The website of Mari Clothier 執筆・リサーチ・取材・編集 ―― ニュージーランド在住ライター クローディアー真理


日々の暮らしの中で拾った ―― my ニュース in 2009

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2009年12月16日

目にするものが子どもに与える影響を真剣に考える

本好きの私にとって、図書館は大好きな場所のひとつだ。日本では、収入に対する本の値段がそう高くなく、私なども欲しい本はどんどん買っていた口だが、ニュージーランドではそういうわけにはいかない。ちょっとしたペーパーバックでも30ドルは軽くするし、子どもの絵本でも「いいな」と思うと、20ドルは当たり前。30ドル代というのも珍しくない。図書館の存在は私にとって、実利面でも、趣味面でもとてもありがたい。

そんなわけで、ちょこちょこ図書館には行っているので、自分ではすみからすみまで知っていると思い込んでいたが、そうではなかった。先日子どもの本を借りに行った時のことだ。

まずは探している本をコンピューターで検索した。子どもの本といえど冊数は膨大なので、どのエリアにあるかをまず確認する。目的の本は「Junior Picture Book – Sophisticated」にあることがわかった。ただし、この「Sophisticated」というのは初めて見る分類だ。司書に尋ねると、お馴染みのエリアの一角にその「Sophisticated」の本が置かれているという。聞けば「死」などの少し複雑だったり、難しい題材を扱った本をここに集めているのだそうだ。

なるほど、なるほど。確かにこういう本が、一般的な楽しい内容の絵本の中に介在していたら、うっかり意図せずにその本を手に取った子どもは怖くなったりするだろうし、時には悪い影響も与えかねない。何にでも大雑把なキーウィだが、こういうことにはなかなか神経が細かいじゃないかと感心する。

そういわれてみれば、テレビ番組や映画、ビデオ、DVDもそうだ。誰が見ても問題ないものには「G」、大人の指導のもとであれば子どもの視聴が許されているものには「PG」、16歳以上のみが視聴すべきとされるものには「M」などといった分類が、この国にはある。テレビで放映されるニュースやドキュメンタリー、ライブなどにはこれらは適用されないが、それでも戦争報道などの際には、「これから流す映像は人によっては不快に感じる可能性があるので注意してください」と促される。不適切な映像を見てしまってからでは遅いので、この予告は非常に役に立つ。

つい先だって、ほかのお母さんとおしゃべりしていた時にも、こうした話題が出、子どもが目にするものに気を配っている親は結構いることがわかった。

子どもが知り合いの家に招待されたが、自分はその家庭を訪れたことはなく、先方の親をそう知っているわけでもない。それに自分は招待されているわけではない。遊んでいる流れで一緒にDVDを見ることになった場合、どんな内容のものを見ることになるのかわからず、不安だ――これが、知り合いのお母さんの心配だった。ほかのお母さんたちは皆、「一緒にあなたも遊びに行けるようにお願いするのが一番よ」と声をそろえた。結局、後日母子で遊びに行くことに決まり、この件は一件落着となった。

一般的に何事に対しても、悪くいえば大雑把、良くいえばおおらかなキーウィだが、子どもの視聴するものに対して、ここまで細かく気を配っているのには、正直驚かされた。特に日本では、残酷な内容のコンピューターゲームが原因で、物騒な事件が起こるとまでいわれているのにもかかわらず、子どもが目にするものに対する規制はない。何にでも事細かにルールが存在するのに、子どもの視聴に関しては比較的無関心の日本人と、たいていのことには非常におおまかでいい加減だが、目にしたものの子どもに与える影響を真剣に考えるキーウィ。このコントラストはとても興味深いものだなぁと思った。


2009年12月6日


学校の中での年上年下

ついに4学期も残りわずかとなった。この1年間の間にさまざまな形で学校に貢献した親たちが招待されてのモーニングティーが先日行なわれ、夫婦で参加させてもらった。私は娘のクラスで単純作業を手伝い、マフィンやジンジャーブレッドマンを週1回行なわれるランチクラブ用に数回焼いた。また夫もリッチ・トピックが「アート」だった3学期には職場から1日お休みをもらい、ホールでの展覧会の準備を手伝った。

会場となった校内の図書館に入ると、まずは温かい飲み物がふるまわれる。担当は最高学年である8年生の男の子2人。そして、親たちの間を縫って歩き、ケーキや果物を振舞うのは同じ学年の女の子2人だ。こちらでの紅茶のいれ方の主流はまずミルクをカップに入れ、そこにティーバッグを加え、お湯を注ぐという順番。私が紅茶をお願いすると、ミルクを入れず、最初にティーバッグをカップに入れたところで、その男の子ははっと気付き、「ミルクを先にいれますね」とちゃんとしたいれ方で私の紅茶をいれてくれた。男の子なのに、きちんとしているなぁと私は感心し、ありがたくその紅茶をいただいた。

娘の学校が特別なのかどうかわからないが、学年が上になるにつれ、子どもたちは校内で重要な役割を担うことになる。学年により、年下のジュニア・シンジケートと年上のシニア・シンジケートの2つに生徒は分けられており、シニアは毎日の学校生活を皆がスムーズに送れるように務め、ジュニアの面倒をも見る。

毎週金曜にある朝礼の際、進行係を務めるのも、音響・映像係を務めるのも、皆8年生のシニアの子どもたちだ。毎日終業時間の少し前に全クラスからごみを回収するのも、校庭にある砂場に覆いをかけるのも、そして教師たちが使い終わったマグカップを各教室からスタッフルームに集めてくるのも、そして休み時間に子どもの間でトラブルがないか見て回るのも、シニアの子どもたちの仕事だ。

また特別なイベントの際には、ジュニアの子どもたちのまとめ役は教師ではなく、シニアの子どもたちが行う。例えば、先日行なわれたタブロイド・スポーツと呼ばれる、他校を招いてのジュニアの生徒のスポーツ大会では、子どもたちを幾組かに分け、用意されたさまざまな競技をグループごとにこなしていく。そんな時、シニアの生徒は各グループを引率して、各競技の行なわれているエリアに連れて行き、ルールなどを説明する。時に話を聞いていなかったり、悪ふざけをするような子がいると、シニアの生徒はビシッと注意する。

娘の小学校を決める際、いくつかの学校を見てまわったり、話を聞いたりしたのだが、学校によってはシニアの校舎とジュニアの校舎が道路を隔ててあるところや、校庭をシニア用とジュニア用に区切って、「危なくない」ようにしているのを看板にしている学校もあった。娘はひとりっ子だし、同年齢だけでなく、いろいろな歳の子どもたちと交わってほしいと私は思っていたので、年上の子が下の子をかわいがり、楽しみながら一緒に遊び、年下の子はお気に入りのお姉ちゃんやお兄ちゃんがいたりする、いい感じの関係が校内に存在する今の学校に決めてよかったなと感じている。

年上、年下で分けてしまうのではなく、さまざまな歳の子が一緒にいることによって、シニアの子にも、ジュニアの子にも絶対メリットがあるはずだ。シニアの子はジュニアのお手本となるべく、きちんとした態度・行動を取るし、年下の子に優しく接する方法を身につける。ジュニアの子はそんなシニアの子を見て、大きくなる。世の中を見てほしい。世間の人は年齢で分けられてはおらず、若い人もいれば、年配の人もいる。その中でお互い助け合って生きていくためには、学校時代からさまざまな年齢の子どもたちと接し、毎日を過ごすのが一番のような気がするのだ。



2009年11月27日


アジア人顔

日本からニュージーランドに移住した当初、なかなか職にありつけず、さりとてブラブラしているのもいやだったので、オークランド戦争記念博物館でボランティアをしていた。

ボランティアが必要とされるのは日中。週末はもちろんウィークデーもシフトを組んでビジターに対応する。フルタイムで働いている人にはボランティアを務めるのは難しいため、シニア世代が中心となっていた。彼らに加えて私のような、この国に来たばかりでまだ仕事に就いていないという人がちらほら交ざる。

館内案内のためのトレーニングに何回か参加して、私はしみじみ思ったことがある。「アジア人のルックスって損だなぁ」と。正確にいえば「アジア人」というより、「ほかの人と違う」ルックスは損だということだ。ニュージーランドは移民の国だが、まだアジア人はそのほかの人種に比べると多いとはいえず、英語がしゃべれない人も少なくない。引っ込み思案の私の性格もよくなかったのだろうが、見た目にニュージーランドの白人と同じヨーロッパ系の人は、その人の英語が流暢であってもなくても、ニュージーランド人とすぐに打ち解け、やすやすと話の輪に入っていく。つまり反対にいうと、ニュージーランド人はこうした人にはガードを下げやすく、仲間にすぐに入れてやるというわけだ。その点、私などの場合には、かなりしゃべったり、人一倍アピールしないと、なかなか仲間に入れてもらえない。苦労というほどのことでないにしても、当時こうした場での私は何となく肩に力が入っていた。

7年前に生まれた娘はかなり「しょうゆ顔」だ。なので生まれた当初、「この先、私が経験してきたような面倒な思いをしなくて済むといいけれど」と思ったものだった。それが親の心配をよそにその和風のルックスは、彼女にとってプラスになっている。

赤ちゃんのころに乳母車に乗せて散歩していると、見知らぬ人から「お人形さんのようにかわいい女の子ね」とよく声をかけてもらった。そんなことが重なるうちに私も、これは彼女が日本人顔をしているからこそ、他人の目に留まり、かわいいと言われるのだなと気付き始めた。

最近ではバレエの公演に出ることになり、最初は一役だったものの、アジア風の顔立ちが買われて、もう一役演じさせてもらえることになった。その役のリハーサルの時に、出演者の女性のひとりから「あれはあなたのお嬢さん? とってもかわいいわね」と声をかけられ、一緒に踊ることになっている女性にも同様のことを言われた。うれしい。母親としては、娘のかわいさをほめられてうれしかったというより、皆、彼女のルックスをポジティブに捉えてくれていることがとてもうれしかった。

「人間見た目じゃないよ、中身だよ」とよくいわれる。もちろん中身が大切なのに異論はない。しかし、人間に目が付いている限り、決して「見た目」という感覚、先入観を人間から取り去ることができないのも事実なのではないか。これからも「日本人風の顔立ち」が、娘の将来にプラスの影響を与えてくれるといいな、と思う。



2009年11月19日

お誕生日会にまつわるエトセトラ

キタ、きた、来た! 今年もやって来た、この季節! 10~2月をピークとしてニュージーランド全国は“誕生日ラッシュ”に見舞われる。少なくとも私の周りのキーウィたちでこの期間中に誕生日を迎える人は数え切れない。春夏に生まれるキーウィたちの多いこと、多いこと。

試しに娘が招待されたお誕生日会を去年から今年のカレンダーをくって見てみる。10月31日Cちゃん、11月29日Cちゃん、12月22日Jちゃん、1月21日Aちゃん、24日Mちゃん、2月7日Mちゃん、15日Jちゃん、22日Sちゃん、28日Mちゃん、3月15日Mちゃん、29日Rちゃん、7月5日Tくん、11日Hちゃんといった具合。13人のうち、かなりこの時期からずれるのは2人だけだ。

娘の場合、2月には毎週末お誕生日会によばれていたわけだが、12月中旬から1月いっぱいは夏休み。その間お誕生日会を開いても、友達がホリデーで不在なことが多く、意味がないので、1月生まれの子のお誕生日会は2月にずれこむという事情がある。

小さい時は特にお誕生日は1年で最も重要な行事のひとつに挙げられるだろう。娘とその友達の場合だけかもしれないが、その「重要度」は異常に近い。やっとお誕生日会を無事に終わらせ、ほっとしている親を尻目に、自分の誕生日が終わった途端、翌年の誕生日の話に花を咲かせている。

親としては、1年に1度のめでたいことだから子どもの好きなようにという気持ちと、できるだけ安くあげたいという気持ちとが交錯し、お誕生日会の前は結構頭を使う。おまけにケーキは直前に用意せねばならず、失敗は許されない。それもたいていの場合毎年違うケーキを焼くことになり、誕生日のたびにケーキ焼きの初心者の気分。

おまけに娘の誕生日はごたぶんにもれず、“誕生日ラッシュ”の真っ最中、11月だ。学期末=学年末=クリスマス=夏休み前というわけで、お稽古事の発表会に、学校の親睦会の準備、そしてもちろん“ラッシュ”時ならではの、誕生日を迎える娘の友達たちのプレゼント買いと、いつもに比べ諸用が格段に多い。それに追い討ちをかけるかのように、いつもは手伝ってくれる夫も、自分の生徒の卒業展にかかりっきりで、へたするとそのとばっちりまで私に飛んでくる。この展覧会は毎年娘の誕生日と同じ週にあり、こうなるともはや「彼女のお誕生日会の準備は大変なもの」と運命づけられている気さえしてくる。

どこで会を開くか、何をするか、どんなパーティーフードにするか、どんなケーキを焼くか……どんなに頭を悩ませ、時間を取られても、「ひとつ大きくなった」という誇らしげな娘を目にすると、「今年もがんばってよかったな」と思う。10歳の子どものいる私の友人は言っていた。「もっと大きくなったらお誕生日会に興味はなくなるもの。会にまつわる苦労を懐かしく思い出す日が来るわよ」と。


2009年11月5日


車での高校通学

昨今、炭素排出量の増加うんぬん、化石燃料の枯渇うんぬんというニュースを私たちが聞かない日はない。車を使うにしても同乗者を乗せるようにしたり、できるだけ一度に用を済ませるようにしたり、公共交通機関を使うようにしたり、カーシェアや自転車で通勤する人も出てきている。みんな少しずつかもしれないが、努力はしているように見受けられる。

私などはも数十年もすれば、この世とおさらばだ。しかし、これからもこの地球で生きていかなくてはならない世代はどうだろう? 

ほぼ毎朝、私はある男子校の近くを車で通るのだが(言っておくが、夫を勤務先に、娘を学校に送るためにだ)、来るわ来るわ、その男子校の生徒が運転する車が! ポンコツ車でやってくる子もいれば、ピカピカのBMWに乗ってくる子もいる。しかし彼らの共通点は「運転している本人だけが乗っている」こと。

ニュージーランドでは15歳で免許が取れる。農場などでは年齢が1ケタの時から車を運転している子も多い。正式な免許を取るには段階を踏まなくてはならないのだが、フルライセンスを取る前にもらえるリストリクテッドの免許を持っていれば、自分ひとりで運転することが許される。この段階では両親、兄弟などは乗せてもいいが、友達を乗せることはできない。

実は私は勝手にこれが「地球に優しくない」のではないかと疑っている。フルライセンスを持っているにしても、朝のことだ。事前にアレンジしない限り、自分ひとりで運転して学校に来ることになるだろう。リストリクテッドのみを持つ子は当然ながら、友達と車をシェアすることはできないから、やはりひとり1台の車を運転してくる。何という無駄!!

そもそも、高校生が車で通学する意味がどこにあるというのだろう? バスも通っていない(ニュープリマスでは学生専用にスクールバスが朝と夕に走っている)、自転車で来るには遠すぎる、そんなところに住んでいる子が果たして、この町にいるのか?  彼らこそが炭素排出量の増加や、化石燃料の枯渇に拍車をかける一端をになっていることは間違いない。そして皮肉なことに、その彼らがこの先長きにわたって、この問題に対峙していかなくてはならないのだ。

週末や深夜に改造車などで騒音などの問題を引き起こすボーイ/ガール・レーサーの問題、未熟な運転や時にそれにアルコールが絡んで死傷者を出すことも少なくない、ティーンエージャーの交通事故。世論はこうした理由で、車の免許を取得できる年齢を上げるべきだとしている。しかし、理由はそれだけではないと、私は思うのだ。年齢を上げれば、必然的に車を運転できる人の数が減る。高校生が車で通学しなくなれば、地球はちょっと一息つけるのかもしれない。


2009年10月28日

“ホーム・キル”

「ホーム・キル(home kill)」――最初聞いた時、何と物騒な言葉と思ったか。いや、その考えは今も変わらないのだが。この言葉が敬虔なクリスチャンであり、笑顔の素敵な友人の口から出た時、違和感を感じずにはいられなかった。

彼女はごく普通にこう尋ねてきた。「ねぇ、もうすぐ『ホーム・キル』をお願いするのだけど、真理のところもどう? あなたのところの冷凍庫、大きかったかしら?」と。郊外に住む彼女の知り合いは、子牛を数頭買い、自宅の敷地内で草を食べさせ、育てる。そして、それが大きくなったところで、彼女などのところに声をかけ、希望があればそれを屠殺し、「肉」として切り分け、売る。これが「ホーム・キル」だ。半頭分、もしくは1頭分単位で売られるようで、そのために大きな冷凍庫が必要というわけ。

牧畜民・狩猟民の血を引く彼らにはあまりこの行為はこたえないのかもしれないが、農耕民の日本人である私にはずっしりとくる。もちろん私だって、お肉屋さんで肉を買い、食べるわけで、つきつめていえば、店で買うか、ホーム・キルで手に入れるかという違いがあるだけで、その肉を食べるということに何ら変わりはない。

友人に言わせると、商業ベースで牛を育てるわけではないので、飼料ではなく、敷地内の草だけを食べて大きくなる牛の肉は、証明書こそないものの、ほぼオーガニックという。さらに通常食肉用に育てられた牛は農場から引き取られ、トラックで屠殺場まで連れてこられるわけで、これが牛にとっては多大なストレスとなるらしい。そのストレスの挙句に屠殺された牛肉の味と、自分が馴染んだ場所で屠殺された牛肉の味は違い、後者の方が断然おいしいというのだ。

説得力があるような、ないような……。味くらべをしたいような、したくないような……。肉が主食の国の田舎町では普通のことなのだろうが、何年住んでも白飯が大好きな日本人にとって慣れないことはあるものだとつくづく思う。もちろん、私は友人に我が家の冷凍庫が決して大きくないことを説明し、この申し出を丁寧に断ったのは言うまでもない。



2009年10月19日

質素で静かな村に秘められた力

数年ぶりにパリハカを訪れた。パリハカはニュープリマスから車でサーフハイウェイ45を約1時間ほど行ったところにある小さな小さなマオリの村落だ。

村への小道を入っていくと、質素な家々が並ぶ。中には空き家になっているところもあり、真っ青な空にギラギラと光を放つ太陽と反比例し、どことなく寂しさが漂う。この静かな村では世の中で起こっている出来事とは無縁の生活が送られているかのようだ。

しかし実はこの村は、ニュージーランド、それも特にタラナキ地方の歴史上重要な意味を持っている。この地方で土地戦争があり、植民地軍が村に攻め入った際、村民全員が非暴力でそれに対峙したのだ。時は1881年。非暴力主義で世界的に有名なガンジーがそうした思想を形成したのは1880年代以降といわれており、パリハカのこの武器を持たない抵抗はそれより早い時期に実行されたことになる。

この出来事は後に、ラルフ・ホテレやコリン・マッカンというような多くの国内アーティストにインスピレーションを与え、作品のテーマとして取り上げられたほか、人気シンガー、ティム・フィンもこれに捧げる歌を作っている。
村内にはその中心人物だったテ・フィティ・オ・ロンゴマイの記念碑があるのみ。タラナキ地方、いやニュージーランド、さらには世界的に意義深いことが起こった場所にしては誰の目にも殺風景に写る。今回初めてここを訪れた義姉は「もっとほかにこの村のことを語る資料館でもあるのかと期待していたのに」とこぼす。ウェリントンの国立博物館、テ・パパでは大々的に特別展が行なわれ、ニュープリマス市内にある博物館、プケ・アリキではマオリの常設展の約3分の1をパリハカの展示が占める。

私も6年前、初めて足を運んだ時には義姉と同じ風に感じた。しかし、今は「これでいいんだ」と思うようになった。ニュージーランドを代表する平和のシンボルだからといって、それを売りにすることなんかないのだ。今のままで十分。非暴力で暴力に立ち向かうという偉業を成し遂げたのは、私たちと変わらないごく普通の人々だったということが、ここを訪れる人々の心により深くしみこんでいくに違いないから。昔は土地戦争の真っ只中にあり、今は非暴力主義者の末裔の住む、ひっそりとした村で、私はそう思った。


パリハカ

2009年10月9日

日本でだって自然はすぐそこに

日本に数週間一時帰国していた。季節はまだ暑さの残る秋。この時期帰ると、木々や花々はまだ十分に彩りを残し、昆虫などは活発に活動しているので、散歩しているだけでもいろいろな遭遇があって、楽しい。

ニュージーランドではこの地固有のものを大切にしているせいもあるだろうし、他の大陸から離れているせいもあるのだろう。私のような素人目には昆虫などの種類があまり多くないように見える。それと比べ、最近は外来種の動植物に対する規制もあるようだが、それでもニュージーランドより厳しくない日本では、実にさまざまな種類が存在しているようだ。

例えばチョウ。ニュージーランドで目にするのはモナーク・バタフライと、モンシロチョウぐらいのものだろうか。好んで産卵するスワンプラントを育て、卵から幼虫、さなぎ、そして成虫になるまでを見守ったこともあり、愛着のあるチョウではあるが、だんだん見慣れてしまうのも確か。それに引き換え日本を訪れると、アゲハチョウ、アオスジアゲハ、シジミチョウ、アカセセリ、キチョウ……。いろいろチョウがふわりふわりと目の前を横切る。

スーパーマーケットへの道すがら足元を見れば、緑色のカナブンだろうか、コガネムシだろうか、が道を横切って歩いているし、長いミミズがのたうちまわっている。電線の間には、黄色と黒のマダラの、体だけでも4センチぐらいはあるクモが巣を張っているのをしょっちゅう目にする。周囲の庭からはカマキリが顔を出し、セミの抜け殻も見つかる。ツクツクボウシやカナカナが、過ぎ行く夏を惜しむかのように鳴いている。

日本人は自然の美しさや楽しさを、ニュージーランドなどのいわゆる自然美で有名なところでしか味わえないと思っているかもしれない。決してそんなことはないと私は思う。私の実家は都会だけれど、これだけ虫たちとの遭遇を楽しめるのだ。もっと地方に行けばそれはなおのことだろう。住んでいるところに関わらず、身の周りをよく見てみてほしい。いつも通る見慣れた道にだって、小さな鉢植えにだって、自然は息づいている。


2009年9月14日

美しい春が運んできた自然保護週間

「ねぇお母さん、いつもより学校がきれいになってると思わない?」と、先週、娘を学校に迎えに行った時、いの一番に娘に尋ねられた。一日の終わりには、ティータイムに食べたと思われるものの小袋などが、校庭の片隅で風に舞っていたりするのを見かけるものだが、そういわれてみればその日はごみが何も落ちていなかった。誇らしげに語る娘の話を聴けば、その日は全校あげてのクリーンナップ・デーで、子どもたち全員がゴム手袋をして、校内でごみ拾いをしたそうだ。

それと前後して、イーデー(eDay)と呼ばれるものも行なわれた。この日には国内各都市で「Electronic waste」、つまり電化製品が回収される。持ち込めるのはコンピューター、携帯電話、プリンターといったもの。我が家もガレージを整理するいい機会と、幾つかを車で寄付しに行った。

驚くべきことに、コンピューターに使われているパーツの95パーセント以上がリサイクル可能だそう。これがただ埋立地に捨てられるのは残念なことだし、カドミウムや水銀といった物質を含む電化製品は家庭から出るごみよりはるかに毒性があり、土壌を汚染する結果をもたらす。

イーデーの後、持ち込まれたものがまだ製品として使用できるかどうかがまず確認され、使えるものは慈善団体に寄付されたり、売りに出されたりする。価値があるものと判断された場合は、ネットオークションにかけられ、その売り上げ金はイーデーの運営資金に還元される。

反対に使用不可能なものは韓国に送られ、分解作業が行なわれ、リサイクルできるものが取り出される。現在ニュージーランド国内にはこうした作業に対応できる施設がないために海外に送られるのだが、採算はとれているのだという。将来的には国内ですべて処理できるよう、計画が進められている。

エコなイベントがどうも続くと思ったら、13~20日にかけては「コンサベーション・ウィーク」、いわゆる自然保護週間だった。自然保護週間で行なわれることといえば、植樹や海岸でのごみ拾いなどが代表的だが、それだけでなく、写真コンテスト、絵の展覧会、クイズ大会といった、特に普段は環境問題に関心がない人や子どもにもとっつきやすい内容になっている。各地方や都市が抱える問題や、特に注意したい保護エリアとそこに生息する動植物に関するトーク、実用的なハウツーの紹介なども、もちろん行なわれる。

このところ、春らしい日が続く。チューリップ、水仙、アヤメ、パンジー、梅、桜……たくさんの花が一斉に咲いている。冬、雨が多いタラナキ地方も晴れの日が増え、庭やアウトドアに出る機会が自然と多くなる。自然保護週間は、狙ってか狙わいでか、そんな春にやって来る。



2009年9月8日


「安かろう、悪かろう」ではないニュージーランド

今年もタラナキ・チルドレンズ・ブック・フェスティバルが開かれ、例年通り参加してきた。これはその名の通り、子どもたちにニュージーランド人作家の本に親しんでもらおうというのが趣旨で、規模はさまざまだが、全国の町で行なわれている。人気作家のトークやサイン会あり、イラストレーターのワークショップあり、ストーリーテリングありの盛りだくさん。今回は趣向を変えて、郊外のストラトフォードにある、植民地時代の街並みを再現した村、パイオニア・ビレッジで行なわれた。

パイオニア・ビレッジへは田舎道での制限速度100キロで行っても30分以上かかる。行って帰ればかなりの距離で、昨今のガソリンの価格高騰のことが頭をよぎる。しかし、そこへは無料バスを出すという。バスの中では人気を博している本に関するクイズの書かれた用紙が配られ、それに全部正解した子どもには本がプレゼントされる。ビレッジの入場料はフェスティバル参加者はタダ。中で行なわれるイベントももちろんタダ。ビレッジに関するクイズもあり、中を回って答えを探し、全問正解するとこれまた本がもらえる。

すべてが無料だからといって、いい加減な内容や構成ではない。きちんと考えられていて、子どもはもちろん、大人も十分に楽しめた春の一日となった。

ニュージーランドでは、無料で子どもと楽しめることがたくさんある。このブック・フェスティバルもそうだが、図書館では週に1回幼児を対象とした、本の読み聞かせと工作を組み合わせた時間を設けている。学期と学期の間の休みには、必ずスクールホリデー・プログラムが、隣接する博物館の特別展とからめた内容で用意される。夏休みには、休み中の子どもたちの本離れを防ぐための読書プログラムがあり、先着100人の子どもたちが参加できるようになっている。休み中4回、自分の読んでいる本がどんな本なのかを話すために子どもたちは司書を訪れることになっている。本を入れるカバンと読んだ本の書名を記入するフォルダが配られ、司書を訪れる度に大人でも楽しめるような珍しい小さなおもちゃをもらえる。きちんと4回来れば、最後に修了書が渡され、本がプレゼントされる。これら、すべて無料なのである。

夏休み中には、ほかに日本でいう市役所にあたるカウンシルが主催する無料イベントも数多く行なわれる。デイライト・セービングで日も長くなり、アウトドアで過ごすのが気持ちのいい季節なので、会場はたいてい公園やビーチだ。宝探し、手品、サーカス、テディベアズ・ピクニック、ゲーム、ストーリーテリング、スケボー&サーフィン、クリスマス・コンサート、映画会、子どもだけのマーケット……挙げれば切りがない。夜にはコンサートを中心とした大人向けのイベントも用意されている。

「無料」といっても、厳密にいえば私たちの納める税金でこれらは賄われているわけだが、楽しく過ごせて、税金のもともとれるとなれば、参加しない手はない。ニュージーランドにはいいところがたくさんあるけれど、お金をかけずに楽しめることが多いのもそんな中のひとつだなぁと思う。



2009年8月31日

変わりつつあるサーカス

サーカスを見に行ってきた。小ぶりなものではあったが、大人の私でも十分楽しめる内容だった。アフリカ人男性のアクロバットや火を使った芸、空中を舞う中国人美女、お客との掛け合いが笑いの渦を作ったピエロ……。子どもたちの喜びようといったらなかった。息をのみ、目を見張り、大笑いをし、大忙しの2時間だった。これだけでも十分楽しめたのだろう。しかし、以前のサーカスにはあって今のサーカスにはないものがある。

「サーカス」といって私たちの頭に思い浮かぶのは何だろう? ピエロ、つな渡り、アクロバット……そして芸をする動物ではないだろうか? このイメージ自身は決して過去のものではなく、近年制作されたDVDや絵本などにもこうした姿でサーカスは描かれる。子どもたちはそれらを通して、サーカスへの「夢」をふくらます。

しかしニュージーランドのサーカスは確実に変わってきている。サーカスにほとんど動物は登場しない。今回行ったものにはポニーとゾウが出てくるには出てきた。子どもたちは動物が出てきたら、まばたきもせずに見入る。でもどちらもその大きな期待を裏切って、ほんの少しの時間、申し訳程度の芸をしておしまいになった。私ですら、「え~? これだけなの?」と思ったのだから、子どもたちはさらにそう思ったに違いない。

この国の動物愛護の精神は相当なものだ。もちろん私もその姿勢には基本的に賛成だし、人間の欲やわがままのために動物が不幸になるのは間違っていると思う。サーカスから動物の姿が消えていっているのは、動物愛護団体からの圧力が年々強くなっているからだ。町から町への旅の生活で動物福祉の観点から満足のいく飼育はできないし、芸をさせること自体が動物の自然の姿をゆがめることになる。そのためサーカスは今まで飼っていた動物をどんどん手放すようになっている。

動物の芸は、多くの場合中国雑技に取って代わられている。それはそれでスリルがあるし、芸術性も優れていると思う。それでも、子どもも大人も大好きな動物の芸をサーカスでまた見てみたい。人間の娯楽のために動物が不幸になってはいけないけれど。近い将来、どこかのサーカス団でうまく双方のバランスの取れた、動物の芸を実現させてくれないかなぁと思う。



2009年8月20日

ニュージーランドの陪審員制度

少し前に陪審員になるようにとの任命状が届いた。この陪審員制度というのは、日本で始まった裁判員制度とは少し違う。前者は裁判官から独立して、有罪・無罪の表決を行い、それを受けて裁判官が量刑を決めるもので、後者は裁判官と合議し、量刑までを決めるものだそうだ。どちらも一般市民に裁きの場で意見を言うことのできる機会を与えていることには違いないだろう。

いったん任命されると基本的には任務を遂行しなくてはならない。拘束期間は数日か、数週間か、ケースバイケースだ。その間は雇用主側も、陪審員に選ばれたスタッフを裁判に出席させる義務がある。裁判出席のために子どもをどこかに預けなくてはいけない場合や、駐車場に車を留めておかなくてはいけない場合などの費用も負担される。

英語での生活を始めて11年になるが、それでも裁判では専門用語も使われるだろうし、ほんの少しの誤解が裁かれる側の一生を大きく左右する可能性があることを考えると、自分の英語力ではとても受けられないと思った。陪審員になるには英語力が不足している旨を説明し、今回はお役ご免とさせてもらった。

ちょうどそんなやりとりを終えたころ、ある重大事件の裁判の
陪審員の半数が英語力不足だったことが明らかになり、私は辞退してよかったと思った。英語が母語である人でさえ、場合によっては裁判の内容を把握し、評決を下すことは難しい。そんなわけで最近では、英語が第二言語である人のために裁判上、内容が理解できなくなったら、すぐにそれを報告することを14ヵ国語で説明されたポスターが貼られるようになった。そのほか有罪・無罪を判断するのに大切な、何がいつ起こったかなどが書かれた書類のコピーを陪審員ももらえるようになり、一般市民が陪審員としての勤めを円滑に行えるよう、法の改正が進みつつある。

またよくニュースなどを見ていると、凶悪犯罪者に対する裁判の途中で陪審員が病気になり退廷したことが報じられるケースが少なくない。殺人現場の無残な写真などを見せられ、それらに慣れていない陪審員は気分が悪くなり、退廷せざるを得なくなるのだ。この時に受けたショックを裁判後にまで引きずる人もおり、そうした人のためにはカウンセリングが用意されている。

こんなニュージーランドの陪審員の様子を見聞きしていると、人が人を裁くということだけでも難しいのに、陪審員が義務を遂行するために抱えるリスクとプレッシャーは膨大なものと想像できる。英語が母語でない人にとってはそれは何倍にも感じるはずだ。しかし、英語が流暢な人だけが陪審員になるのでは意味がないだろう。陪審員制度の難しさは多民族国家ではさらに複雑になっていく。



2009年8月9日

自分のことを客観的に分析・理解する

つい先日、「3Dコンフェレンス」なるものが小学校で行われた。これはいわゆる三者面談というやつで、教師、子ども、そしてその親がその子どもの現在の勉強の状況や問題点、生活態度、どのようにこの先やっていくかなどを話し合うものだ。年に二度あり、今回が二回目だった。

面談では、事前に娘自身が書いた、学習面での自分が得意な点、不得意な点をもとに話が進められた。これは、自分の能力を自身が判断して評価を下した結果をもとに、当事者の子どもとその他の二者が面談をするわけで、先生がその子のことを観察した結果をもとに話しているわけではない。どんな科目がどんな程度なのかを自分で把握できていなければ、勉強は一方的な押し付けにしかならない。

娘の学校では、「自分の行動は自分で責任を取る」ことに重きが置かれ、そのために生徒はその目標に向かって日々勤しんでいる。とはいっても、小難しいことではなく、低学年の場合は山の絵があり、自分の態度の良し悪しによって絵で描かれた自分が山の下、中腹、頂上を上下することで、また自分のロケットがまだ地上にいるのか、星の間を飛んでいるのか、それとも月まで到着しているのかで、自分のその日の態度が一目瞭然になるようになっている。それを見ながら、内省するというわけだ。

これはあくまで自己申告で行われる。もちろんそれが不適切な場合は先生から一言言われ、訂正することになるのだが、先生が個々の子どもの態度が良かったか、悪かったかを評価しているわけではなく、あくまで自分が自らの行動を省み、評価を下している。

これだけなら、例え自分で評価を下したとしても、その態度が良かろうが悪かろうが、その場限りのものになってしまい、実際それがどういう結果を引き起こしたかはわからず、意味がない。そこで「リワード・アフタヌーン」なるものが行われている。これは、数週間に一度、金曜の午後に、責任ある行動が取れている子どもは好きなことをすることが許される。しかし、そうでない子は勉強をしなくてはならない。

さらに年に一回、その総決算としてプールへの遠足があるのだが、これにも年間で見てきちんとした態度でいられなかった子どもは学校で勉強、となる。これは口先だけのことではなく、問題があった子は本当に学校に残される。

わずか5歳から、自分のことを見つめ、自らの行動に責任を取ることが求められる。ちょっとシビアな気がしないでもない。しかし将来、道をはずれそうになったら、内省する習慣がついていることで、また軌道修正することができることもあるだろう。反対に自分が良い成果を出せた時は、そこまで自分自身の力で到達できたことに誇りが持てるだろう。これは私が気に入っている、娘の学校の教育方針のひとつだ。



2009年7月27日

もうコンピューター教育が始まるの?

先週、小学校2年生の娘のクラスでコンピューターの授業が始まった。「引き算もできないのに、コンピューターなんて! そんなのおいおいゲームを通して覚えるに決まっているんだから、その分の時間、ほかの勉強に回してほしいものね!」と子どもを迎えに来たお母さんのひとりが、先生がいるにも関わらず、露骨に仏頂面をしていた。それを横で聞いていて、「私だけじゃないんだ! いいぞいいぞ!」と内心彼女を応援してしまった。私も彼女同様、コンピューター教育なんてあとのあとでいい、と思っているからだ。

去年入学したてのころ、「Cybersafety Use Agreement for Junior Primary Students」という同意書にサインをした。これはコンピューター、ビデオ、デジタルカメラなどといった機器をモラル面で安全に使用することを前提に、これらを自分の子どもが扱うことを許すかどうかを問うたものだ。我が家は書類の内容自体に問題はないと思ったので、サインして提出した。「もうコンピューターなどを使い始めるのですか」と担任の先生に尋ねたところ、まだ先の話と返事をもらったように記憶していた。その「先」が、先週、思ったより早めに来たというわけだ。

最近は保育園や幼稚園にもコンピューターは置いてあって、ひとり当たりの時間が決められていはいるものの、子どもたちは順番に、インストールされている知育ゲームで遊ぶことができる。小さい子は誰でもボタンを押すのが好きなもの。娘もそうで、ともするとその前にずっと座り続ける可能性すらあった。なので私は先生に自分の考えを話し、できるだけ娘をほかの遊びに誘ってくれるようにお願いしていた。

遊びは星の数ほどもあるもの。ほかの子と交わり、何かを自分の手で作ったり、本を読んで空想にふけったり、外で駆け回ったりして遊び、一喜一憂していくことこそが、子どもたちが大きくなるための栄養になるのではないのか。

ネット上や携帯電話を通して
のいじめなど、テクノロジーがどんどん進化していく一方で、倫理観や道徳観がおざなりになっている気がする。コンピューターを操れるようになる前に学ぶことがあまりにも多くある。柔軟な頭を持つ子どもたちはその気になれば、あっという間に最新のスキルを身につけることができるに違いない。そんなに急がなくていいのではないか。私たちにとって大切なことはスクリーンの外にあるのだから。


2009年7月21日


ママズ・タクシー

いよいよ新学期が始まった。子どもたちが学校に戻り、私を含め、ニュージーランド中のお母さんがほっとしているに違いない。1年間は4学期に分かれ、夏休み以外は約2週間の休みがその各合間に入っている。この学校のスケジュールと連動して、お稽古事も休みに入る。

休み中は子どもに手を取られるので、どうしても落ち着いて自分のことができない。待ちに待った休み明けはそれを一挙に片付ける……いや、片付けたい。が、学期中は休み中とは違った意味でやることが増えるのも確か。早起きしてお弁当を作ることにはじまり、学校へ、さらに放課後には習い事への車での送り迎えをする。この国では「車での送迎」が母親業の五本の指に入るかもしれない。

ここでも徒歩で学校に通う子はいないわけではない。学校の近所に住んでいる場合、子どもは学校に歩いて行き帰りする。ウォーキング・スクールバスなるものを組織している学校もある。これは親が交代で、子どものグループを引率して徒歩で登校するというシステム。日本でいう集団登校+親という感じだろうか。一方、徒歩圏外に住む子どもも少なくない。また習い事となるとたいてい少し足を延ばさなくてはならない。ここで車が登場する。

ラッシュアワーというと、日本では朝夕の通勤時に限られるが、ニュージーランドには午後3時にもある。これは車で親が子どもを迎えに行き、自宅に戻ったり、そのまま習い事に向かうために、その車の数が増え、交通渋滞となるのだ。終業した学校の周りには子どもたちがたくさんいるので、通り過ぎる時により注意が必要で、ゆっくり運転することになる。これも渋滞に一役買っている。

車なんだからそう大変でもないのでは? と思われるかもしれない。放課後疲れていながらもまだ校庭で友達と遊びたいと言う、時間感覚がまだ今ひとつの子をなだめすかし、習い事の始まりに間に合うように連れていくのは、死ぬほど難しいわけではないけれど、考えるほど易しいわけでもない。しかも週に何回かこれを繰り返さなくてはならない。

娘とバレエで一緒の女の子のお母さんの車の後ろには、黄色い小さな看板が付いている。それには、「Mum’s Taxi(ママのタクシー)」と書いてある。これを見るたび、「あぁ、私だけじゃないんだから、面倒だけどやらなくっちゃ」と思う。今日も走る走る、ママズ・タクシー!


2009年7月8日

誕生日を大切に祝う

ウェリントンまで義兄の誕生日会に行ってきた。私の「義兄」なのだから、バースデー・ボーイの年齢は10歳やそこらではない。60歳だ。ニュージーランドではいくつになっても、誕生日は大切な行事のひとつ。特に21歳、30歳、40歳、50歳というような節目の誕生日は、親戚、友人を招いて特に盛大に祝われる。

年齢がひとケタの場合は、親が部屋を飾りつけ、ゲームを行い、プロ顔負けのケーキを焼き、自宅でパーティーを開くのが一般的。これにマジシャンやピエロを雇ったり、バウンシーキャッスル(お城などの形をし、空気で膨らませてある大型遊具)やポニーを借りたり、と特別なお楽しみを付け加えることもある。室内の遊び場やテーマの決まっている会場を借りたり、プールや公園で行うのも決して珍しくない。これぐらいの年齢の子どもの成長を、パーティーを開いて祝うのはごく自然なこと。子どもたちは自分の歳がひとつ上になったことを誇りに思い、その日を思い切り楽しむ。

21歳の誕生日も似た意味があるだろう。親は子どもが無事成長してきたことを感謝し、それを見守ってきてくれた人々と一緒に、大人への第一歩を踏み出す子どもの将来を応援するために、パーティーを開いてやる。本人はもっぱらその日は酔っ払いと化すのが普通だが、それもまたよし。翌日からは責任ある大人として一生生きていかなくてはならないのだから。

今回招かれた60歳の誕生日は、スポーツクラブを貸しきっての前回の彼の50歳の誕生日パーティーよりは地味だったものの、私たちを含め、このために車を数時間も走らせて駆けつけたりした友人や親戚、家族に囲まれ、義兄は終始うれしそうだった。みんなでビールやワインをくみ交わし、青春時代の歌を歌い、赤ちゃんや子ども時代、青年時代の写真をみんなで冷やかし、夜はあっという間に更けていった。

60歳の誕生日

日本ではどうだろうか。私は自分の誕生日など関係なしに働き続けたことを記憶しているし、今でも日本ではそれが「普通」なのではないかと思う。別に今日、昨日の年齢より1歳増えたからといって、日々の流れが止まるわけでもなく、何かが急に変わるわけでもない。

でも、こちらの人は違う。別に節目の誕生日でなくても自分の誕生日にはお休みを取る。自分のためにいつもより時間を取って、今まで自分の身に起こったこと、やってきたことに思いをめぐらす。さらにこれから先の自分の姿を想像してみる。家族や友人と昔話をし、乾杯をする。「今までありがとう、これからもよろしくね」というメッセージがそこにある。日々に流されがちな自分を見つめなおすのに、誕生日ほど格好な日はないだろう。今年から誕生日をないがしろにするのはやめようと思う。


2009年6月21日

笑いのツボ

久しぶりに家族写真を撮りに行ってきた。他の西洋諸国同様、ニュージーランド人も家族や子どもなどの写真をきちんとプロに撮ってもらって、それを普段から目にする場所に飾っておくのが大好きだ。

こうした写真はリラックスした雰囲気の中で撮影されるに越したことはない。大人は状況も早くのみこめるせいもあって、比較的撮るのは楽なのではないかと想像できる。しかし子どもの写真はシャッターを押すタイミングやその子のリラックス度によって、ずいぶん撮れ方が違う。なので、子どもの写真を撮る時のカメラマンはたいていぬいぐるみなどをカメラの脇や上に持ち、そちらに注意をひきつけるようにする。

赤ちゃんや幼児の場合はそれだけで成功させなくてはならないが、少し大きい子になると面白いことを言って笑わせるようにする。今回のカメラマンは「My mum has hairy legs !(お母さんの足は毛がもじゃもじゃ!)」とか、「My dad’s socks are smelly!(お父さんの靴下はくさい!)」とか言いながら、シャッターを切っている。娘はふふふと笑い、夫もにやにやしている。しかし私は……し~~~ん。さらにカメラマンはその手のことを口にするが、私だけ笑えない。それでももしかすると末代まで残る写真になるかもしれないと、作り笑いでごまかす。

ニュージーランドに住んで10年以上が経ち、いろいろな面でこちら流を取り入れているし、取り入れるのに抵抗があることは少ない。自分でも比較的なじんでいる方だと思う。しかし、キーウィのギャグでは笑えない。何がどう違うのかといわれてもわからないのだが、とにかく笑いの感覚が日本人の私とは違うことは明白なのだ。笑いは理屈ではない。面白いか、面白くないかのどちらかしかない。

娘の学校で資金調達のために演劇のチケットが売りに出されたことがある。地元の劇団によるコメディーだったのだが、なかなか売れずに学校側は困っていた。こういう場合、すぐに飛んでいって助けてしまうのが私の性格なのだが、その劇が「コメディー」というところで、自分の中でストップがかかった。まだ「シェイクスピアの三大悲劇」とかいう方がましだ。みんなが笑っているのに、自分が笑えないのはつまらない。

キーウィのギャグに笑っている娘を見て、「この子と『笑点』を見て、一緒に笑える日ははたして来るのだろうか?」と、ちょっと弱気になった。 

 

2009年6月4日

新しいことに気軽にチャレンジ

何をどう間違えたんだか、合っているんだかわからないが、娘が学校でサッカーを始めた。

おそらく仲のいい友達がやっているのを見て刺激を受けたのだろうが、これは運動が苦手な母親とアーティストの父親には青天の霹靂だった。すでにシーズンは始まっている。おまけにサッカーを始めるとなれば、彼女にとって4つ目の習い事になる。やらせるか、やらせまいか。そもそもサッカーを始めるには何が必要なのか。

道具をそろえるのが大変なのではないかという心配はすぐに消えた。学校のサッカー部では、もう小さくなったスパイクシューズは持ち主の子どもが学校に寄付する。学校側はそれを5ドル(約250円)で売り、運営資金の足しにする。安くシューズが手に入るので、親も助かる。無駄がなくなる。とてもいいシステムだと思う。

ただ何せセカンドハンドなので、あてにならないこともある。学校で買った娘のシューズは買ってすぐに壊れてしまった。人生そんなもの。でも学校側は代金5ドルを返してくれる。とても良心的だ。その5ドルを握りしめ、不安と期待を胸に、教会付属のセカンドハンド・ショップに駆け込む。自分の探している品物が必ずしもその時あるとは限らないからだ。運のいいことに、今度はチェックすべきところを心得ていたせいもあり、状態のいいものをもっと安く、2ドル(約100円)で調達できた。

ソックスとシンガードは新品を買わざるを得なかったのだが、それでも両方で30ドル(約1,500円)払ったらお釣りがきた。週に一度、放課後に30分強の練習が、そして土曜日の朝一番に試合がある、学校のクラブ活動のひとつということもあって、会費はわずか20ドル(約1,000円)。試合用のユニフォームは学校から借り、練習の時は普段着で参加する。実にシンプルで、新しいことにとっつきやすい環境が整っている。

サッカーゲーム


子どもは新しいことに挑戦するのが大好きだし、親もやらせたいと思う。でももしかしたら、実際やり始めると嫌いで、すぐにやめるかもしれない。道具や会費が高額だったら、親としては慎重にならざるを得ない。しかし、ここでは親に「とりあえずやらせてみようか」という気持ちにさせる環境が整っている。子どもは自分で選んだ新しいことを始められて満足し、がんばってみる。親も、子どもの可能性をひとつ増やしてやれたかもと、うれしくなる。言うことはない。

 

2009年5月23日

えさがない時には寄ってね、鳥さん

5月に入ったというのにずいぶん暖かな日が続いていたので、ちょっと油断していたら、いよいよ冬将軍が到来した。何でもこの冬は1930年代以来の寒さに見舞われるらしい。気温が全国で一気に下がり、みんな震え上がっている。

寒い時には何か食べると体が温まるものだが、寒い冬に限って自然界には食べるものが少なくなる。我が家の裏側は谷になっていて、種類を問わず鳥たちがよく遊びに来る。前々から「鳥に何かえさをあげたいなぁ」と思っていながら、実行できずに時間だけ経っていた。冬特有の殺風景な裏庭を見ながら、「何かあげるなら今がいいチャンスかも」と思い立ち、早速割り箸をリンゴに刺し、その両端にひもをつけて、軒先に吊るしてみた。

どんな鳥が来るかな? どんな食べ方をするんだろう? 好奇心満々の私はそれをダイニングの窓の近くに吊るした。そこだったら、食べに来る鳥を観察できる。その思惑を知ってか知らないでか、鳥はまったく現れない。いつも見かける鳥さえ裏庭にいなくなったように感じられる。「やっぱりこれではあまりにあからさまなのかもしれない」。

そこで今度はリンゴを台所の窓から見える木々の枝に吊るしてみた。これならわざとらしくはないが、その反面見つけにくい。鳥は来るだろうか……来ない。しかし、招いてもいない動物がリンゴを半分もかじっていった。ポッサム(フクロネズミ)だ。ポッサムはオーストラリア原産の有袋類で、なかなかかわいい顔なのだが、原生植物、鳥類の卵やひなを食べるため、ニュージーランドでは害獣とされている。裏の谷の住人で、夏場は夜に屋根の上でかけっこをしている。

別にポッサムが食べるのもいいだろう。しかし、ポッサムは夜行性なのでリンゴを食べる姿を拝むことができないのでつまらないし、仮にも害獣だったりする。私はリンゴを食べに来る鳥が見たいのだ。場所を移してから待つこと数日。ふと気付くとリンゴにとがったものでえぐったような穴が開いている。もしや。ここに食べ物があることには気付いたようだ。さらに待つことにする。

シルバーアイ

ある日、とうとう鳥がリンゴを食べているところに出くわした。そおっと窓から見守る。原生の鳥で、日本のメジロにそっくりなシルバーアイだ。珍しい鳥というわけではないが、しょぼしょぼと降る冷たい雨を木々の下でよけながら、仲良くリンゴをつつく2羽の姿がいとしい。いつまで眺めていても飽きない。やっと姿を見せてくれたシルバーアイに「今年の冬は寒いらしいよ。うまく乗り切れるといいね」と心の中で話しかけた。


ポッサムについてもっと詳しく(英語)→
シルバーアイについてもっと詳しく(英語)→

 

2009年5月12日

30個のマフィン作りに挑戦!

ついこの間、初めて30個ものマフィンを焼いた。もともと私はベイキングが好きなので、自家用に、またおよばれしたお家に持って行くために、焼き菓子を作るのは珍しくない。娘の小学校では毎週金曜日に「フライデー・ランチ・クラブ」なるものが行われる。基本的にニュージーランドの学校には給食はないので、子どもたちは毎日お弁当を持って登校する。しかし、金曜日に限っては、ピザやホットドッグ、ミートパイなどを学校で買い求めることができるようになっている。

この時の目玉が、今回私も手伝った手作りケーキ。週の最後の日で、「今週もがんばって勉強して偉かったね」という意味をこめて売られるものなので、いつもはヘルシー志向の学校側もこの時ばかりは、甘い焼き菓子を認めている。アレルギーのある子どもがいるのでナッツ類は控えること、そして個数は30個というのが条件だ。

そんなわけで、前日の木曜日の夜、我が家のキッチンでは一大ベイキング大会が行われることになった。新学期の2月に、このベイキングのボランティアを募集していたところに立候補したので、私にとっては初めての体験だ。同じ時にほかに2人のお母さんがベイキングをするので、ほかのお母さんの作るものとかぶらないようにしなくてはならない。私は結局レモンクリームチーズ・アイシングをトッピングしたバナナ・マフィンを作った。

グラシンケースをあまり使ったことがないので、買ってきたものがちょっと型に比べて大きくて、しわが寄ってしまったり、焼き損ないがあったりしたものの、何とか30という個数は守ることができて、ほっとする。マフィンが冷めるのを待って、アイシングをトッピングする。

普段から私は「アイシングなんて単なる砂糖の塊じゃない~」と思っている私は、特に自宅用の場合にはアイシングを作るのを避けている。それが裏目に出た。作ったアイシングが余る、余る。「まぁ、足りないより余る方がましだ」と自分に言い聞かせる。この「砂糖の塊」が味見をするととてもおいしい。あまりに危険なので、ひとまず冷蔵庫にしまい、後日日本語プレイグループの時にプレーン・ビスケットでサンドして持って行ったら、大好評だった。

夕食作りも夫に任せ、夜遅くまでがんばったかいがあって、マフィンは完売だった。贅沢な時代の子どもたちのことだから、アイシングだけなめてマフィンを捨ててなんかいないだろうな」と、クラスのゴミ箱に目を光らせもしたが、そういう形跡はなさそうでほっとする。

その約一週間後……子どもを迎えに行った時におしゃべりをしていたお母さんが「明日のために今夜これから焼き菓子30個よ~!」と悲鳴を上げる。すぐ近くでそれを聞いていたほかのお父さんが「おや、お宅もですか。うちでも今ごろ妻が準備を始めているころですよ」。「よかった、私だけが苦労しているんじゃないんだ。それにしても子どものために親ってがんばるものなんだなぁ」と私は苦笑した。

 

 

 

 






















 

 

 

ミニ・プロフィール

クローディアー真理
Mari Clothier

東京で海外のショッピング、グルメ情報を主に担当する編集者・ライターとして約8年間勤務。1998年にニュージーランドに移ってからは、国内で発行の日本語誌2誌の編集者、編集長職などを経て、現在フリーランスライター。

ニュージーランド航空やニュージーランド観光局の発行物やウェブサイト、ガイドブックや留学情報誌などのニュージーランド関連媒体、育児誌などのリサーチ・取材・執筆・写真撮影を行う。平行して英文和訳、和文英訳も手がける。

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