The website of Mari Clothier 執筆・リサーチ・取材・編集 ―― ニュージーランド在住ライター クローディアー真理


こんなこともあれば、あんなこともある ―― よもやま話

宿題……あるべきか、なくすべきか?

「ニュージーランドの学校はのんびりしてていいなぁ」と思い続けて2年。新学期から3年生になった娘のクラスの説明会に出かけて、「勝って(るわけではないけれど)兜の緒を締めよ」と、気持ちを一新して今年1年子どもの勉強に付き合わなくてはいけないことがわかった。

学校では今まで円卓で数人がグループになって勉強していたが、今年から日本の学校のようにひとりずつに机が与えられ、そこで勉強するようになった。みんなでわきあいあいという雰囲気から、ちょっと引き締まった雰囲気だ。そして宿題も、入学してから前学年までは読本のリーディングと簡単な単語や算数がほぼ毎日あっただけだったが、今年からそれらにスペリングが追加されたのと、その時に教室で進められている内容に沿った宿題も時折出されるようだ。年の真ん中あたりにはプロジェクトもこなさなくてはいけなくなるそう。

さらには週に1回スペリングの、そして2週に1度算数のクラス内テストがある。聞けば、さらに読解力を試されるSTAR、算数や読みの力を判定するPATなる試験もあるらしい。こうなってくると、親もうかうかしていられない。もちろん毎日の学習をきちんとこなし、身につけていればこれらの試験も問題ないのだろう。しかし、「受験大国、日本」から来た私が「試験」と聞くと、何だか落ち着かない。

習い事と宿題の兼ね合いのことで、ほかのお母さんとおしゃべりする機会があったのだが、彼女の10歳の息子は、放課後スポーツをして帰宅すると、「ゾンビ」と化し、目がすわっていて宿題を前にしても、やらせられる状態ではなかったため、仕方なくそのスポーツをやめさせたという。年齢が上がると共に、宿題の難易度も上がり、高学年の子どもを持つお母さんたちはよく「大変だ」とこぼしている。「大変」なのは、子どもだけでなく、親も同じのようだ。疲れた子どもにハッパをかけ、自分も一日働いた後で子どもの勉強を手伝わなくてはいけない。

まさに宿題戦線に初めて立たされた気分の私の耳に、ニュースが飛び込んできた。それは、ウェリントンのある小学校で「宿題が禁止」になったというニュースだった。日中学校で勉強し、放課後習い事などに行き、疲れている子どもにとって宿題はストレスになるだけで、学びの機会にはならない、というのだ。それぐらいなら、宿題以外のことを親と一緒にし、それを学習につなげていく方がいいという意見だ。ほかのお母さんとのおしゃべりのことが思い出され、宿題禁止ももっともなのかもしれないと思い始める。

しかし、その学校が宿題を禁止にする理由はほかにもあった。宿題は親にもストレスになっているというのだ。要するに手伝うのが負担というわけだ。さらには教師のペーパーワークを減らせるという理由も挙がっていて、そこまで読み進むと、「ちょっと違うんじゃないの?」と気付いた。

私が子どもを育てていて痛感しているのが、「親がハッピーであれば子どももハッピー」だということ。親がストレスを感じて不機嫌になったら、子どもにいいわけがない。でもだからといって、宿題を手伝うというストレスを親から取り除けば、子どもにいい影響が出るものでもないだろうと思うのだ。

愛するわが子のためだったら、大変かもしれないけれど、一緒に宿題をやってやるというのが親なんじゃないのだろうか。とはいっても、宿題らしい宿題を持って帰ってくる子の親としての挑戦は始まったばかり。説明会での「疲れている時は無理に宿題をさせなくてもいいですよ」という先生の言葉を頭の端っこに置きながら、子どもに付き合おう。今年の終わりに私の考えが変わっているかどうか、乞うご期待である。



サービス満点のお店はどこ?

日本に帰ると、何につけてもサービスの良さに感心する。買い物に行って不快な思いをすることなどあるだろうか。「お客さまは神様です」などという言葉があることからもわかるように、日本人は客を下にも置かない。丁寧すぎることすらあるが、ぞんざいに扱われることを思えば、それもご愛嬌である。

その一方で今、住んでいるニュージーランドのサービスはあまりに両極端で、時に開いた口がふさがらない時がある。サービス「満点」の接客係と、サービス「マイナス点」の接客係との差はあまりに激しく、後者にはサービス精神の行き届いた日本人の爪のあかでものませてやりたいとさえ思う。

初めて訪れた場合でも、馴染み客と同様の応対をしてくれたり、自分の店では扱っていないが、どこそこに行けばあるよと教えてくれるような、親身になってくれる店員がいるかと思えば、入店しても頭のてっぺんからつま先までジロリと一瞥するだけで挨拶のひとつもなかったり、買い物を済ませ、お金を払って出ていく時ですら、笑顔をしたら損だといわんばかりに、無表情だったりする店員がいる。大型店などの場合は、どこに何の品物があるかという最もベーシックなことすら把握していない店員もいる。

そんなサービス格差のあるこの国で絶対に気持ちよく買い物をできる店がある。それはまず書店。ここに住んで11年の間に何千回と買い物をしているが、いまだかつて書店の店員で感じの悪い人に会ったことがない。「感じの悪い人がいない」とコメントすることすら失礼にあたりそうだ。誰もが笑顔で親しみやすく、とても親切で行き届いている。どんなに変な本を探していたとしても、気長につきあってくれるし、書棚を見ていると「どんな本をお探しですか。何かお手伝いすることはありませんか」と声をかけてくれる。特別お目当ての本があるわけではなく、ぶらぶらと本の背を眺めている時などは、その申し出を断ると、「何かあったら声をかけてくださいね」と一言言って、笑顔で立ち去る。店員は女性が多く、仕事をテキパキとこなす姿は好感が持てる。

面白いのは、国内にはチェーン店になっている書店がいくつかあるが、そのひとつの社員教育上、店員がこういう態度を取っているというわけではなさそうなところだ。チェーン店のWという店に行っても、Pという店にいっても、はたまた地元経営のBという店に行っても、店員の感じの良さと親切さは、共通している。

書店だけではない。もうひとつ、常に気分よく買い物できるのはガーデンセンターというのだろうか、要するに植木屋である。これも不思議なほどに書店員の親切さと似通っており、それもどのガーデンセンターに行っても同じというところまで一緒だ。これから買う植物の育て方を教えてくれたり、どんな条件の庭にはどんな植物を植えるのが適しているかといった専門的なことを丁寧に答えてくれる。それだけではない。大きな鉢植えを買うような時にはそれをカートに載せたり、車まで行って下ろしてくれたりと、運ぶのを手伝ってくれる。年齢や性別に関係なく、店員はこうした時すっとどこからともなく現れ、お願いするまでもなくさっと手を貸してくれる。飾り気のない彼らとは他愛のないおしゃべりに花が咲くことも少なくない。

書店とガーデンセンター。私はこの2種類のまったく種類の違う店の店員がなぜ同様にこんなに良いサービスを提供できるのか、独断と偏見に基づき分析してみた。そしてこれは「毎日接しているものの影響」なのだと結論づけている。

書店員を務めるには、本嫌いだったら無理なこと。きっとどの店員も読書が大好きで、小さい時から本を読み、そしていつも本と身近に接していたいと思って、書店員になったのではないだろうか。読書の習慣は書店員になってからももちろん続いているだろう。本は読み手を想像の世界へ、はたまた過去や未来にも、さらには地球の裏側にも連れていってくれる。未知のものやさまざまな考え方に接することができるのが本。そんな人間を豊かにしてくれる本と毎日向き合う書店員のサービスが悪いわけがないと思うのだ。

さて、ガーデンセンターの店員の方はというと、彼らが毎日接しているのは植物。気分が乗らない時、落ち込んだ時、イライラした時などに、一歩庭に出るだけで、ふっと気が晴れた経験はないだろうか。いつの間にか木の背が高くなっていたり、草花が芽を出したのに気付き、漂ってきた花の香りに、今までの気分がふっと軽くなる。よく植物を上手に育てるには、話しかけるといいというが、それとは逆に森林浴のように植物が私たちにエネルギーを与えてくれることもある。そんな優しい自然のエネルギーにあふれる草木に常に接している、ガーデンセンターの店員。彼らは植物からエネルギーを得、サービスという形で客にもそれを分け与えているのかもしれない。

サービスにムラのあるニュージーランド。満足のいかない扱いを受けた時には、その足でぜひ書店とガーデンセンターに飛び込んで、口直しをどうぞ。


太古の記憶を持つ羽ばたき

ついこの前私たちが街なかを車で走っていると、後ろからすぅーっと頭上を通り過ぎ、クルンと一回転して、左に曲がって飛んでいく鳥の後姿が見えた。「うーん、やはりいいなぁ」と私はほれぼれとしてそれを見ていた。普通に飛んで曲がればいいところを、その鳥はいかにも茶目っ気たっぷりに、それ見よがしに優雅に一回転を決め、左に折れて姿を消したのだ。

これは私がこの国で一番お気に入りの鳥、ケレルだ。英語名はニュージーランド・ピジョン。北島、南島のどちらでも比較的よく目にする鳥なので、ついその重要性を忘れがちだが、実は原生植物にとってはなくてはならない存在だ。カラカ、タワ、タライレなどは比較的大きな実を結ぶ。それを食べ、フンと共に種を排泄する。こうしてそれらの種はさまざまなところに落ち、芽を出すというわけなのだ。大きな実を食べられるほどのサイズの鳥は今となってはケレルのみ。モアも同じような役割を果たしていたが、すでに絶滅しているからだ。

つい先だってニュージーランド国内の森林と鳥類を保護する組織、Forest & Birdが毎年行なっている、今年一番人気のある鳥を決める“Bird of the Year”が発表になった。今年は国を代表する飛べない鳥、キーウィがその頂点に立ったそうで、ケレルは10位の中にも入っていない。

なぜみんな、ケレルの魅力がわからないのだろう!? 不満に思うケレル・ファンの私。クチバシから尾まで51センチにもなるこの大きい鳥が飛ぶ時の羽ばたきの音は迫力がある。遠くから飛んできた時でもケレルが飛んできていることはすぐにわかる、その力強さ。私は勝手にそれを「太古の羽音」と呼んでいる。これを耳にすると人間がこの地に踏み入れる前の時代に急に引き戻されるような気がするのだ。鬱蒼とした森林で埋め尽くされたニュージーランドに。

魅力はそんな力強さと同時に優美さも持ち合わせているところ。公園などを散歩していると、その羽根が落ちているのを見つけることがある。色は緑色がかった虹色で、おとぎ話に出てくる鳥が落としたものかのようだ。ふっくらとした胸の部分を占める真っ白な羽毛と、翼や頭部、背中の虹色の羽が日の光に輝く時の美しさといったらない。

好きなのは見かけだけではない。ほかの鳥が落ち着きがなく、とまったと思った途端にまたどこかに飛んでいってしまったりする一方で、ケレルはかなりの時間同じところに留まっていることが多い。それがまた考え事をしているような、何かをじっと観察しているような、ちょっと哲学的な雰囲気を醸し出していて、魅力的なのだ。だからといって愛想がないわけではなく、前述の通り、空中でアクロバット飛行なぞをやってのけて、私たちの目を楽しませてくれる(もっともこれは私たちのためでなく、メスの気を引くための行動らしいのだが)。

まだ絶滅の危機にさらされているというところまではいかないが、ケレルもまた天敵や生育できる森林の減少で、その数が徐々に減っていっている。あの「太古の羽音」をいつまでも聞けることを願わずにはいられない。

ケレルのことをもっと知りたい場合は→


人と人との交差点、ホスピスショップ

不景気から世の中は脱しつつある、という人もいるが、庶民にはまだまだそれを感じ取ることは難しい。そんなご時勢を反映して、人々のセカンドハンドグッズへの関心は高まるばかり。もともとニュージーランドでは、性別や年齢、収入に関係なく、これらのアイテムを生活に取り入れる人が多いのだが、ここに来て、その傾向はますます顕著になっている。

ビジネスでセカンドハンド・グッズを扱っている場合もあるが、その収益は何らかの慈善団体に行くというところが多い。教会付属や動物保護団体であれば、そこの運営資金となり、救世軍であれば、「ミールズ・オン・ウィールズ」と呼ばれるお年寄りなどの自宅へ食事を届けるサービスや、経済的理由で自宅で朝食をとらずに登校する子どもの学校での朝食サービスなどにあてられる。

私がよく足を運ぶのは、我が家からほど近いホスピスショップ。ここでの収益は隣接するホスピスで用いられる。ウィークデーには毎日700~900人、土曜開いているわずか数時間の間にさえ550~650人の客がやって来る。この数字は景気が悪くなってから伸びたそうだ。ここでは衣類、書籍、家具、家電製品、食器や調理器具など、ありとあらゆるもののセカンドハンドが破格で売られている。

これらはすべて寄付されたもので、店頭に並ぶ前に何回もボランティアによりチェックされ、商品にならなると判断されたもの以外ショップに置かない。家電などの類は、安全性が心配なものだが、これも電気技師のボランティアが安全に使えるものか専門的に見、太鼓判を押されたものだけが売りに出される。売り子もボランティアだ。このようにショップはすべてボランティアでまかなわれており、約150人が二交代制で運営にあたっている。

そのボランティアにもいろいろな人々がいる。車椅子に乗った青年、定年後のおじいちゃんやおばあちゃん、失業中の中年男性……。客もさまざま。お金持ち風奥様、シングルマザー、学生……。おだやかなおじいさんと、やんちゃをしてきたことが明らかなドレッドヘアのお兄ちゃんが楽しそうにおしゃべりをしていたりする。私の大好きな光景だ。ほかではなかなか見られない。

ぶらりと立ち寄るといつ行っても、それぞれまったく接点がないような人々がこのホスピスショップには集まっているのに気付く。それは言い換えれば、このホスピスショップがなかったら、きっとこの人たちは顔を合わせることはないだろうということ。ホスピスショップがあるからこそ、そこにいろいろなバックグラウンドの人々が集まり、ひとつのコミュニティが出来上がっている、ということ。

いろいろな人の交差点、ホスピスショップ。不景気風が吹くからこそ、ここまでバラエティーに富む人が集まるのだけれど、世の中がせち辛くなっている一方で、こんな風に人と人が寄り添っていけるコミュニティが築けているのは素敵なことだなぁと思う。


一大リサイクル事業

この間地元紙で、ある家族が家屋の移築を例外的にスムーズに済ませたことをきっかけに、自治体が新たにCertificate of Environmental Excellenceなる賞を設け、その家族に授与したという記事を見かけた。家屋の移築というのはたいていの場合一筋縄ではいかず、お役所泣かせのことも多いので、問題なく事が運んだ今回のケースはよほど珍しかったのだろうな、と想像される。彼らが受賞した賞の名前からも明らかなように、確かに移築というのは環境に優しい。家屋をまるまる一軒リサイクルしてしまうわけだから。リサイクルするのはビンや缶、古紙だけではないのだ。家屋全体はもちろん、窓やドア、暖炉などその一部分でも使えるところは使う。無駄がない。

日本でも建物の移築ということは行われている。しかしそれらは由緒ある建物であるとか、歴史ある民家とかそういった特別な、移築されるに値する建物に対してのようだ。ニュージーランドは、そこが違う。ごく普通の家がごく普通にほかの場所に移され、別の人が住む。毎日行われていることではないにしても、そう珍しいことでもない。実は我が家もこの家屋のリサイクル=移築を数年前やってのけた。

今我が家となっている家屋はもともと私たちが賃貸していた家のはす向かいに立っていた。当時老婦人が住んでおり、息子さん夫婦が時折庭の手入れなどを手伝っていた。1900年初頭に建てられたらしいヴィラで、人の家ながら、そこを通る時は目を細めて眺めたものだった。それがある日乳母車を押して散歩に行こうとしたら、「売り出し中」の看板が! すぐに夫に連絡した。中を見せてもらうと、台所には昔ながらの石炭オーブンがしつらえてあったため大きな穴が開いていたりしたが、気に入り、入札。そしてうまく手に入れることができた。

普通はまず土地を購入後、家屋を探す。こうした家屋を買い取り、移動し、敷地内に置いて販売している家の移築業者が各所にあるので、そこに出向いて物件を探す。決まれば、業者は超大型トラックでそれを運び届けるのだが、家のサイズによってひとつの完全な形で運べる場合と、2つ、3つに切らなくては運べない場合がある。私たちの場合は真ん中の廊下に沿って2つに切断。当時立っていた場所からそのまま直接、私たちの土地への移動となった。

家屋は超大型トラックの横幅を若干はみ出して乗せられ、おまけにその走るスピードは遅いときていて、いやがおうにも「巨大カタツムリ」を思わせる。ほかの車両に迷惑をかけかねないので、こうしたトラックを走らせる時間帯は市役所と調整を取らなくてはならず、夜中だったりすることも少なくない。さらに運ぶ際には屋根は一旦はずされるのだが、それでも荷台に一軒の家が乗っているわけだから、背も高い。道中、電線に触れることもあるので、それを避ける工夫もしてある。

家の移築

私たちの場合はたまたま休みの日の真昼間に行われたので、近所の人たちが別れを惜しむかのように大集合して見物していた。2つに切られ、中はまる見え。ここだけでなく道すがら多くの人に自分が住むことになる家の中身を見られるわけで、私は何だか気恥ずかしかった。細工をしてあった割には出発直後に電線を切ってしまい、我が家周辺はしばらく停電というおまけもついていた。

目的地では、敷地にトラックのバックから乗り入れ、徐々に家屋を土台に移していく。ガレージも一緒に移動したのだが、それは小さかったので、クレーンで吊り上げられ、土台に置かれた。どちらも豪快。でもそれは客観的に見ると、であって、実際ここに住むことを考えると「本当に大丈夫なの~!?」という疑いがぬぐいきれなかった。切断された家屋の2つのパーツが土台にそろうと、その境目は最終的に「ノリ」でつけられ、ひとつの家に戻る。「雨もりはしないのだろうな~!?」という私の心配をよそに。

ニュージーランド人はもののサイズやその種類に関わらず、本当にリサイクル上手だとしみじみ思う。家屋の場合を挙げれば、古くなったから、要らなくなったからといって簡単に潰したりはしない。本当にそれがとことんまで使われたかどうかを見極め、まだいけると判断したら、そのままリサイクルする。家屋として完全な形で使えなくても、使えるパーツは捨てずにリサイクルする。シツコい。ニュージーランド人はシツコいからリサイクル上手なのだろうか? それともリサイクル精神が旺盛だからシツコいのだろうか? どちらにしても、環境に優しいこの習慣は見上げたものだ。



ずるがしこい、黄色のMマーク


最近まで我が家はほとんどファストフードとは無縁だった。体にいいものだとは思っていなかったし、値段が安いわけでもなかったからだ。ところが、私たちの後ろにあの黄色いMマークがいつの間にか忍び寄り、あっという間に娘をさらっていった。

この「黄色いMマーク」というのは、いうまでもなくファストフードの王様、マクドナルドのことだ。マクドナルドは子どもたちが参加する、学校主催のサッカー、ネットボールのスポンサーをしているのだ。毎週末に試合があり、そこで活躍しプレイヤー・オブ・ザ・デーに選ばれると賞状がもらえる。賞状自体、マクドナルド社が印刷、用意したもので、それに各チームのコーチが添え書きをする。驚くべきは、これにマクドナルドで使える無料券が付いていることだ。娘だけではなく子どもたちの頭の中には、がんばってプレイヤー・オブ・ザ・デーに選ばれれば、「賞状がもらえる」ということより、「マクドナルドの無料券がもらえる」ということがインプットされている。

ニュージーランドでは、例えばお手伝いをした、よく勉強したなど、子どもがポジティブなことをした場合に、そのご褒美としてキャンデーなどの食べ物を与えることは良くないとされている。ご褒美は小さなおもちゃであるとか、文房具などにすべき、とするのがこちら流だ。それなのに、学校で子どもに与えるものがこれでいいのか? と私はアツくなった。

マクドナルドは、重病で長期入院を強いられる子どもが親と少しでも長く過ごせるようにと、家族のために病院近くに宿泊施設を用意したり、そうした境遇の子どもと家族、また反対に重い病気の親を持つ子どものいる家庭のために、温泉とアウトドア・アクティビティで有名な北島のロトルアでの宿泊施設を1週間無料で提供している。また、きちんとした医療施設のない、人里離れたところに住む子どもたちのためには、歯科検診の車を派遣している。

企業として子どもを助けるという姿勢を持ち、それを実行していることは認めよう。しかし、何となくインチキくさくはないだろうか。親はマクドナルドに子どもを連れていけば、無料券だけを使うだけでは済まず、大なり小なりお金を落とさずにはいられないだろう。ずるい、と私は思う。企業なのだから、もちろん利益を上げなくてはいけないだろう。しかし私の脳裏には、いいことをするふりをしながら、こそこそと小細工をして少しでも稼ごうとする黄色い太っちょMの姿がちらつく。純粋じゃないなぁ、と思う。不景気風が吹く中、こんな風に考える私が甘いのかもしれないが。


サイドラインのモンスター

最近娘がサッカーを始め、毎週土曜日にはその試合がある。頑張ってボールを追いかけている子どもたちを見るのは楽しいもの。応援にも自然に力が入る。サイドラインに立って、大声で応援している自分が想像できなかったが、今では毎週一回のおなじみの姿になりつつある。

この時試合以外にもうひとつ楽しみにしているのが、親たちの応援を見ること。親たちは自分の子どもの名前、学校やチームの名前を叫んで応援する。お母さんたちが横一列に並んで、試合の行方に一喜一憂して飛んだり跳ねたりしているのは、チアリーダーそのままだ。自分の子どものチームに点が入る時はもちろんだが、まだ「オトナ」の態度を保っているうちは相手方が得点しても「よくやった」と拍手を送る。

キーウィ本人たちはあまり自覚がないようだが、ニュージーランドはスポーツ偏重社会のように、私の目には映る。特にメジャーなスポーツで子どもが成功するかしないかは本人にとっても、そしてその家族にとっても非常に重要なことのよう。私の知り合いの男の子が通っていた男子校では、ラグビーやクリケットでないスポーツで一番になっても学校側は見向きもしないそうだ。スポーツが得意であることを、時に勉強ができること以上に、子どもたちに期待する。

そんな社会的風潮の中、サイドラインの親たちに力が入るのは当たり前なのだろう。「勝ち負けはどうでもいい、楽しければいいじゃないか」と思っている私でさえ、声を上げているのだから。ニュースなどでよく取り上げられるのが、親が自分の子どもの試合に入れ込みすぎて、審判の判定に反対し、言い争いになることだ。時と場合によっては、それは暴力沙汰に発展することすらある。

娘がサッカーを始める時、コーチが私たちに釘を刺した。「プレーヤーの人数より子どもたちの数が多いので、試合の際には順番に補欠になってもらいます」と。彼女いわく、子どもたちはこのことを普通に受け止め、理解するのだそうだが、わかってくれないのは親の方らしい。なので、新しい参加者の親にはこのことが必ず告げられる。

子どもの年齢がまだ低いこともあって、まだ力の入りすぎた親というのに、お目にかかることはない。けれど先週の試合で、子どもが大きくなったら、ひょっとすると審判といざこざを起こすのではないかと想像される父母がいた。幼いだけに一所懸命やっても失敗は数知れない。それはご愛嬌と私などは捉えている。それをこうしろ、ああしろと大声でカツを入れ、息子がゴールを決めると、周りの人の視線も気にせず、世界でおまえが一番偉いといわんばかりの賞賛を浴びせていた。

この国のスポーツ至上主義が収まらない限り、子どものスポーツに熱を上げすぎたり、エチケットを守れず暴走したりする、
「親」という名のモンスターはサイドラインから姿を消さないだろう。

 

おや、おや、親?

まだ日本で大学に通っているころ、欧米のティーンエージャーが大学などへの進学費用を親から出してもらうのではなく、自分でアルバイトをして捻出するという話を聞いて、「何て大人なんだろう。自立していすごいなぁ」と感心したものだった。ごたぶんにもれず、私も親から学費を出してもらっている、すねかじりだったからだ。

そんな欧米の子どもたちへの好印象を持ったまま、ニュージーランドという地で暮らし始めた私は、ここでも感動することになる。晴れていようが、雨が降っていようが、夕方になると、大きなリュックを背中に背負ったり、小さな手押し車を押したりして、各家庭の郵便受けひとつひとつにスーパーマーケットなどのチラシを配るアルバイトをする子どもの姿をよく見かける。街角に立って楽器を演奏し、聴衆からお金をもらう。お小遣いや習い事の費用は自分で稼ぐ努力をする。

この国では、通学に支障を生じなければ、職種は限られるものの16歳以下の子どもでも働くことができるのだ。そんな彼らの姿を見て、またまた「たくましいなぁ。偉いなぁ」と思う私。

学校からの修学旅行やキャンプのような場合でも、高校生ともなれば子どもたちはクラス単位で新聞の挟み込みをしたり、イベントなどがあればそこに屋台を出したりし、費用をできるだけ自分で工面するようにする。最終的には親もお金を出すことになることが多いが、それは足りなかった分を補うという意味合いが大きい。

「子どもが親からこんなにも自立しているなんて、素晴らしい!」 と思っていた私だが、つい最近になってそれに疑いを持ち始めた。おかしな話だが、青年期までは「親からの自立」がきちんとしつけられるものの、それ以降はどうでもよくなってしまう傾向にあるようなのだ。

私の知り合いや友人の中には、息子が切り盛りする農場の経理をやってあげているとか、町で会社勤めをする娘に代わり、彼女の農地の整備をやってあげているという親がいる。自営業の会計は母親任せとにこにこしている息子もいる。同じ町に住む親に子どもを任せ、自分の好きなことをしたり、仕事に出たりする女性も少なくない。

社会全体の傾向も似てきているような気がする。この国では大学や専門学校の費用は過去には無料だったが、1970年代以後、学費は入学者が払うことになり、その額は年々上がるばかり。進学する際の費用を親に出してもらうのではなく、政府との間にローンを組み、卒業後就職し、給与が一定額に達した段階で、そこから天引きされ、返していくという、いわば自立派の子どもは2006年には全入学者の約32.7パーセントを占め、その割合は年々増えてはいる。

それでも、最近世間では、返済するのに時間がかかる子どものために、できるだけ親は早い時期からその学費のために貯金をするよう薦められている。せっかく小さい時から自立の精神を学んできたのに、大きくなってから自立心をくじかれるような事態が待ち受けている。

まだ年端のいかない時にこそ親に頼り、大人になってからは親を助けるぐらいの姿勢を持つのが自然のように思うのだが、どうもこの国ではそれが逆転している。こんな風に大人になってから親に助けてもらう息子や娘がいる一方で、親はおろか親戚すら身近にいないという移民も少なくない。私もそんな中のひとりなわけだが、甘えん坊の大人のキーウィを目にしていると、親に頼らずに生活することは当たり前なはずなのに、自分のことを「なかなかやるじゃん」なんて自画自賛したりしてしまう。

若い時に何でも自分ひとりでできるように育てられたのに、なぜまた大人になってから……これは、住めば住むほど出てくるたぐいの謎のひとつなのかもしれない。

 






















 

 

 

nz よろず通信

~NZ発、本当にあった
ハートウォーミング・ストーリー
『Herbert the Brave Sea
Dog』


南島のネルソンに住む小型犬ハーバートがボートで移動中、海で行方不明になるも、「絶対にハーバートは生きている」という執念で海を探した、飼い主の少年のティムに無事発見されるという、1986年実際に起こったエピソードをもとに書かれたのが、この『Herbert the Brave Sea Dog』です。

Herbert the Brave Sea Dog

この舞台となったマールボロー・サウンズは水深のある海岸線が続き、多くの島々が散在するため、ブルー・ペンギンやアザラシ、数種類のイルカなどのさまざまな野生動物が生息する海峡です。

ハーバートがボートから海に落ちたのは、そんな海峡の中でもフレンチ・パスと呼ばれる、潮の流れがとても速く、行く手を阻むかのようにそこここに岩や渦潮が待ち受ける、用心深い船乗りでも、さらに気をつけながら通り抜けなくては難破するような危険な場所でした。おまけに天候は荒れ模様。ハーバートが生き残る確率は低かったのです。

大人はあきらめようとしますが、ティムはあきらめません。その執念にほだされて、大人も探し続けますが、ハーバートは見つかりません。それでも少年の信念は堅く、最後に自分自身で波間にその姿を発見します。飼い犬を心の底から愛する少年と、過酷な自然の中を生き抜き、少年のもとに戻ってきた犬のニュースに、当時、全国の人々の心は揺さぶられたのでした。

そのころネルソン在住だった、絵本作家ロビン・ベルトンがこの本の作者。本当にあっただけあり、話の展開は読者を強くひきつけます。優しいタッチの絵はハッピーエンドのこのストーリーにぴったりです。それぞれの場面でさまざまな表情をしたハーバートの顔はとてもかわいく、よく描かれています。

ハーバートはティムのもとに戻ってから、老犬になるまで長生きをしたそうです。そして現在はフレンチ・パスの、石を積み上げたお墓に眠っているということです。



~早くも花盛りを迎えた
コーファイ


本来10月ごろに花盛りを迎えるはずの花、コーファイが今、町のそこここで咲き誇っています。「コーファイ」は先住民マオりの言葉で「黄色」を意味します。たくさんのベル型の花をつけた枝はしだれ、その木の姿は黄金が流れ出しているかのような美しさです。

ニュージーランドの原生植物、コーファイ

コーファイはニュージーランドならではの植物でマメ科。多くが12メートルの高さにも達し、全国に分布します。花が咲き終わった後にはさやができ、その中に6個以上の種ができます。種は直径が3ミリほどで、ピカピカと光沢があり、花と似た黄色をしています。とてもきれいなので、子どもなどはついつい拾って遊んでしまいがちですが、この種と木の皮は毒があるので、注意が必要。子どもの遊び場や学校にこの木がないのは、このせいです。

マオリの人々は風邪から切り傷、打ち身までを治す薬として、コーファイのさまざまな部分を利用しています。花の蜜は原生の鳥、ケレルやトゥイが大好きで、コーファイの花のあるこの季節には、花のにぎわいだけでなく、鳥たちのさえずりが引きも切りません。


~世代を越えて愛される
  バジービー


この国で最も有名で人気のあるおもちゃといえば、「バジービー」。誰もこれには異論はないはずです。木製の赤いボディに黄色い羽、丸い黒い目が愛らしく、青い車輪がついています。子どもがヒモを引っ張って歩くようになっていて、動くと羽の部分がカタカタ鳴って回り、子どもの後をついてくる……というわけです。これは赤ちゃん誕生の時のプレゼントの代表ともいえ、そのキャラクターグッズはあらゆるものに見られます。

バジービー

その歴史は諸説ありますが、1930年代末、オークランドのニュートンにあったプレイクラフト・プロダクツ社のモーリス・シェスリンガー氏が最初に創り、売り出したというのが通説となっています。シェスリンガー氏はその後バジービーをCL・スティーブンス社に売った後、同社の代理営業マンだったヘク・ラムジー氏が兄弟経営の、木材旋盤加工の会社に持ち込みました。1970年代の工場火災後、そのオーナーは何回か変わり、2004年現在はライオン・ロック・ベンチャー社のものとなっています。爆発的な人気の裏には戦後のベビーブームがありますが、最近では英国王室のウィリアム王子、日本の皇室の愛子さまなどに贈呈され、その人気は世界に広がりつつあります。

現在のバジービーはほぼ初めて創られた当時の形。幼児にとって楽しいめるだけでなく、その親、さらその親もノスタルジーに浸れるおもちゃというわけです。



~ポテトチップでキーウィならではの味を再現


ニュージーランドで甘くないお菓子の代表といえばポテトチップ。フレーバー、スライスの厚み、切り口の形など、その種類は豊富です。そんな中で、「おお! とうとう出たか! ニュージーランドならではのフレーバー!」と思わず感嘆の声を上げてしまったのが、大手スナックメーカー、ブルーバード社から最近発売になった「キーウィ・アズ」シリーズ。現在はトマトソース&ミンス・パイ、テイスティー・チーズ、レデュースト・クリーム&オニオンスープ・ディップの3種類が売り出されています。

キーウィ(ニュージーランド人)はどんなものにでもトマトソース(トマトケチャップを若干薄くした感じのソース)をかけて食べるといわれるほどのトマトソース好き。ランチなどによく食べられるビーフ入りのパイとのコンビネーションを再現してあるはずですが、もっぱらトマトソースの味ばかりが先に立って、パイ味はどこへやら。この国のトマトソース・ブランドの代表、ワティース社のトマトソースを使用しているので、まずくはないのですが、精彩を欠いているように感じます。

kiwi as chips

昔からこの国では野菜やクラッカーなどに付ける「ディップ」の定番といえば、缶詰のレデュースト・クリームと粉末のオニオンスープを混ぜたもの。その味を再現したのがレデュースト・クリーム&オニオンスープ・ディップ・フレーバーというわけです。これもそれほどこの味が忠実に再現されているようにも思えず、というお味でした。

チーズの製造で一、二を争う
メインランド社のチーズが使われている、テイスティー・チーズはまだ未体験。さてはてどんな味に仕上がっているのやら?

何だか私の味覚には今ひとつ合わないのですが、当のキーウィたちはぞっこんのよう。あるラジオ番組で「このシリーズにあったらいいフレーバーは何?」という投票が行われました。愛国心の強い彼らは思い入れのある味を投票。ベーコン&エッグ・パイ、フィッシュ&チップス、ハンギ(先住民伝統の地中蒸し焼き料理)、パブロバ(クリームやフルーツを乗せたメレンゲのお菓子)を抑え、一番になったのはチーズィーマイトでした。

これは食パンなどにマーマイト(イーストが原料のスプレッド。糖分が低く、ビタミンB類や鉄分が豊富なので、皆子どものころから慣れ親しんでいる)を塗り、チーズを乗せるという、コテコテのキーウィならではの味。最初ブルーバード社は乗り気ではありませんでしたが、そのフィーバーぶりにチーズィーマイト・フレーバーを開発、発売することを約束しています。マーマイトが苦手な私には、これはちょっと。「キーウィ・アズ」シリーズはやはり「キーウィによるキーウィのためのチップス」のようですね。

~甘い香りが魅力の果物、
            フィジョア

3月下旬から6月にかけて、ニュージーランドで収穫される果物にフィジョアがあります。今年は夏が終わってからも暖かい日が続いたので、豊作となりました。もともとはブラジル産ですが、1920年代にこの国に紹介されると、栽培に適した当地の気候のおかげで大ぶりでおいしいものが収穫でき、その人気はすっかり定着しました。



他国では「パイナップル・グアバ」とも呼ばれるこの果物は、食べると少しざらっとした舌触りですが、花のような濃厚で甘い香りが一瞬にして口の中に広がります。私などは最初、フィジョアが置かれた部屋に一歩入るなり、「これは芳香剤の香りかな? それともチューインガム?」と思ってしまったほどです。

みかんとほぼ同量のビタミンCを含んでいるフィジョアは横2つに切り、果肉をスプーンでくり抜いて食べるのが一般的ですが、マフィンやケーキに入れたり、ジャムやチャツネにするのもポピュラーです。その独特の香りを生かしたワインやウォッカも造られています。

つい先ごろ、国内のネットオークションに、国鳥キーウィの形をしたフィジョアが登場。有名実業家が1,000NZドル
(約5万5,000円)で競り落としたことが話題になりました。金額のうちの半分は慈善事業に寄付、キーウィの形をしたフィジョアは防腐処置を施して、実業家のオフィスに飾られるとのことです。

フィジョアについてもっと詳しく(英語)→キーウィ型のフィジョアを見る(英語)→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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