえることなのではないだろうか。

女主の話を聞きながら、日本でこの4月から小学校5、6年生で英語が完全必修化となることが頭をよぎった。マオリ人にとってのマオリ語と、日本人にとって の日本語の位置は、今両極にあるように感じる。確かに英語ができれば世界でも通用するようになるのだろう。しかし日本人にとって外国語である英語を小さい うちから勉強しなくてはいけないものなのかな、と思う。

私は日本語が大好きだ。特にオノマトペはすごく楽しいし、謙譲・尊敬・丁寧語などは心遣いが感じられて良い。女言葉、男言葉もある。日本語はコミュニケー ションのための言語ではあるけれど、同時にその後ろに日本文化が見え隠れする。すごく素晴らしい言葉じゃないかと思う。

日本語が乱れてきていると嘆くくせに、国語の時間は増やさない。でも子どもたちに英語という外国語の習得は熱心に薦める。企業によっては社内で英語を話す ことを義務づけているところもあるという。美しい日本語を失ってほしくないけれど、一度失いかけなくては、その良さに気づかないのかもしれない。



2011年1月7日

不自由さが産む工夫


「必要は発明の母」という言葉はよく聞くし、もっともな格言だと思う。これの変形版を自分で勝手に作ってみた。それが、「持たざるは発明の母」だ。

子どもが小さい時、どんな子育て法があるのか雑誌を読んだりして情報収集していたが、中に「まだ完全に出来上がっていない、造りかけの家に住むのがいい」 というなかなかユニークな意見があった。キーウィにとって日曜大工は朝飯前。中古住宅、特に手直しを必要とする家を買った場合は、自分でコツコツ手を入れ ることも珍しくない。中には「ボクが死ぬまでに完成するかなぁ?」なんて冗談を言いながら、週末、大工さんに変身するお父さんもいる。

最初からすべてが備えられた環境で育つより、どこかちょっと不便だったり、何かが欠けている環境の方が子どもにはいいというのだ。親と一緒にコツコツ自分の家を造っていく中で、子どもは多くを学ぶというのが、この考えの根底にはある。

例えばおもちゃひとつとっても、ほしいものをすべて買い、市販のものをズラリとそろえるより、買わずにおくものがあっていいのではないか。そうすれば、子 どもは自分でどんな材料を使って、どんな風に組み立てればそれに近いものが作れるかを考えるもの。要するに工夫するというわけだ。

先日我が家で子猫を飼い始めた。娘は市販のかわいいネズミの形をしたおもちゃや、カラフルなボールなどを猫にほしがったのだが、私は買わなかった。そうし たら、娘は段ボール箱を大小の猫の手型にくり抜いて、その中に入ったり出たりできる家を、手伝ってもらいながら猫のために作った。さらにアルミホイルで ボールも作った。子猫は今、その家に入って前足だけ出したり、その中から弾丸ように走り出して、ホイルのボールを追いかけて遊んでいる。

この世に生まれてそう年月が経つわけではないけれど、今まで見たり 聞いたり、習ったりしたことをさまざまに組み合わせて工夫し、何かを創り出す力を子どもはそなえているものだなぁと感心する。子どものことなので、時には 実際そのアイデアを形にするのは難しいこともある。しかし、彼らは生まれながらにして「entrepreneur」であり、「発明家」だ。ちょっとした不 自由さが、子どもにどんなアイデアをもたらすだろうか。彼らの限りない想像力と創造力には脱帽だ。


2010年12月24日

もったいないおばさんの苦悩

私 は世間でワンガリ・マータイさんが「もったいない運動」で評判になる前から「もったいない」ことに敏感だった。私の母は若いころは自称「捨て魔」で、必要 ないと見切ったものはどんどん処分するタイプだった。しかしもう一代さかのぼった祖母はなかなかものを捨てられない人で、私はどうやら彼女の血を引いてい るようだ。何でもまだ使えるからとか、使用済みのものでも別の機会に使えそうだからと、彼女は大事にとっておいたものだ。

クリスマスは子どもの誕生日に続き、釈然としない気持ちになる季節である。何がひっかかるかというと、それはプレゼントのラッピングペーパーだ。たった1 回使うために、それも開ける人はたいてい破って開けるので、再度使うことができないラッピングペーパー。誰かがバリバリバリと勢いよく包装紙を破る時、 「もったいないおばさん」の私のハートも一緒に破られるのである。

そもそもなぜこちらの人はラッピングペーパーを破って開けるのだろう? 昔々アメリカのドラマか何かを見ていて、プレゼントを開ける時何の躊躇もなく包装 紙を破るのを見て、「わ~、あんな風に開けちゃうんだ」とびっくりしたものだ。なので、今に始まったことではないのだろう。今、日本ではどうなんだろう か? 私が子どものころは決してそんなことはしなかった。丁寧に開けて、やはりきれいなものはとっておいて再利用したりした。

「環境に優しく」が叫ばれる中で、ラッピングペーパーの代わりにセコハンのスカーフでクリスマス・プレゼントを包む人が新聞に紹介されていた。悪くないア イデアだけれど、もしそのスカーフが要らなかった人はどうすればいいのだろう? 引き出しの奥にしまいこんでしまうのか、やはり包装紙同様ごみとして捨て てしまうのか、はたまた再びオプ・ショップに寄付することになるのか……。

何となくあまり解決になっていないような気がする。いっそのこと、ラッピングペーパーでプレゼントを包装するのを止めてしまえばいいのに、とさえ思ったり する。でもプレゼントの中身が最初から見えてたら「お楽しみ」のニュアンスがなくなってしまってつまらないだろう。新聞紙に包んだらフィッシュ&チップス になってしまいそうだし……。それならスカーフでも包装紙よりましなのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、すでにクリスマス・イブ。今年も解決策を見出せずにプレゼントをラッピングする自分がいる。切り倒される木とプレゼントを 包んだ包装紙が破られるところの両方を思い浮かべ、自分は「もったいないおばさん」の名を返上しなくてはいけないかもしれないと思ったりする。



2010年12月15日

“Giving”の季節

つい昨日テレビを見ていたら、先月作業員29人全員が死亡するという事故が起こったグレイマウスのパイクリバー炭鉱のニュースの続報が流れていた。

親会社であるパイクリバー・コール・リミテッドが倒産、管財人の管理下にある状態になったという。スタッフ114人全員が解雇となり、社員には割り増し退職金やホリデーペイが出るものの、契約社員には何も出ないということが明らかになった。

事故で息子を亡くした男性のひとりが「契約社員の中には1日に18~20時間も働いて何とか坑内から29人を助け出そうとしてくれた。今度は私たちが何と してでも彼らを助けなくては」と言っている。その言葉を聞いて、オークランドに住んでいた時分のことを思い出した。

オークランドのクィーン・ストリートは目抜き通りだけあり人通りが多いので、よく街角に寄付金箱を持った、いろいろな慈善事業団体やイベントの関係者が寄 付を募っていた。そしてまた大道芸人も多かった。失業中と見受けられる人がほとんどで、お金に余裕があるようには見えず、だからこそ大道芸を披露して小銭 を稼いでいることが想像された。

パフォーマンスを終えてその場を去る時、大道芸人たちはその寄付金箱にさりげなく小銭を入れて帰って行っていく。高そうなスーツに身を固めた人たちが、差し出された寄付金箱を無視して通り過ぎていくのと、その姿は対照的だった。

社会的弱者は自分と似た境遇の、その寄付金の受け取り人のことを身をもって理解しているのだろう。同じような苦境の中にいる人たちを助けるために自分のわ ずかな稼ぎが減ってしまうことをいとわない。胸がキュンとなる。少し悲しいけれど、とても温かい光景だ。

早くももうクリスマスは10日後。商業主義のクリスマスに振り回されがちだけれど、この季節は“Giving”の時期でもある。そのことを忘れずにいたいと思う。



2010年11月25日

どこまでヘルシーになっていくのか?

少 し前にアーノッツ社から売り出された「Vita-Weat Rice Crackers」。つまんだ後の指先に脂がつくポテトチップを食べているキーウィ(私もポテトチップは大好きだが)が住むこの国にまたまたヘルシース ナックが登場したわけだ。ポテトチップが健康的ではないことに気づき、まずはライスクラッカーやライスケーク/ウェファースに目をつけ、それを食べるよう になり、そしてとうとう従来の白米ではなく、ブラウンライスを原料とするこのVita-Weat Rice Crackersの発売とあいなったわけだ。

最近思うのだが、ニュージーランドのスナック菓子はどんどん「健康的」になり、それがウリになっているんだなぁと。そもそも日本はスナック菓子を含め、お 菓子とそうでないものとの区別がはっきりしているような気がするが、ここではすごくあいまいな気がする。例えばランチタイムにミューズリーバーを食べる人 がいるが、それは果たして食事なのか? お菓子なのか? 日本では、食物アレルギーなどは最近配慮されているものの、お菓子はお菓子であって、ヘルシー志 向を追及しているようには見えない。

9月に一時帰国した際に7歳の子どもたちと娘が遊ぶ機会があった。放課後だったので、みんなおやつを済ませてくるか、持ってくるか。もし持ってきているの だったら、どんなものを持ってくるのだろう? とちょっと興味がわいた。カップ入りのポテトチップのようなスナック菓子、アメ、グミ、チョコレート、ビス ケット……と、中には素材や製造法に気を遣ったものもあるのかもしれないけれど、パッと見ではまったく普通のいわゆるお菓子 で、ニュージーランドで売られているもののように、「脂分○○%カット」といったような「ヘルシー」を売りにしているもののようには見受けられなかった。

それに比べてここでは、「おやつでも極力ヘルシーに」することが強く薦められている。日本の子どもたちがごく普通の日に持ち寄ったものは、この国の子どもたちにとっては特別な機会だけにもらえる「treat」だ。

ニュージーランドは不名誉ながら、世界でも3位に入る肥満大国だ。それに歯止めをかけようと口に入れるものは何でも健康的なものを、となるのはわかるけれ ど、日本はどうだろう? もちろん人種が違うから体のサイズが違うことはわかっているけれど、特におやつにヘルシーなものを食べているとは思えない日本人 は世界の肥満ランキングには入ってこない。

卵が先か、ニワトリが先か……それを考え出すと切りがない。しかし、ニュージーランドはこの先も究極のヘルシーフードを求めていくのだろうか。興味を持って見守っていきたい。



2010年11月6日

循環していくもの

最近とてもいい天気が続いている。風が冷たいことはままあるが、それでも着実に季節が移り変わっていっているのが感じられる。庭には私たちが植えた草木も、勝手に育っている雑草も花をつけ、それを手折って、花瓶にいけるのが楽しい。

私の母は鉢植えを育てるのがへたですぐに枯らしてしまうが、切り花は大好きでよく実家には花が飾られている。華道も一時は習っていたけれど、普段花瓶にいける時はあくまで我流。私も小さい時は余ったお花をもらって好きなようにいけたりしていた。

どんなに上手に水切りをしても、切り花はいつか枯れてしまうもの。それを捨てる時、母はいつも「ありがとう」と花にお礼を言う。きれいな姿で私たちを楽し ませてくれた花への感謝の言葉だ。小さい時からこれを見ていた私も同様に花にお別れをつぶやく。

実家はマンションなので、コンポストに捨てるというわけにはいかないのだが、私の場合は枯れた花を必ずコンポストビンに入れる。ごみ箱に捨てて「ハイ、さ ようなら」ではなく、ビンに入れればそのうち堆肥になる。その堆肥で別の花を育てれば、捨てた花がうかばれるような気がする。世界は循環しているんだよ なぁと思う。

もう四、五年前の話になるが、知り合いのマオリ人女性が主催するワークショップがあって、それに参加したことがある。ちょうどティータイムの時に窓を開け ると、風が強く、枯れ葉が一枚舞い込んできた。足元に落ちたその枯れ葉を、彼女は誰に言うともなしに、「自然のものは自然にかえしてあげなきゃね」とつぶ やいて拾い、窓の外に出した。ワークショップは面白かったし、良い経験になったのは言うまでもないのだが、その日の私の収穫は彼女の言葉にほかならなかっ た。

自然のものは自然に最後にはかえるべきだし、それは普通のこと。枯れた花は、そうやって次の植物の命を支える。そしてその植物が枯れた時も同じ。今までも そうだったように、これからもずっとずっとこれが繰り返されていく。私のこの知人は数年前に亡くなった。それでも彼女のこの大切な一言は私の心に残ってい る。この言葉は娘から、その子どもに伝えられるだろう、生が循環するのと同じように。



2010年10月26日

目が見え、手足が動くということ

ニュージーランドでは今日から11月1日までの1週間、「ブラインド(目の不自由な人)・ウィーク」となる。そんな折も折、こんなことがあった。

私がスーパーマーケットのビスケットの棚の前で何を買おうか迷っていると、ごく普通の初老の男性がにこにこと近寄ってきた。そして、「『スイス・クリーム (バニラクリームをはさんだビスケット)』はどこにありますか? 取ってもらえますか?」と私に言うのだ。私たちはそのすぐ前に立っていたので、私が少し とまどっていると、その人は笑顔を絶やさず、「私は目が見えないんです」と付け加えた。

やっと状況が理解できた
私 は、目の前のスイス・クリームのパックを取り、「『スイス・クリーム』って書いてあるから、これですよ」と言って、彼に渡した。「ありがとう」と言って立 ち去る彼の後姿を見送り、彼がショッピングカートを押しているのに気づいた。そう、彼だって私たち健常者と同じように買い物をしなくちゃならないのだ。で もどうやって? ひとつのものを買うのに、いちいち人に尋ねるのだろうか。そもそも、どの商品がどの棚にあるかどうやってわかるのだろうか。それに必ずそ こに誰か尋ねる人がいるとは限らない。

健常者として暮らす分には生活に支障はないけれど、ふとこんな具合に目の不自由な人などの視点に立つ機会があると、街や店の造りがすごく不親切な気がする し、危ないんじゃないかとすら感じる。目が不自由でも、慣れていればさほど気にならないのかもしれない。それでも、これではいけないんじゃないか、もっと 健常者以外の人も暮らしやすくすべきなんじゃないのか、と思う。なかなか人は、自分以外の人の立場に立って考えられない。

そ んな帰り道、今度は足が不自由なのだろう、電気スクーターに乗ったおじさんが各戸の郵便受けにチラシを入れる仕事をしているのを目にした。私たちと何ら変 わりなく社会に貢献し、暮らすこうした人たち。ちょっとしたことでも不平を言ったりする自分が恥ずかしくなる。私には自由に使える手足があって、近眼だけ ど目も見える。それは当たり前のことのようだが、そうではない人もいる。自分のこの境遇を日ごろからありがたく感じながら暮らしたい、と思う。


2010年10月13日

カワイイもの尽くし

日 本の小学校での体験入学中に娘が覚えた言葉の中でも際立っているのが、「めっちゃカワイ!」という言葉。外国語の言葉でまず最初に身につくのはスラング や、それに近い言葉であることが多いというのが一般常識。母語が英語の娘の場合もそのごたぶんにもれずといったところのよう。日本にいる間、娘はほぼ毎 日、それも日に何度もこの言葉を連発していた。

「めっちゃカワイ!」と口に出す度に、私は何がかわいいんだろう? と観察していたわけだが、確かに日本にはむやみやたらに「カワイイ」ものが多いことに 気づいた。町を歩けば自動販売機にペンギン、コンビニで買い物をすれば飲み物のボトルにクマ、新聞を開けば広告にクリクリおめめの女の子といった具合に、 「カワイイ」ものはそれはもう押すな押すなといった風情で私たちのことを取り囲んでいる。私が日本に住んでいた12年ほど前でもこうした傾向はあったが、 ここまでではなかったような気がする。どんなものにも、かわいいイメージキャラクターが創り出され、製品などに添えられている。

どこの会社か忘れたが、家庭用品の通販カタログを見ていてびっくりした。家庭用品はやはりその家の奥さんが選ぶことが多いのではないか。つまりこのカタロ グのターゲットは大人なはずだ。なのに、そこに載っている家庭用品にはどれもディズニーなどのキャラクターものだったのだ。ネット通販などの宣伝を見てい てもディズニーの婚約指輪とかが出ていたりする。ギョギョギョである。こんなのを買う人がいるのだろうか!? 売っているのだから、きっといるのだろう が、しかし!

私が日本に帰ると必ず見る番組にNHKの『東京カワイイTV』がある。世界に誇る、日本のサブカルチャーがロリータなどの「カワイイ」ファッション。「カ ワイイ」はすでに世界共通語となっている。番組を見ていると、私の日常とはあまりに逸脱していて楽しめてしまう。

ニュージーランドにもじわじわとキティーちゃんなどのキャラクターが入ってきてはいるが、その存在はまだまだ微々たるもの。車で町を走っていても、どこに も「カワイイ」ものなどありゃしない。それが何だか殺風景に見えてくる。恐るべし! 日本の「カワイイ」ものたち!


2010年8月28日

10×6=60なのだけれど

ニュージーランドの小学校と日本の小学校で違うところは星の数ほどもある。ものによっては、正反対なんじゃないか、と思うことすら少なくない。そんな中でも最近「ふむふむ、そんな風に教わるんだ」と感心したのは算数だ。

娘はかけ算を今習っているのだが、例えば10×6=60という問題。ニュージーランドの場合は、10×6=60、 6×10=60、10+10+10+10+10+10=60、6+6+6+6+6+6+6+6+6+6=60をまとめて学ぶ。また 「×(かける)」もいろいろな風に呼ばれる。「times」という数式上の呼び方はもちろん、10×6であれば、「10 groups of 6 is 60」といったりもする。
「9×6の答えは?」と訊かれたら、習っていないとか、答えがわからないとは言わせない。子どもたちはわかっている
10 groups of 6から、9×6の答えを導くことを促される。9×6は9 groups of 6で、10 groups of 6より1group (6)少ないという風に考えて、九九のように頭に入っていなくても、子どもたちは答えを出す。

では6分の1という分数はどうか。分数のコンセプトを理解しているとして、「60の6分の1は?」と尋ねられたとする。10+10+10+10+10+ 10=60を思い出しさえすれば、子どもたちは答えを出せる。こういう習い方をしている娘に算数について質問されると、学び方がまったく違った私は最初と ても戸惑った。最近は自分なりに当地の学習法を把握するように気をつけているので、だいぶましになったが。

当たり前じゃないかと呆れられるかもしれないが、こういう風にニュージーランド流の算数の教え方・学び方を見ていて初めて、四則算はそれぞれが別々のもの ではないということに気付いた。自分が習った時、その関連性はまったく認知していなかった(もっとも私が算数が得意でなかったせいもあるのかもしれない が)。繰り上がりにしても、繰り下がりにしても、九九にしても計算の方法・テクニックは教えてもらい、暗記したりして身につけ、複雑な計算ができるように なっていったが、こうした根幹の部分は気にもしていなかった。

ニュージーランドの子どもたちもTimes Tableと呼ばれる九九を覚えなくてはならない。それも×9までではなく、×12までだ。でも最初から「ににんがし」とかいう 風に暗記させられることはない。個々の数字の成り立ちとでもいおうか、さっきも触れたベースの部分を理解してからとなる。

日本人の算数・数学の能力はニュージーランドを含め海外で高く評価されている。「公文式」の算数は私の住むようなちっぽけな町でも教室があるほどだ。しか し、ベースの部分をじっくり学ぶニュージーランド人も負けてはいない。2006年に57ヵ国の15歳児を対象に行なわれた「OECD生徒の学習到達度調査 (PISA)」の数学的リテラシーでは、1ポイント差で日本の次にニュージーランドがつけている。この順位が逆転する日が来ないとはいえない。



2010年8月16日


香りや匂いが運ぶもの

最 近は早くもちょっと春めいてきている。今冬は暖かい日が多く、まだタラナキ山に雪遊びにも行っていないのに、もう春が来るのだろうか。裏庭では緋寒桜が満 開で、たくさんのトゥイたちが毎日遊びにやって来る。玄関脇の沈丁花が花をつけ、出入りする度にツンとした香りが漂い、気分を引き締めてくれる。

私は特に香りや匂いが原因で、昔のことを思い出すことが多い。まだ東京で会社勤めをしているころ、歩いて会社に通っている同僚がいて、途中に咲いている沈 丁花の花をこっそり折ってきて、デスクに飾っていた。我が家の沈丁花の香りをかぐと、ふっと会社勤め時代の忙しい日々が蘇る。

小さい頃、夏休みに母方の祖父母の家に行くと、少しフルーツのような甘い香りのする花が咲いていた。ニュージーランドに住み始めて、その香りを再びかいだ 時、私は一挙にその子ども時代に引き戻された。こちらでポートマグノリア(日本語ではカラタネオガタマというのだそう)と呼ばれている花だということを知 り、即座に苗木を2本買い、庭に植えた。今は花を咲かせる夏から秋に、私は祖父母の思い出にひたる。

何もかぐわしい花の香りだけではない。埃の匂いですら、私をセンチメンタルな気持ちにさせる。これは私が通っていた小学校の図書室の匂いだ。夕方に差し込 む西日の中で本を選ぶのが好きだった。埃の匂いをかぐと、この図書室で将来勉強するものを見出したのだったなぁと感慨深い。

せっかくニュージーランドに住んでいて、庭もあるのだから、香りをいい花をそろえようと思っている。ポートワインマグノリア、沈丁花、ラベンダー、フリー ジアはすでにあるが、少し前にクチナシを枯らしてしまった。毎日仕事やら家事やら子育てやらでバタバタしていて、なかなか庭まで手が回らないのだが、クチ ナシ、蝋梅、水仙なんかを植えたい。それに金木犀も。でも残念ながらこれはまだこの国では見たことがない。どの花も私には思い出いっぱいのもの。庭に花開 く思い出たちは、日々の生活に追われる私を優しく包み込んでくれるはずだ。



2010年7月27日

「のんびり屋」の仮面にだまされるな!?

この国に住み始めて以来、ニュージーランド人(キーウィ)はのんびりしている人たちだと思っていたし、今もそれに変わりはない。しかし、彼らに対してそうしたイメージを持つがゆえに、しっぺ返しを食らうことがある。

一学期も終わりに近づいたころのこと。娘の水泳教室の二学期分の申し込みが始まったという張り紙が出た。レッスン前にそれに気付いたものの、「どうせキー ウィはゆっくりしているから、今すぐに申し込まなくてもそうすぐには場所は埋まらないでしょ。それにこの国は人口も少ないしね~」などと思い、レッスンを 見学した後に悠々と申し込みに行ったのが間違いだった。すでに放課後すぐの早い時間のレッスンは満杯。夕方5時15分終了のクラスしか空きがなく、そこに 参加せざるを得なかった。

ゆっくりする時間も取ってやりたいし、宿題などもある。なので放課後さっさとお稽古事を済ませて帰宅するのが理想的なのだが、私が悠長に構えていたために 二学期の水泳教室のある日は毎週あわただしくなるはめになってしまった。なので、三学期分のレッスンについては、その申し込みが始まった途端、その足で受 け付けへ。おかげで思った通りの早い時間のレッスンを取ることができた。

また最近娘のクラスメートのお兄さんやお姉さんが進学希望を出していた中学・高校から返事をもらう時期に来ているせいもあって、小学校3年生の娘の進路を どうするか考え始めた。ほかのお母さんたちとそのことを話していてわかったことは、「私たちは遅い」ということ。教育熱心な親の中で、私立のカトリック系 の中学・高校を子どもに選んだ人は、カトリック教徒ではなかったせいもあるが、すでに申し込みを済ませている。こうした親はさらに何人かクラスにいるとい う。そういえば、小学校を選ぶ時も、評判のいい私立へはその子どもが生まれた時に申し込むもんだと聞いたような記憶がある。

「のんびりしてないじゃない! キーウィってば!」と私は裏切られたような気分になる。のほほんとした顔をしていながら、肝心のことはさっさとやってのけ ているではないか。世界で指折りの能率の良さを誇る日本から来た私の方が、のんびり屋のイメージがあるキーウィより、のんきなのか!? 新しいキーウィ像 と新しい自分を発見したような気がした。

2010年7月15日

世界で一番安全な国

最 近日本の実家から送られてきた最近の新聞の切り抜きの中に、「世界平和度指数」の記事があった。これは英国の調査機関などが2007年から毎年世界 149ヵ国の平和の度合いをランク付けし、発表しているものだ。外国との紛争や国内の殺人事件数、テロの危険性、人権保護の水準、軍事費など23項目の要 素を数値化して、その順位をつける。切り抜きの赤線に目をやると、そのランキングで、ニュージーランドが2年連続1位に輝いたことがわかった。世界で最も 安全な国というお墨付きをもらったわけである。

日本は3位。この指数によれば、日本はニュージーランドより危険なところなわけだ。20年も前のことだが、日本に住んでいたことがある夫に、子どもが見知 らぬ人などにいたずらされたり、けがをさせられたりすることがあり、それを防止するために子どもの安全確保のためのシステムが日本でいろいろ発達している ことをこの間話したら、驚いていた。日本は世界で一番安全な国だとまだ思っていたのだ。私も日本はこの数十年の間にずいぶん変わってしまったなぁと思う。 それでも世界で3番目に安全な国なのだから、国から一歩出れば、もっと危ないところはいくつもあるということなのか。

つい数日前、クライストチャーチで警官と警察犬が銃で撃たれる事件が起こった。警官はけがを負い、警察犬は死んだ。パトカーの中に銃はあったらしいが、こ の国では基本的に警官は銃を携行しない。それが仇になったとして、あるテレビ番組で視聴者投票をしたところ、80パーセント以上が警官は常に銃を身につけ ているべきだという結果が出た。

私はこれを見ていて、とても残念だなぁと思った。もちろん警官が勤務中にけがをしたり、亡くなったりするのはいけないと思う(これは警察犬も同様だ)。し かし、何が「タマゴ」で何が「ニワトリ」なのかわからないけれど、これが銃社会への一歩のような気がするからだ。日本のように警官が銃を携行していても、 銃社会にはなっていない例もあるだろう。しかし、もともとニュージーランドでは銃は日本に比べれば、身近な存在なのではないか。ファームは多く、ハンティ ングをする人も珍しくない。

来年の「世界平和度指数」でも、ニュージーランドが1位でありますように。



2010年6月30日


歳をとっても大事にしたい

愛 猫を見ていて、「最近歳をとったなぁ」と思うようになった。かつては誰をも魅了した容色は衰えを見せつつある。すでに12歳。当然なのかもしれない。温か いところで寝ていることが多くなった。歳のせいだからだろうと思っていたら、何回か左前足を引きずって歩いているのに気付き、足が痛くてあまり動きたくな いのかもしれないと気付いた。

獣医さんに連れていくと触診では、左前足のひじの部分に関節炎、指の部分にその他の問題があるかもしれないということで、原因をはっきりさせるためにレン トゲン撮影を薦められた。動物はものが言えない分、きちんと飼い主が病状を把握してやらなくてはならないなと常々思っているが、その料金は相当なもの。レ ントゲンを受けさせるかどうか考えている時、知り合いとおしゃべりをしていて、歳をとったペットの話になった。

彼女は、「もしペットが歳をとって動けなくなったら、安楽死を選ぶ」とためらいなく言った。「犬なら走り回るとか、猫なら獲物をとってくるとか、その動物 ならではの充実した生活を送れなくなったら、生きている意味はない」というのがその理由。私は、ああやっぱりそうなんだ、と思った。この国の人のおおかた の考え方は彼女と同じだ。どんなに長く海外に暮らしていても、どうしても理解できないことはあるもので、私にとってはこれもそのひとつ。

日本に暮らしている時、道端で飛べなくなったハトを見つけたことがある。獣医さんに連れていって、ン万円をかけて翼にギプスをしてもらった。結局飛べるよ うにはならず、彼(たぶん)はカゴの中で一生暮らすことになった。きっとここで起こったことなら、「鳥が飛べないなんて、もってのほか。生きていたらかわ いそう。安楽死させてあげればいいのに」と言われたに違いない。

歳をとって病気になったり、体が動かなくなることが、イコール充実した生活を送っていないとどうやって決められるの? 動物がしゃべれたら、何と言うのだろう? なぜ人間に動物のことがわかるの?

結局我が家の老嬢はレントゲン検査を受け、変形性脊椎症であることがわかった。炎症と痛みを和らげる薬が処方され、それをのませているが、行動が目立って 若返ったということはない。それでも、痛みがましになって過ごしやすくなっているのではないかと想像してみる。でももしかしたら、本当は「あんまり効いて にゃいよ」と本人(猫)は思ってるのかもしれない。これからもできるだけ大事にしてやりたいなぁと思う。


2010年6月13日

サイドラインのポジティブな親たち

「そ ちらではみんなあんなに熱心な応援をするの?」 実家の両親とおしゃべりをした時に、こう尋ねられた。ユーチューブに載せた娘のサッカーの試合を見ての感 想の開口一番がこれだった。その直後に、週に一度のサッカーの試合があり、たまたまチームメイトのお母さんと「こんなに声援を送るのは、私たちだけだわ ねぇ」と笑いあったこともあり、私も気付いた。子どものサッカーの試合の時にここまで声高に応援するのは、どうも娘の学校の親たちの特徴のようなのだ。

この国の子育ての基本は「褒める」ということ。褒めるに値することをした時に褒められるのは当たり前だが、例え結果が芳しくなくても努力を怠らず、それが 認められれば、子どもはおおいに褒められる。親や教師はその子のマイナス面ではなく、プラス面を評価する。子どものいるところではどこででもそれは実行さ れているが、その極みがこのサッカーの試合なのではないかと思う。

「その調子!」、「そこでボールを取らなきゃ!」、「みんなで助け合わなくちゃだめよ!」、「そこにいる○○くんにパスして!」と、応援とアドバイスの声 が飛ぶ。そして、「よくできたね、△△ちゃん!」、「□□くん、よくがんばった!」と、その場で褒めちぎる。上手な子がゴールを決めれば、親たちはその子 に拍手喝采を送る。当たり前のことだろう。しかし、そう上手ではない子がうまくパスできた時なども、それだけでゴールを決めた子と同じぐらい褒められる。

そして、それは自分のチームだけにとどまらない。相手チームが得点を入れたり、いいプレーをした時も、同様に褒めたたえる。

スポーツの試合のサイドラインで、応援が白熱するあまり親が相手のチームや審判をけなし、口論になるというのは決して聞かない話ではない。しかし、娘の チームの応援をしている限り、それは一体どこの世界のこと? と思いたくなるほど、どの親もポジティブだ。確かに私たちはうるさい観客だろう。しかし、そ のポジティブさを受けてか、娘のチームはいつも和気あいあい。7歳児のチームながら、8歳児のチームを相手になかなか奮闘しているのである。



2010年5月29日

ピアノのお稽古にまつわる「ところ変われば……」

海 外暮らしには、「ところ変われば……」ということがつきものだが、娘が習うピアノのお稽古では、そんなことが目白押しで、か なり面食らうことが多い。私も小さい時にピアノを10年ほど習っていたせいもあって、国や時代の違いをひしひしと感じる。

そもそも最初の一歩から、そんなことをガツンとかまされた。5歳の娘を先生のところに連れていったら、「5歳? 習うにはまだ早いわね~」と言われたの だ。私がピアノを習い始めたのは3歳。なので5歳ではもう遅いかもなどと思っていたのだが、そうではないのだ。びっくりして「私は3歳から習っていました が」と口に出すと、先生はとりあえず娘が指示を理解して、それを実行できるかどうか見てくれた。結局は習わせてもらえることになったのだが、先生は「普通 だったら5歳は教えないんだけどね」と最後まで言っていた。

普段の家での練習もしかり。私は毎日最低1時間はピアノの練習をしていた。しかし、娘の練習はほんの10分か15分。先生いわく「短時間でも毎日やること に意義がある」とのことで、この年齢で毎日練習をするとなると、それに費やす時間はこれぐらいが妥当でしょう、というのである。私は小さい時の自分と比べ て、娘がちょっとうらやましかった。

少し前にあったリサイタルでも、想像とは違うことがあった。「リサイタルに出る」と聞いて、「これはきれいな服でも新調してあげなくちゃいけないかし ら?」とまず思った。私は父母に発表会のためにきれいなドレスを買ってもらったものだった。本人に尋ねると、「うん、ちょっといつもよりきれいな格好をし てくるといいよって先生が言っていた」と言う。そこでふと気付いた。きっと私が発表会に着ていったようなドレスなんかだったら、周りから浮くに違いない、 と。

なので、先生のアドバイス通り、いつもよりちょっとこぎれいな程度の服を着させてリサイタルへ。着飾っているわけでもないし、だからといって場違いなもの を着ているわけでもなく、ちょうどいい感じだったので、ほっとした。女の子の中には、本格的なドレスを着、おそろいの羽根つきのきれいな帽子をかぶってい る10代もいるにはいたが、その一方で体のラインが見えるピチピチのジーンズにブーツといういでたちの子も少なくなかった。男の子の方が総じてこぎれい で、ジーンズではない普通のズボンに襟つきのシャツというオーソドックスな点が皆同じだった。女の子の方がきちんとしているかと思ったらそういうわけでは なかった。面白いものだ。

それに演奏が始まってみると、年齢に関係なく、みんな楽譜を見て演奏しているではないか。「あれ? うちの子のように小さい子だけが楽譜を見ることを許さ れているわけではなかったんだ」と気付く。私の時の発表会では暗譜が大前提だったのだ。なので、より間違える可能性があったし、そのこと自体を考えると、 幼いながらとても緊張したのをよく覚えている。

こうしてみると、ピアノのお稽古ひとつとっても、ニュージーランドのおおらかさが見られるものだ。時々こんなにゆったり、のんびりでいいの!? と不安に ならなくもない。しかし、娘がこの先一生ピアノを楽しめるといいだろうと願ってのお稽古である。何だか今のニュージーランド式の方が長続きしそうでいいで はないか。



2010年5月11日

やっぱり普通の人なのね

一応フリーランス・ライターなので、取材やインタビューに出ることはあっても、たいていは自宅で仕事をしている。我が家の前の通りは道幅は広く、車はそこそこ通るが、人通りは少ない。

クーリエ便の配達員か、何か渡すものがあって寄る友人ぐらいのもので、私は誰にも邪魔されずに仕事をすることができる……は ずなのだが、それが時にそうはいかないことがある。要するに「招かざる客」がドアをノックすることがあるのだ。十中八九、それは宗教の勧誘の人だ。2、3 人の、年齢もさまざまな男女が、信者にならないかと勧誘にやって来る。

最初は私はお人よしにもドアをいちいち開けていた。私は、「子どもの時は神社で七五三をし、年頃になればキリスト教で結婚し、死んだら仏式でお葬式をする 国」から来た人間なので、「人間の力の及ばない『力』の存在」や「八百万の神」などは信じているけれど、特定の宗教の信徒というわけではない。つまり基本 的に「無宗教」だ。なので、彼らと対峙する時は、「あなたたちの宗教に興味はないから」と断る。最近はだんだん億劫になり、彼らが必ずグループでやってく ることを発見してからは、居留守を使う。何度来られても同じなんだけどなぁ。

ある日、車で外出から戻ると、我が家の玄関に人影があることに気付いた。また勧誘の人に違いない。そこで私は(人が悪いのだが、好奇心から)そ知らぬ顔を して、近くに車をとめ、グループが何をするのか見守った。かなり年配の男性と50代の女性、そして60代ぐらいの女性の3人組だ。誰も家にいないとわかる と、通りに引き返してきて、そこで何か話している。すると向こうから今度は男女のペアが通りの同じ側を歩いてくる。そのペアは結局3人組に合流し、ひとし きり話した後、それぞれの車に乗って、去って行った。

近所の人が勧誘に来ているわけではないのだ。わざわざ車に乗ってほかのエリアにまで来て、信者を増やそうとしているのだ。世知辛い私は「ガソリン代はどう なっているんだろう? まさか出してもらっているわけもなかろうから、これも奉仕なのだろうな。信者を増やそうと自分の信じる宗教のために努力をするなん て、すごいなぁ」と感心してしまった。

ところが、その後同じ3人組をまた我が家の近くで見かけた。私が郵便箱に郵便物を取りに行った時のことだ。道を渡ればすぐの彼らの目の前に、私は立ってい る。熱心な彼らのことだ、「これはつかまって、勧誘されるかも」と思ったが、さにあらず。彼らは、今日のターゲットは通りの反対側と決めているようだ。私 に気付いても無視。黙々と通りの反対側を歩き続け、向かいの家に消えていった。この間まで彼らのことを「熱心だなぁ。私にはできないなぁ」と思っていた が、道を渡ってまで声をかけるほど熱心でもない彼らの姿を見て、「あぁ、やっぱり普通の人なのね」と思った。



2010年5月1日

誰それ!?

「… …でね、そこに『ジョン』が来て、直してくれたのだけど、すぐにまた壊れてその日はもう使うのをあきらめたのよ~… …」と知り合ったばかりの女性がしゃべっているのを聞いていて、「ジョンとは誰ぞや~!?」と私は想像たくましくしなければならなくなっ た。かなりうっとうしい。この「ジョン」って一体誰なの!? はっきり説明してほしい。

話していることはちゃんと理解できるのに、この「ジョン」という人物の説明がないがために、続けられる話を、釈然としないまま聞くことになる。注意深く話 を聞いているうちに、その前後関係から「ジョン」というのは、話している人のご主人だということがわかってくる。やっと、自分の中でも彼女の話のつじつま が合って、すっきりする。

この国で暮らしていると、こんなことがしょっちゅうだ。キーウィたちは例え相手が初対面であっても、個人の名前を出して話をする。要するに、 「……でね、そこに『夫』が来て、直してくれたのだけど、すぐにまた壊れてその日はもう使うのをあきらめたのよ ~……」と話してくれればいいのに、それを絶対にせずに、「ジョン」とくる。

それなら「ジョンって誰?」と尋ねればいいのだろうが、調子よくしゃべっている相手の話の腰を折ることになるし、何より、人のことを質問するわけで、それ がその本人、そして話している人に失礼にならないとも限らない。そう考えるとどうも尋ねるのが億劫になって、結局自分で答えを探す方を選んでしまう。

たまたま少し前に在住のフランス人とオーストリア人と初対面で話す機会があったが、どちらもちゃんと「私の夫」とか、「友人」とか、「大家さん」とか、 「娘」とかいう風に人物を登場させ、決して「デービッド」とか、「ブリジット」とか、「クリス」とか、「アマンダ」というように個人の名前がいきなり出て きて、私を迷わせることはなかった。誰彼構わず、相手がわかっているという勝手な前提で個人名を話中に出すのは、どうやらキーウィだけのようだ。

ニュージーランドで暮らして12年。キーウィたちが早口だったり、変な風に言葉をはしょったり、はたまた英語の中にマオリ語をまぜたりというのには慣れ た。しかし、この「誰それ!?」と想像力をたくましくしなくてはいけないことは、この先まだまだありそうだ



2010年4月24日

風邪の治し方

このところ風邪をひいていた。このことを実家の母に話すと、「早めにお医者さんに行きなさい」と言われた。しかしニュージーランドでは、特に「早めに」医者に診てもらっても、たいていの場合あまり風邪を治すのには役に立たない。

日本に住んでいたころは、こんな時にはよく救急センターを利用したものだった。常に仕事は忙しく、休みは取れない。いや正確には、当然取ってもいいのだ が、治って出勤した時の机上を想像しただけで、また病気になりそうな気がして、それぐらいならさっさと何とかして治そうと思う。そういう時には会社がひけ てからや、週末などに救急センターに駆け込んだ。

当時、私が行っていた救急センターは夜間に内科の患者を診てくれるところで、救急車で担ぎこまれるほど症状は重くないけれど、翌朝一般医が開くより前には 診てもらわないと夜を越すのがつらいというような人が自家用車などで来ていた。診察後には向こう数日間分の薬が処方される。それをのみ終わる前に主治医に 行き、ちゃんと診てもらいなさい、というのが救急センターの姿勢だった。

そこで処方される薬がたいていの場合、とても効いた。忙しかった私はそこでもらった薬をのみ、そのまま主治医にも行かずに働き続けた… …というより、主治医に行く時間を節約するために、救急センター利用していた、と言った方が正確だろう。

ところが、ニュージーランドに暮らす今、私は風邪をひいたら医者に行くことなど考えず、とにかく時間を確保してひたすら休む。どんなに忙しくても、これが 手っ取り早い。早い時期に治してしまいたいと思うのは、患者の当たり前の心情だ。しかし、「早い時期」に医者に行くと、「まだこの風邪がウィルス性のもの なのか、そうでないのかわからないから、今のところ何も処方できません」と言って、帰される。薬がたくさん出る国、日本から来た人間としては、「何でもい いから薬を出してください~!」と言いたくなるが、それはこの国では通用しない。

「早い時期」に限らず、かかってからしばらくして医者に行っても、扁桃腺が腫れているとかよほどの症状が出ていない限り、薬はもらえない。風邪などはゆっくり休み、水分を摂り、栄養のあるものを食べて自分で治すの
が一番だということをこの国は教えてくれる。そして日本に住んでいた時、自分がかなりヤバい人間だったことに気付かされる。

だから、昔は救急センターの馴染みだった私も、この国流に切り替えて(半ば仕方ないというのもあるのだけれど)、たっぷり休息をとるように心がける。真昼 間からベッドで寝ていると、「きっとこれが正しい風邪の治し方なんだよな~」としみじみ思う。しかしその一方で、「今日本の救急センターがここにあった ら、もっと効率がいいのだけど」と、ちょっぴり悔しくも思ったりするのだが。



2010年4月8日

「ベーコン&チーズ」味はキーウィ好みの味!?


こ のところ、スーパーマーケットで探し物を何回かするはめになった。探していたものは「ベーコン&チーズ」フレーバーのものいろいろ… …である。これは娘の大好きなフレーバーのひとつなのだが、これが町のスーパーマーケットから、一時的とはいえ姿を消したのだ!

まず最初に気付いたのは、メインランド社のスライスチーズのベーコン味。これまでも何回もこのフレーバーは棚から消えては、蘇り、蘇っては消えていた。一 時は見つけた時にはまとめ買いをしたこともあった。しかし、今回は見かけなくなってからもうずいぶんになる。ほかのフレーバーは全部そろっているのに、こ れだけ未だにどうしてもない。

そして、アーノッツ社から出ているクラッカー、「シェイプス」のチーズ&ベーコン味。このクラッカーは、ピザ、バーベキュー、チキンなど、フレーバーの種 類は豊富だが、なぜかチーズ&ベーコン味の箱が積みあがっているはずのスペースだけはボコッと空き、何もないことが多い。ほかのフレーバーは棚にいっぱい まだ残っているというのに。以前もこういうことはあったので、そう驚きはせず、この時はほかのものを買って済ませた。後日確認したら、チーズ&ベーコン味 はちゃんといつもの棚に戻っていた。

最後が、ブルーバーズ・フード社の、クラッカーをクリーム状のチーズにつけて食べる、「ル・スナック」のチーズ&ベーコン味。これを買おうとスーパーマー ケットに行ったところ、シェイプス同様、このフレーバーがあるはずのスペースだけ空っぽになっていた。これはどうしても手に入れたかったので、市内のほか の主要スーパーマーケットをはしごしたのだが、結果は同様。さすがにこれには驚いた。時々、パッケージなどのデザインが変更になる時には、既存のものが売 れてしまっても、その新しいものが発売になるまで、品物が補充されないことがある。今回もてっきりそれかと思っていた。ところがカムバックを果たしたチー ズ&ベーコン味の姿は、以前と何も変わらなかった。

おおげさかもしれないが、この事件(?)があるまでは、個々の商品として、縦割りにしか商品を認識していなかったのだが、このことをきっかけに、商品を 「ベーコン&チーズ」味という横割りで見てみると、いつもとは違ったニュージーランドが見えてきた。バーベキュー好きなキーウィ、いつも酪農製品を食べて 大きくなってきたキーウィ。多くの商品の一番人気のフレーバーは、ベーコン&チーズなのはもっともなことなのだろう。今度一度大々的に人気のフレーバー・ アンケートでもやってほしい。きっと「ベーコン&チーズ」フレーバーは1位か2位に入るに違いない。



2010年3月21日

「投げる」のはキーウィ文化なのか?

かねがねキーウィが取る行動でどうも気になっていると同時に、好きになれないことがある。いやそれ以上に嫌いだといえなくもない。それは何かといえば、彼らが何でもものを「投げる」ということだ。

私が気にするそんな「投げる」現象が頻繁に観察できるところにスーパーマーケットがある。

日本と比べると確かに、スーパーマーケット自体が広くて、棚と棚の間の通路もたっぷりとスペースがとられている。自分とトロリーの距離も多少はあるだろ う。それにトロリーも大きい。投げたら入りやすかろう。しかし、自分が買おうとしているものを棚から取って、何もトロリーに投げ入れなくてもいいじゃない か、と思うのだ。それも特に私が気になるのは食料品を投げること。

世界中で、そしてニュージーランド国内でだって、食べ物に不自由している人はごまんといる。食べ物を買える、手に入れられるだけでも幸せなことだと思うべ きじゃないのだろうか? 食べ物が手元にあるということを軽々しく思っていないだろうか。当たり前だと思ってやしないか。大切にしてしかるべき食べ物を投 げるとは、けしからん! というのが私の言い分である。
品物を投げるという行為は、買い物の最中にだけ見られるわけではない。レジに並び、コンベヤの上に品物を並べる時にも、人々はトロリーからコンベヤに向 かって買うものを投げるのだ。その様子を見て、「キミたちはどこまでモノを投げれば気が済むんだっ!?」と、あきれてしまう。

くたびれた服を着ている人も、最新ファッションで身をかためている人も、投げる人は投げている。この「投げる」という行動は別に教養だとか、収入だとか、性別に関係があるわけではなさそうだ。

学校でも「投げる」現象は見られる。あと少しで生徒に届くという距離にいる先生は、その子に渡すべきものを投げてよこす。それはノートだったり、本の入っ たブックバッグだったりする。先生にしてみれば、忙しいのだろうし、あとちょっとで届く距離だからこそ投げるのだろうけれど(教室のはじにいる先生が 「××く~ん、は~い、ノートを返すわね~」と叫んで、教室の反対側にいる生徒にノートを投げているのは見たことがないから)、 私にしてみれば、あとちょっとで届く距離なのだから、もうちょっと身を伸ばすとか、一歩踏み出すとかして、投げるのではなく、渡してほしいと思うのだが。

これも別に性別などに関係あるわけではないし、○○先生だけが投げるというのではなくて、どの先生も投げているように見られる。

こうした場で「投げる」という行動に出ることは、おそらく日本ではないはずで(少なくとも私が住んでいた十数年前にはなかった)、そうなってくると「文 化」なのかしら? とも思ったりする。「郷に入れば郷に従え」というが、この点ではどうしても納得いかず、「郷に従え」ない私である。


2010年3月11日

“自宅勤務”はつらいよ

初 めて顔を合わせる人とのおしゃべりの時に必ず話に上るのが、「仕事は何をしているのか」ということ。私がフリーランスで自宅で仕事をしていることを話す と、それを聞いたたいていの人、特に母親たちは「いいわねぇ」とため息をもらす。通勤しなくていい、好きな時間に仕事ができる… …メリットはいくつかあるが、その中で一番なのは、子どものスケジュールに合わせて仕事が組めることだろう。朝礼でクラスの発表があった り、スポーツ大会や遠足があったら、十中八九子どもの姿を見に行ける。だから、私が仕事をしているのを知らない人はきっと「お気楽でいいなぁ」と思ってい ると思う。

しかし! かなりつらいのだ、この“自宅勤務”というやつは。もしかすると通勤して仕事をしているのよりもタチが悪いかもしれない。

まず、同僚(もちろん上司も)がいないので、ちょっとしたことをその場で確認できない。例えば、英語の言葉がそのまま今ではカタカナで日本語として取り入 れられている場合があるが、そういった言葉の確認にはいちいちインターネットなどを見なくてはいけない。会社に勤務しているのだったら、誰かしら周りにい るので、「××ちゃ~ん、『neglect』って、日本で今そのまま『ネグレクト』って使ってたっけ~?」という風に気軽に尋 ね、疑問を瞬時に解決できる。このへんがデメリットのひとつである。

そして決定的なのは、何をするにしても「ながら」族でいなくてはならないことだろう。もちろん家の中の一室を仕事部屋にあて、そこで仕事をするのだが、そ れでも家の中であることには変わりなく、ひとたび仕事部屋から出ようとドアを開ければ、そこには洗濯物の山が「早く洗って~」と私を待っていたりする。

子どものスケジュールに合わせるがために、無理をしなくてはいけないことも多い。そうすると集中して仕事だけをする時間だけでなく、家事をやりながらも仕 事、ということになる。洗濯機を回しながら、煮物を煮込み、その間にメールをチェックするとか。これは外出先でも一緒。八百屋で野菜を買った後に、仕事用 の写真撮影をして、次には子どもの本を借りに図書館に立ち寄る……といった具合。常に家事や育児の間に仕事が混在している感 じで、時々、頭がしびれてくることがある。「ちょうどニンニクを切らしているからそれを買って……今日の撮影は通りの向こう 側からのアングルがいいだろうから、そこで撮ることにしようかな?……あら、今日はトウモロコシがお買い得」となどと、頭の 中はかなりまぜこじゃになっていることも多い。

まぜこじゃのまま、放っておいてもいいのだったらいいのだが、そこはあくまで“仕事”なので、クオリティーの高いものを納めるために、当たり前だがこのこんがらがった頭の中をきちんと整理しなくてはならない。

時々自分が若い時から「ながら」族だったことを思い出す。親には「よくテレビを見ながら宿題ができるわね~」と感心されたものだった。それも宿題の出来は そう悪くなかった。もしかすると、当時は想像だにしなかったが、それは今の「ながら」人生を歩むための自主トレだったのかもしれない、なんて思ったりす る。



2010年2月23日

なぜそこでチョコレートなのか?

先日遠路はるばる来てくれた友人がチョコとバニラを格子模様にしたクッキーを焼いて持ってきてくれた。それがあまりにきれいだったので、子どもの学校の モーニングティーに持たせてしまった。そうしたら帰ってきた娘に「こういう不健康なものを入れちゃだめだよ」と言われた。おっしゃる通り。基本的に幼稚園 や小学校などではチョコレートはご法度だからだ。チョコレートそのものはもちろん、それが入ったクッキーやマフィンなどといったものも持ってくるべきでな いとするところは多い。いつもは気をつけているのだが、その時は不覚にも入れてしまった。

子どもたちが「チョコレート=不健康」という図式で導かれていく一方で、とかくキーウィはチョコレート好きである。チョコレートを食べると幸せな気分にな れることが科学的に証明されているとか、カカオの含有率の高いチョコレートはポリフェノールを含み、抗酸化作用があるとかいい、糖分のことをどがえしし て、チョコ礼賛である。だから、およばれした時などにはボックス入りのチョコレートを持っていけば間違いはないので、わかりやすいといえばわかりやすくて いいのだが……。

かくいう私も決してチョコレートが嫌いなわけではない。しかし、キーウィのチョコ好きは度を越えていると、時々思う。その証拠とでもいおうか、チョコレートを含む食品は過剰なほど多岐にわたっている。

娘がほしがるものの一度も買ってやっていないものに、チョコレート味のヨーグルトがある。ヨーグルトにはヨーグルト本来の味わいがあり、果物が加えられて もそれは損なわれないが、チョコレートはどうだろう? ヨーグルトをチョコ味として食べる必要があるだろうか? それとチョコレートのかかっているミュー ズリーバー。最近よくメディアにも取り上げられているが、一見ヘルシーなイメージのミューズリーバーの糖分は実は相当なもの。私はチョコがかかっているも のは決して買わないのだが、かかっていないものを探すのが大変なほど、ほとんどのものにチョコはかかっている。

そのほかにもこれがチョコレート味でどうする? と思うものに、チョコレート・コーティングされたプレッツェル、チョコ味のホットクロスバンズやチーズ ケーキ、イチゴにかけるチョコレート・ソース(イチゴの自然な甘みなど無視なのだ)などがある。少し前の話だが、ニュージーランドはチョコレート味のチー ズをアジア市場向けに輸出して、好評を博しているというニュースもあった。

時々私は、人々はチョコレートに丸め込まれていやしないか? と思うことがある。たいした味のものでなくてもチョコをかければ何とかなるさ、チョコ味にす ればみんなチョコ好きなんだから売れるさ、という売り手側の思惑がみえみえのような気がする。

そのうちチョコレート・ソースのベイクトビーンズ、チョコのつまったソーセージ、チョコ味のビールなんて登場する日がくるのかもしれない。



2010年2月15日

あなたの周りに“ヒーラー”はいませんか?

ど んな子どもでも、親が「これでいいのだろうか?」と思う素行はあるわけで、そんな場合、誰に相談するかといえば、まずは夫もしくは妻、それから知り合いの お母さんが挙げられるだろう。結構ほかのお母さんたちの意見は参考になるものだが、心理学のプロに研究に裏打ちされた話を聞いてみたい… …ということも時折あったりしないだろうか。

私の知り合いに見事にそういう人がいて、おしゃべりついでに時々相談を持ちかける。彼女自身も母親なので、自分の子育て上学んだこと+心理学を学び、カウ ンセラーとして経験したことと、知識が豊富で、いろいろなアイデアを授けてくれる、非常に頼りになる存在だ。

しかし、彼女のイメージがガラガラと崩れたのは、去年のスクール・ディスコでのことである。私は彼女のことを非常に論理的な人だと思っていたのだが、ガン ガン鳴る音楽に踊りまくっている子どもたちを横目に、久しぶりに彼女に会い近況を聞いた。すると彼女はうるんだ目でこう言った。「私、今は“ ヒーラー”をしているの」。

ヒーラー、ひーらー、healer……。要するに霊能力を利用して、その人の心の傷やトラウマを治療する人のことだ。辞書に は“心霊治療家”とある。彼女のこの言葉を聞いて以来、注意していたら、この手の道に走っている人が実に多いことに気付いた。有 名なところではレイキ。そのほかにもシャーマニズムを使ったり、色を使ったり、声音を使ったりと、種類はさまざまのようだ。

ニュージーランドの全人口のうち、3分の1は神を信じず、3分の1は人間の力の及ばない何らかの大きな存在があると信じ、3分の1は神を信じているという のが最近のキーウィの宗教に対するトレンドだそうだ。全国的に見ると「神離れ」が進んできているようだが、それでも私が住むのは、近郊の町を入れても人口 4万人ほどの田舎町。田舎町にはコンサバな、神への信仰心あつい人が主流だろうという私の予想をくつがえすかのように、ニューエイジ系の人が多いのに、驚 かされる。

タロットやクリスタルを使った占い、亡くなった人との交信をするサイキック(霊媒)、アロマセラピー、催眠療法、パワーストーンなどの集められたスピリチュアル系のイベントがあれば、女性を中心にたくさんの人が集まり、いつ行なわれても盛況だ。

時代なのか? それとも「類は友を呼ぶ」で「ニューエイジ系信仰者がニューエイジ系信仰者を呼んで」いるのだろうか? 気がつかないだけで、あなたの周りにもヒーラーが意外に多くいるかもしれない。


2010年2月4日

年齢をまたがってのクラス構成


いよいよ新学期が始まった。どの子の心の中も、「ワクワクするけれど、でもちょっと不安」といったところだろう。親の方も「今度はどんな先生かな?」とドキドキしたり、楽しみだったり。親子それぞれの思いを秘め、1学期の初日はやって来た。

先生も変わるし、自分の机ももらえる(前学年までは少人数で円卓を使っていた)。けれど、娘の通う学校が規模が小さく1学年1クラスしかないため、転校生 でもいない限り、顔ぶれは今までと変わらないのだろうと思っていた。けれども、いざ登校してみると、私たちの予想外にメンバーは変わっていたのだ。

ニュージーランドでは、親が子どもの進級を決められる。そもそも小学校に入学するのでさえ、5歳で入るのか、6歳で入るのかを決められるのだ。ある意味進 級するか否かを親が決められるのは当然至極なことかも知れない。学年末に成績表が配られ、それには教師によりその子が翌年どの学年に行くのかが書かれてい る。しかし、その通りにしなくてはいけないわけではない。子どもがその学年の学習をきちんとこなせていないと親が判断した場合には、子どもは翌年もう一度 同じ学年で勉強する。こうした判断を下すために、親は子どもの習熟度をきちんと把握する努力を怠らない。

娘のクラスには結局男の子2人、女の子1人がこの学年を再履修するために新しく加わった。この国の子どもたちはそれぞれの誕生日で入学してくる。娘は誕生 日の11月から約1ヵ月だけ、この3人と同じクラスで勉強したことがあるので(つまり、彼らは翌年上の学年に進級したが、娘は1ヵ月しかその学年を経験し ていないので、同じ学年に残った)、違和感はないらしく、むしろ顔ぶれが変わって、楽しいらしい。ほかの子も彼らが「留年している」という風には受け取っ ていないようで、わきあいあいとしている。

学校によって違うのだと思うが、娘の学校では4年生以降、2つの年齢の子どもたちが1クラスを構成することになる。つまりRoom ○○は半分が4年生で、半分が5年生という風になるらしい(習熟度によって1学年の子どもが2クラスに振りわけられる)。

同じクラスで机を並べて共に勉強するとはいえ、子どもたちには年齢差が若干はあるわけで、そうした環境は大なり小なり、学校に在籍する限り続いていくよう だ。親がきちんと見ていて、勉強に追いついていないとわかったら、同じ学年に子どもを残せるというチョイスがあるのは親として安心できることだし、年齢が ミックスすることによって子どもたちにとってもメリットがあるのではないかな、と、これからのクラスの動向を楽しみにしている。



2010年1月26日

見知らぬ青年がもたらした素敵な日

こ の間、凧揚げを楽しむイベントがあった。「お正月といえば凧揚げ」とインプットされている日本人としては、折もよく、おまけに気持ちのいい晴天で、いかに も凧揚げ日和。イベントにそなえて、凧を新調し、張り切って参加した。会場はビーチから少し内側に入った芝生の広場。木が広場を縁取るように生えている以 外は、参加者に影を提供しているポフトゥカワの木が真ん中ぐらいに数本あるが、よけようと思えばよけられる場所に立っている。

パンダ、トカゲ、ヘビ、フグといった大型でカラフルな凧のほかに、普通サイズのしっぽ付きのひし形のものが何連にも重なったもの、てんとう虫の形のものな どが風をはらむ。カメや猫、鳥などの動物型のものから三角形のオーソドックスなものまで、一般の人々の凧もそんな変り種に交じり、空はとてもにぎやかだ。

早速、私たちも揚げてみる。自分が最後に凧を揚げたのがいつなのか、もう覚えてもいない。それぐらいご無沙汰で、飛ばせられるかなぁとちょっぴり自信がな かったが、タラナキの風はそんな心配を吹き飛ばしてくれた。風の吹いてくる方向と強さがちょこちょこ変わるので、その度に凧はふらふらと頼りない動きをす るが、糸を調節すると、すぐにまた揚がっていく。それでもほかの何人かのように上昇気流に乗る高さまでは揚げられずにいた。

もう少し高く……と思っていた矢先にやってしまった。急に風がやみ、凧は広場の真ん中に立つポフトゥカワの木の上の方にひっ かかってしまったのだ。ポフトゥカワの多くは地上少しのところですぐに枝分かれしているので、比較的登りやすい。下から糸を引っ張ってみたところで取れる とも思えなかったので、まずは娘が木に登り、次に私が登った。それでも凧がひっかかっている枝をわずかに揺らすことができる程度。娘は「消防車を呼ぼ う!」なんて言っている。四苦八苦していると、その内そこに居合わせた10歳ぐらいの男の子たちが数人、私たちの凧を取ってくれようと木に登ってくれた。 遊び半分にしても、なかなか親切だ。

それでも結局誰も凧のひっかかっているところには届かず、「新調したばかりだけど、これはあきらめなくちゃいけないかな」と思いかけたその時だった。どこ からともなく、16、7歳の青年が現れ、木に登り始めた。何も言わずに登り始めたので、あっけに取られて彼を見守った。さっきの小さい子たちに比べると体 が大きい分、上まで行く腕力はあるのだが、先に行けば行くほど細くなる枝の上で自分の体重を支えるのが大変そうだ。それでも何とか凧に手が届き、糸を切っ て凧を下に落としてくれた。拍手喝采! 外見で人を判断してはいけないが、短いドレッドヘアにニットキャップをかぶった遊び人風に見える青年は木から降り るころには、私たちにとって、「ヒーロー」になっていた。

何かお礼をと思うが、手持ちのもので、あげて喜んでもらえそうなものは何もない。財布の中もほぼ空っぽ。しかし小銭をかき集めたら5ドル分ほどになった。 「これ、少ないのだけど……」と差し出すと、「そんなのいいよ」と恥ずかしそうに笑いながらも、受け取ってくれた。

抜けるような青空に浮かぶカラフルな凧……これだけでも十分気持ちのいい日だったが、この青年のおかげで、この日はさらに素 敵な日になった。見知らぬ人に親切にするのは勇気が要るもの。それをさらっとやってのけてくれた彼に出会うことができ、なかなか若者もやるもんだと、うれ しくなった。こんな風な人と人との触れ合いがなくならないうちは、この社会は大丈夫なんて思ったりする。



2010年1月18日

鯨肉をめぐる思い

新 年早々から日本の調査捕鯨船と反捕鯨団体シー・シェパードの抗議船が衝突し、後者が沈没するという事件が起こった。抗議船、アディ・ギル号の旗国として、 ニュージーランドでは数日間にわたり、シー・シェパードよりの記事が各メディアのトップを飾っていた。こういう時、ニュージーランドに住む日本人として は、少し居心地が悪い。

今から10年ほど前のこと。ちょうどその時も今回のように日本の捕鯨船が槍玉に上がっていた。当時籍を置いていた会社でたまたま電話を取ったところ、名乗 りもせずに急に「あなたは捕鯨に賛成ですか?」と英語で訊かれたことがある。私は、捕鯨はしなくて済むのならしないに越したことはないと思っている人間だ (これは今も変わらない)。ただ捕鯨問題の場合、日本側は調査だといい、ニュージーランド側は単にぜいたく品を捕るための、クジラの殺戮だといって過激な 抗議行動に出る。私にはどちらもそれぞれ納得できないところがある。

質問には「反対です」と手短に答え、相手も納得したらしく、電話は切れた。電話帳で日本関連の企業を調べ、いたずら半分にかけまくっているのではないかな と思った。この電話のことを、ほかのスタッフとおしゃべりしている時、小学生時代の思い出がよみがえってきた。

こんなエピソードを披露すると、年齢がばれようというものだが、まぁよしとしよう。私が市立の小学校に通っていたころ、昼食は給食だった。中でも好きなメ ニューのうちのひとつが「鯨肉の竜田揚げ」だった。今ではせいたく品として扱われている鯨肉だが、当時は市内の何万人という小学生が1学期に1回程度は口 にする庶民的な食材だったようだ。記憶をたどると、その肉は噛みごたえがあり、噛んでいるうちに、少し臭みというのだろうか、独特の味が出てくる。ニュー ジーランド人だってきっと嫌いな味じゃないだろうな、などと不謹慎に思ったりする。

鯨肉は、日本人にとって縄文時代以前からの「伝統食」。グローバル化に伴い、人々は自国文化のみならず、地球規模でものを考える必要性に迫られている。さ らにそこへ自然環境への配慮の必要性が加わり、「伝統」の肩身はますます狭くなっているように感じる。地球、人類の存続がかかっているのだから、背に腹は かえられないわけだが、残念なことであるには違いない。私の小学生時代の大好きな味は遠い過去のものとなっていく。



2010年1月1日

やるじゃないか! ニュープリマス

夫の出身地である、ニュージーランドでも指折りの大きな街に滞在している。私たちが住むニュープリマスにはない、訪ねたら楽しそうなところがたくさんあって、「娘をここに連れていってやりたい、あそこに連れていってやりたい」などと、私自身目移りしてしまう。

こうしたアトラクションはもちろん観光客向けに存在するものなのだから当たり前といえば当たり前なのだが、入場料が高い。何年か前に足を運んで面白かった ところに今回も行こうかと料金を調べてびっくりした。大人ひとりが55ドルになっていたからだ。こんなので音を上げていては甘いのかもしれない。野生動物 などを見学するツアーなどはさらに値段が高い。何だかこうしてみると、ニュージーランドではなくて、日本にいるみたいだ。お金を払えば、いくらでも楽しい ところはあるけど、そうでなければ……?

ニュープリマスでは、夏休みにはカウンシル主催のホリデー・プログラムが行なわれる。クリスマスの時期を除いて、ほぼ1ヵ月の間毎日のように、日中は子ど もや家族向けに、夜間は主に大人向けにそれぞれ最低ひとつはイベントが行われる。テディベアズ・ピクニック、トレジャー・ハント、キッズ・マーケット、ス トーリー・テリング、アート&クラフト各種などが昼間、バラエティーに富んだコンサート、パフォーマンス、公園での大画面での映画鑑賞などが夜に楽しめ る。それにフェスティバル・オブ・ライトも忘れてはいけないだろう。街の中心にあるプケクラ・パークは凝ったイルミネーションで飾られ、夕涼みがてらそぞ ろ歩く人はひきも切らない。

カウンシル主催のこうしたイベントはすべて無料(ゴヴェット・ブルースター・アートギャラリーでのアクティビティは5ドルかかるが、たかが5ドルであ る)。私はこれはどの都市でも行なわれている、当たり前のことだと思っていた。今滞在している街はニュープリマスより何倍も大きいのだから、その種類や数 ももっと多いだろうと期待して、同様の、当地のカウンシル主催のイベントリストに目を通したが、ほとんど何もないではないか! おまけにリスト中にあるも のはどれも有料。6ドルのもの、12ドルのものが主流を占め、中には24ドルもかかるものがある。私の目算はおおいにはずれた。

ニュープリマスのカウンシル、偉い! 無料で楽しめるイベントをあそこまで用意しているのは、見上げたものだと改めて感心する。夏休みで子どもが家にずっ といて、毎日どこに連れて行こうか、何をしようか頭を悩ませなくても、ホリデー・プログラムのパンフレットを開けば何とかなる。ニュープリマスは子どもの いる家庭にとってはありがたい街なのである。

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ミニ・プロフィール

クローディアー真理
Mari Clothier

東京で海外のショッピング、グルメ情報を主に担当する編集者・ライターとして約8年間勤務。1998年にニュージーランドに移ってからは、国内で発行の日本語誌2誌の編集者、編集長職などを経て、現在フリーランスライター。

ニュー ジーランド航空やニュージーランド観光局の発行物やウェブサイト、ガイドブックや留学情報誌などのニュージーランド関連媒体への執筆を手がけた後、エコ、 育児、異文化紹介関連の雑誌やウェブサイトへの執筆を中心に、ニュージーランドに関する情報を日本に発信している。

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